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学校でのカウンセリングを終えて、稲葉は部屋のドアを閉める。廊下に出ると荷物を持ち直し、放課後の校内を歩いて玄関へと向かう。今日は部活のある日だったが、途中から参加するか未だ迷っていた。稲葉は腕時計を見て、靴箱から外靴を取り出してしばし立ち止まる。
外から、サッカーをする部員の声が聞こえてくる。
稲葉は、同じクラスの中本樹の靴箱の方を見る。
棚の中には上靴が並べて置いてある。きっと樹は今頃いつも通りに練習に参加しているのだろう。
つい先程まで、薄暗いカーテンが降りた室内で教師と向かい合って座っていた。
「…でも、本当によかったわね。目撃者が居て」
稲葉が顔を上げる。確かに、行き違ってしまった後では、そうとしか言いようがない。これまでの経緯も、自分達の関係も、全く他の誰も知らない。…多分桐人も言うつもりはないだろう。
親にだってまだ何も話していないのだ。
「知ってるのは碧だけ」
そう言って桐人は微笑む。
暗い室内ーいつも桐人の部屋の中か、学校のトイレの中で、桐人は稲葉と戯れたがる。
「でもまだ、言ってるんですか。同じこと」
首を傾けて何かの書類を見ていた教師は、稲葉の方を見る。「そうなのよ」
そう言ってため息を吐く。
「詳しい事が、まだその目撃している人と行き違っているの。
あなたは、目の前の桐人君がすることに驚いて、助けを呼ぶのも躊躇っていたって、その人が言う事ともぴったり合っているし、まさかあなたが命令したなんて…」
稲葉は教師の顔を見つめているが、教師はそう言った後でなんという言葉を続けるかを視線を落としたままで考えているようだった。
稲葉はなぜだかホッとする。疑われているわけではなさそうだ。
「多分喧嘩していたので、いろんなことがごちゃごちゃになってるんだと思います。
…」
そう言うと、教師は稲葉の顔をチラと見る。
「白川君って怒りっぽいので。すごく」
そう付け足して笑う。しかし教師は笑わず、代わりにその他大勢の生徒に向けるような表情で口を結び、片づけを始めていた。
稲葉はグラウンドに制服の姿のままで立ち、サッカー部が練習するのを眺めている。
中本樹の姿を探し、走ってボールを追いかけている集団の中にそれらしき姿を見つける。
ゴールの近くでもつれ込み、他の部員が近くで一人転んだみたいだった。樹がそれを見て立ち止まり、何かの声を掛けている。
稲葉はそれに背を向けると、体育館の方へと向かう。
遅れて練習に参加する稲葉を部員達はそれぞれ一瞥するなりした後で、いつものように受け入れる。樹も、コートの中で走りながら稲葉が来たことを確認し、また練習へと意識を戻す。
カウンセリング、と稲葉は話していたが、いったいどんな問題について話しているのかはよく分からない。
コートの中に入ってきた稲葉に向かって、樹がボールを蹴る。顔を上げた後で、相手が誰だかに気づいたようで樹は一瞬表情を変える。稲葉の方は初めから意識していたのか、驚いた顔をしてボールを見ていたが、それを胸で受け止めたと思うと、あらぬ方向にそれが転がって行くのを見て立ちすくんでいる。
「……」
樹はそれを見て、思わず笑う。ウォームアップも十分にしていない稲葉が、ボールの行き先にただ驚いているのだと思って、そのまま部員とともに走って行った。
練習を終え、着替え終わった後で購買室で友人と一緒に話していると、友人が頬杖を付いてスマホをいじっている稲葉の方を見てつぶやく。
「そういえばさあ、白川って奴。あいつさ、けっこうクラスの奴とも揉めてたんだろ?」
「…ん?」
樹が見ると、稲葉はそう言った部員の方を見て黙っている。
「お前、中学同じだろ。それで、前に巻き込まれたんじゃなかったっけ」
「うーん。まあ、そんな事もあったかな」
「ふーん。」
「何?何かあったの」
稲葉が「俺もう帰る」と言って立ち上がる。
樹もそれを見て、時計を確認した後で「じゃあ俺も」と言って立ち上がる。
部員達も二人をチラッと見たが、特に言いたい事もないようでまた先程まで話していたサッカーチームの話題に戻る。
廊下を歩いていると、稲葉は立ち止まって樹をジロジロと見る。
「ナカモト、したくなってきた?」
稲葉はそう言って、樹の手を取る。
「…はは。いや、多分あいつら、お前と白川の関係とかは知らないと思うよ。」
そう言った後で、樹は顔を赤くする。
「お前は大丈夫なの。休学とか、先生達の中では問題になってるみたいな事言ってたでしょ」
「うーん。まあね。
…俺らの間で起きた事だから。本当は先生達もよく分かってないし」
「…ふーん」
「お前はどう思う?例えばさ…
会う度にエロいことしようとか、セックスしなきゃ自分は死んでしまうみたいな事で、目の前で泣かれたりしたらさ」
「…え」
「…」
「なにそれ。そういう事までされてたっていうこと」
「うん。だからさ、俺…もそうなってるのかな。」
「え。…おまえが?」
「俺も、病気なのかもしんない。」
「なんで?そう思うような事あるの」
「いや…」
二人で、玄関前まで来た後で、稲葉が樹の方を見る。
樹は稲葉の顔から目を逸らす。
「カウンセリング、いまは週一回くらいしてるんだけど、殆ど事情聴取っていう感じ。さっきも行ったんだけど、向こうが、俺と海に居た時に、俺が桐人に対して海に飛び込めって強要したんだって、命令したんだってごねてるらしいよ。」
「……」
「目撃者もいるのに。
その人は、桐人が俺が止めるのも聞かないで叫んだ後で、海に飛び込んだって言ってる」
「ええ…それで、今も教師から聞き取り受けてるって事?」
「そう」
「うわ、大変だな」
樹は稲葉の方を見る。稲葉は顔を上げずに、靴箱に手を突っ込む。
「何か、あったの?一緒に海に行って、じゃあ…白川が何かお前に嫌な事を言ったとか?」
「ははは…まあ、そんなことも、あったかもしれないな。」
「…」
外に出ると、強い風が吹いて二人の髪の毛を舞い上げた。樹は顔を顰めて外に出る。
あの時はー賭けをしていた。
これからもそれを続けるか、それとも辞めてしまうのか。
稲葉は隣にいる樹の手を握る。
樹は驚いて、稲葉の顔を見る。
「俺は、賭けに勝ったんだ」
「…え」
「…」
「…稲葉」
声をかけられた稲葉が樹の方を見ると、樹は顔を赤くして稲葉を見ている。
「…」
「おまえな、」
「うん」
樹は稲葉の手をゆっくりと振り払う。それから、先に足を踏み出し、帰宅への道を歩き出す。
一瞬、取り残された稲葉はそれに着いて来るようだ。
「なー。怒ったの?」
「…」
「ふふ…」
樹は隣に並んだ稲葉の顔をジロと見つめる。
「ナカモト、俺と一緒に来てくれる?」
「…どこに?」
稲葉と樹は立ち止まって顔を見合わせる。
まだ、強い風が吹いていて、その度に二人の短い髪の毛を舞い上がる。稲葉は樹の驚いた顔を見つめながら何かを考えているようだった。
街中のーホテルの一室。
二人は着替えた後で駅で待ち合わせ、入り組んだ路地の中にあるこのホテルの中へと二人で入ってきた。
樹は稲葉に促されてシャワーを浴びに入る。あちこちを見渡しながら挙動不審にしていたが、それを見ている稲葉自身もそれほどこういう場所へ来たことがあるわけではない。
たった数回、白川桐人と来たきりだ。
樹がシャワーを浴びている音を聞きながら、稲葉は備え付けのソファの上に腰掛ける。
あの日も強い風が吹いていた。桐人が、海で溺れて沢山の水を吸い上げた日。
あの時までに桐人は稲葉に向かって、色々な要求をして来ていた。稲葉が別れたいと言ったその日から、桐人が海に自分から飛び込むその日まで。
「碧、舐めて」
ベッドの上に座りながら待つ桐人の隣で、稲葉が桐人の顔を見上げる。
自分よりも背は高いが、運動をしていない桐人は力はそんなに大した事はない。けど、女ウケをする見た目をしている。
そのことを桐人も鼻にかけているようで、そういう態度が言葉の端々に出て来る。それでいて、そこそこ成績もいい。
初めのうちはそんな桐人のことが誇らしかった。馬鹿馬鹿しい噂話をしたり、すぐにきゃあきゃあ騒ぐ女子たちを相手にもしていない…元から男女関係に鈍かった自分にわけを与えてくれるみたいに思えた。
稲葉は桐人の身体に手をかけて、ゆっくりとキスをする。
いつもこうしているから、お互いどうすればいいのか分かっていた。そのせいで、キスするだけで互いに先のことを想像してしまい、あっという間に勃◯していた。
「なめて」
「うん」
稲葉は桐人のタオルを剥ぐとそこに現れたペニスを口で咥える。ゆっくりと中で舌を動かすと、桐人が苦しそうな声を出す。
「きもちいいよ…碧」
「…」
「…俺たちが別れるなんて、うそだよな」
「…」
桐人が自分の体をソファの上で徐々に崩して行き、稲葉が足元で愛撫しているのを眺めている。
でも稲葉の心は別のところにあった。
もし、そうしたいならー
俺のやつ、飲んでくれよ。
…確かに桐人はそう言った。喧嘩をする度、初めは子どもが駄々を捏ねるみたいで怒りを感じていた要求だったが、稲葉が桐人の嫌がらせに怯まないと分かると少しずつ声量を弱めていった。
でも、その言い方からして、きっとこれが最後だという感じがした。桐人は、手段をもう持たない。「別れ」というのはそういうものなのだと思った。
「…、…、、」
桐人は、稲葉の口の中で射精し終えると起き上がって、桐人の目の前で稲葉が表情を歪めて舌に絡まる異物を飲み込もうとしている様子を見る。
「…桐人」
「うん」
「…もうさよならだな」
稲葉がそう言うと桐人は、返事をせず汗をかいたままの上半身で稲葉の体を抱きしめる。
「…これで碧は俺のものになったな」
桐人の口が稲葉の肩の上でそう囁く。
「……」
「別れても、死んでも、…もし家族を持ったとしてもさ、碧の初めても、どうしようもない部分も全部俺のものだな。碧」
稲葉は体を離し、目の前にいる男の顔を見上げる。だが桐人はゆっくりと稲葉の体を組み伏せて行く。それから、下半身を触ろうと手を這わせる。
「碧は逃げれないからな。絶対に絶対に絶対に、…絶対に俺のものだよ」
シャワー室のドアが開き、樹が外へ出て来た音がする。
稲葉は目の前の残像を消し去るみたいに、ゆっくりとまばたきをする。
絶対に俺のものだからな…逃げたら、殺すから。
あんな弱い人間の表情、はじめて見た。
はっきり言ってその前から…でもあの時に桐人への愛情っていうのは消え失せたんだと思う。