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橙×水
鈍色の空が、今日のいれいすの運命を暗示しているかのようだった。
会議室の空気は張り詰めていた。次回のライブの構成案、新曲の方向性。リーダーであるないこを中心とした議論が熱を帯びる中、ほとけは小さく縮こまり、いつものような無邪気な相槌を打つことすら忘れ、ただ膝の上で拳を握りしめていた。
厚手の水色のパーカー。首元までしっかり閉められたその下には、隠しきれない痛みが渦巻いている。
🍣「……いむ、どう思う?」
名前を呼ばれ、ほとけはビクリと肩を跳ねさせた。
💎「あ、えっと……うん、ぼくは、その案でいいと思う!」
精一杯の笑顔。無理に作った声。
メンバーたちは、ほとけのいつもと少し違う様子にわずかな違和感を覚えたものの、疲労が溜まっているのだろうと深くは追求しなかった。パーカーという「鎧」が、今のほとけには必要不可欠だった。
会議が終わり、続いて控えていたのはライブ衣装の最終調整だった。
フィッティングルームの近くで、スタッフが次々とサンプルを広げていく。
🍣「いまから衣装合わせやから。みんな、着替えよっか」
ないこの声に従い、メンバーたちはそれぞれの更衣室へと散った。
ほとけは、最後の最後までパーカーを脱ぐのを渋った。背中に冷たい汗が伝う。脱げば、全てが終わる。見られたくない、でも、もう隠せない。
「ほとけ? どうした、早くせんと時間押すぞ」
メンバーの誰かが声をかけた。ほとけは震える手で、パーカーのジッパーに手をかける。
薄いTシャツに着替える必要があった。衣装のサイズ感を正確に測るためには、肌に近い状態でなければならないからだ。
パーカーを脱ぎ捨てた、その瞬間。
「……っ!」
周囲の空気が、凍りついた。
ほとけの白い肌は、まるで無惨に踏みにじられた花弁のように、紫と赤の痣で埋め尽くされていた。古傷の上に新しい傷が重なり、腫れ上がり、痛々しくひび割れている。細い二の腕には、何かで強く締め付けられたような赤い痕が鮮明に残っていた。
🤪「……ほとけ、おま、それ……」
近くにいたメンバーが、息を呑んで立ち尽くした。
騒ぎに気づいた他のメンバーも振り返り、そして全員が絶句した。
いつも明るく笑っていた彼が、実は誰にも言えない地獄の中で生きていた。その事実が、突き刺さるような重さで全員の胸を抉る。
💎「……ちがう、これは、その……」
ほとけは自分の肌を隠すように両腕で体を抱きしめ、視線を床に落とした。
言葉よりも先に、堪えきれなかった涙がポロポロと床に落ちる。
💎「……ごめんなさい、ごめんなさい……ぼく、ちゃんと隠してたのに……」
隠さなきゃいけなかった。隠して、笑って、みんなを困らせないようにしなきゃいけなかったのに。
静寂に包まれたフィッティングルームに、ほとけの嗚咽だけが響いていた。
その瞬間、メンバーたちは無言で歩み寄った。
彼らは何かを問うよりも先に、冷え切ったその小さな体を、ただ強く、折れそうなほど優しく抱きしめた。
🍣「……もう大丈夫やからな」
リーダーの震える声が、部屋いっぱいに満ちた。
もう、誰も何も聞かなかった。ただ、傷ついた仲間を二度と独りにはさせないという決意だけが、その場にいた全員の心に刻まれていた。
静寂が支配するフィッティングルームの中で、ほとけの嗚咽が途切れ途切れに響く。
先ほどまで彼を覆っていた
「明るい歌い手・ほとけ」
という仮面は完全に剥がれ落ち、そこにはただ、傷ついたひとりの少年がいるだけだった。
メンバーたちがそれぞれのやり方でその動揺を受け止めようとする中、一番近くにいたいふが、そっとほとけの背中に手を伸ばした。
ほとけの震える肩を労るように、そして「大丈夫やで、俺らがついてとる」という無言のメッセージを込めて。
🤪「……ほとけ、大丈夫か」
いふが穏やかな声音でそう声をかけ、ほとけの頭にそっと手を伸ばした。
ポン、と頭を撫でようとした、その瞬間だった。
💎「ひっ……!」
ほとけが異常なまでの勢いで背中を丸め、肩を大きくすくめた。
まるで、鋭利な刃物でも突きつけられたかのような反応だった。頭上に伸びた手の影を見ただけで、反射的に恐怖で顔が引きつり、自分の頭を両腕で抱え込んで防御の姿勢をとる。
💎「……ッ、ご、ごめんなさい! ごめんなさいっ!!」
ほとけは泣きながら、必死に後ずさった。
背中を壁に打ち付け、それでもなおその場から逃げ出そうとするかのように、うわ言のように謝罪を繰り返す。
その姿を見たいふの手は、空中で虚しく止まった。
頭を撫でようとしたはずの手が、今はただ、ほとけの恐怖を煽ってしまったという事実に、いふの胸が締め付けられる。
🤪「……ほとけ、ごめん。……叩こうとしたんやない。ただ、大丈夫やって、伝えたかっただけなんよ」
いふは自分の手をゆっくりと下げ、敵意がないことを示すように手のひらを広げた。
だが、一度火がついたほとけの恐怖心は容易には収まらない。
呼吸は過呼吸気味に乱れ、目の前のメンバーたち全員が、まるでいつもの「親」のように見える瞬間があるかのように、怯えた瞳で辺りをうかがっている。
いつもなら誰よりも明るく、どんなボケにも全力でツッコミを入れてくれた彼が、今は「触れられること」に対して本能的な拒絶反応を示している。
その光景は、彼らがこれまで見てきたどんな景色よりも残酷で、悲痛なものだった。
自分たちがどれほど恵まれた関係性の中にいたのか、そして、ほとけがいかに「暴力」という名の支配下で、心の奥底まで深く傷ついていたのかを、突きつけられた瞬間だった。
その一瞬の衝撃が、引き金だった。
いふの伸ばした手が、かつて自分に向けられた「親」の暴力的な手と重なる。
パチリ、とほとけの脳内で何かが弾ける音がした。
💎「あ……ぁ、ああ……ッ!!」
ほとけの瞳から光が消え、視界がぐるりと歪む。
頭の中に、怒号と、鈍い打撃音と、突き放される冷たい感覚がフラッシュバックして押し寄せてきた。
『お前なんていらない』
『お前が悪い』
――そんな言葉の刃が、記憶の奥底から蘇り、今の彼の思考を真っ白に塗りつぶしていく。
💎「や、だ……ぼく、ちゃんと、いい子に、してるから……! ねぇ、怒らないで、ごめんなさぃ……っ!」
ほとけは耳を塞ぎ、壁に爪を立ててその場に崩れ落ちた。
過呼吸で空気をうまく吸い込めず、ゼェ、ゼェと喉を鳴らす音が部屋に響く。メンバーたちが慌てて駆け寄ろうとするが、近づく足音さえも、今のほとけには
「迫り来る恐怖」
としてしか聞こえていない。
🍣「いむ、落ち着け! 俺たちしかおらん、いれいすメンバーだけ!」
ないこが必死に名前を呼ぶが、その声もほとけの耳には届かない。
頭が割れるように痛い。胃の腑が、恐怖と吐き気でひどくねじり上げられる。
限界を超えた精神状態が、身体の拒絶反応を引き起こした。
💎「ごふっ……ぅ、うぁっ……!」
ほとけは床に膝をついたまま、耐えきれずに激しく吐き戻した。
何も食べていなかったのか、胃液混じりの苦いものが床を汚す。それでも吐き気は止まらず、ほとけは背中を大きく揺らして何度も何度も嗚咽を繰り返した。
「……っ!」
メンバーたちは絶句した。
ほとけが抱えていたのは、単なる
「怪我」
や
「心の傷」
などという生易しいものではない。生きるか死ぬかの極限状態を、たった一人で耐え抜いてきたのだ。
🐤「いむ、苦しいよね……ごめんね、守れなくてごめんな……」
りうらがほとけの背中に手を添えようとして、躊躇い、けれど今度は逃げられないようにそっとその温もりを背中に預ける。
激しく呼吸を乱しながら、ほとけは小さく震え続ける。
吐き気で身体を丸め、涙と苦しみで顔をぐしゃぐしゃにしながら、彼はそれでも、無意識のうちに
「助けて」
という声を、その震える指先で必死に紡ぎ出していた。
💎「こないで……っ! やだ……っ! 近づかないでっ……!」
悲鳴に近い絶叫が、狭いフィッティングルームに木霊した。
近づこうとしたメンバーたちが一斉に足を止める。ほとけは床を這うようにして後退り、壁の角に体を押し付けた。逃げ場のない小動物のように瞳を大きく見開き、彼らの差し伸べる手の一本一本を、まるで恐ろしい凶器であるかのように見つめている。
💎「お願いだから……ッ、ぼくを、叩かないで……! ちゃんと、ちゃんとするから……!」
過呼吸で喉がヒューヒューと音を立てる。
極限の恐怖は、ほとけの胃を容赦なく締め上げた。先ほど吐いたばかりだというのに、再び胃の奥からこみ上げる猛烈な吐き気が襲いかかる。
💎「うっ……ごふっ、えっ、ぐぅっ……!」
ほとけは自分の腹を抱え、床に突っ伏した。
激しい嘔吐の衝動が、体を強制的にくの字に折り曲げる。口元からは胃酸を含んだものがとめどなく溢れ出し、白い床を無惨に汚していく。喉を通るたびに鋭い痛みが走り、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになった。
💎「うっ、はっ……ごほっ、ごほっ! ……っ!」
せき込むたびに肩が激しく上下し、呼吸がさらに乱れる。
床に頭を押し付け、吐き出すたびにほとけの小さな体は震え、小さくなっていく。空腹で何も出るものがないはずの胃が、それでも痙攣し、ほとけの体力を容赦なく奪っていく。
💎「っ……あぁ、いやだ……っ! ……だめぇ、もう……ごめんなさい……っ!」
🐰「いむくん!」
メンバーがたまらず一歩踏み出すと、ほとけは反射的に頭を庇い、さらなる嘔吐を繰り返した。
その姿があまりにも痛ましく、誰もがその場から動くことができなかった。
彼が一番求めていたはずの
「助け」
が、今の彼には
「暴力」
と混同されてしまっている。その残酷な事実に、メンバーたちの胸が張り裂けそうになる。
ほとけは床に落ちた自分の汚物の中に顔を埋め、ただ「叩かれること」を恐れて震え続けていた。
彼の心の中では、今この瞬間も、終わりのない虐待が繰り返されているかのように――。
コメント
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……読んだ。しんどかった。🥀 タイトルの「橙×水」、ほとけくんの水色パーカーと、みんなの優しさ(橙)みたいなイメージなのかなって思った。でもそのパーカーが“鎧”で、脱いだ瞬間に痣だらけの現実が露わになる展開、息が止まったよ。 一番辛かったのは、いふくんが頭撫でようとしただけで「ひっ」って怯えて防御姿勢に入るところ……。助けてほしいのに、助けの手が“暴力の記憶”と重なっちゃうの、読んでて胸が軋んだ。心が壊れる瞬間をここまで丁寧に書けるの、すごいし、同時に苦しい。🖤 でも最後、リーダーが「もう大丈夫やからな」って抱きしめたシーン、そこでやっと泣けた。救いがあるから、読めてよかったと思える。続き、気になる。