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不朽の夏

126

2022年08月05日

#短編集#一次創作
さち

さち

それは虫の知らせだったのかもしれない。

ある夏のこと、冷房の効いた自室のベッドに寝そべりながら携帯に映る文字を追っていた私は、何かを思い出したわけでもなかったが、なんとなく体を横にして、さりげなく視界に入った時計を見る。いつの間にか正午を過ぎていたことが分かった。そして私は、その下に表示されている日付に不思議と目を惹かれてしばらく眺めていた。昨日の映し絵にして明日との境地、それが私に今日を今日たらしめる位置づけである。ベッドを降りて目一杯の伸びをすると、なんて贅沢で簡素な体たらくなんだと鼻から自嘲が漏れた。

階下へ降りてリビングへ向かった。そこは陽の光だけが辺りを照らし、しかし夏の熱気に気圧されたかのようにどんよりと薄暗く、私の心境が妙に懐いた。私は台所で水道水から汲んだ水を飲むと、舌先が塩素の苦味を覚える刹那に私の頭の中には明確に、今しがた私を魅した時計の数字が浮かんできた。私は初めて、正午を過ぎているという事実を認めた。それは確約された憔悴が時を経るごとに明確な輪郭を成し、私とそれを隔てる扉を叩きに接近していることの啓示を否が応でも受け入れなくてはならないことに等しかった。さらに私は怠惰と戯れているうちに放恣に流れ、刻一刻と逃げ場を失っていることにも気がついた。しかし、未だ機微に残る苦さに居場所を求めるように視線を逸らした先、隣の勝手口からは陽光が無際限に差し込み、すでに外界との接触を躊躇わせた。

外界は想定していた通り、予想以上の暑さをもって私を待ち構えていた。長く居ては殆ど体の奥底から水分が蒸発してしまうほどに暑い。焦燥感に駆られた私は倉皇として自転車に跨った。高校の卒業と同時に自転車にも乗らなくなり、すでに半年が経っている。厳密には三学期ほどからそれとなく電車通学に変わっていったのだが、それでも私の平衡感覚は鈍ってはいなかった。久方ぶりの不慣れからくる多少の乗り心地の悪さはあったものの、ペダルを漕ぐとすぐに馴染んでいった。

私は見慣れた住宅街を抜け、懐かしい公園を越えて、やがて未だ見慣れない景色が広がる林道に入った。道の傍に自転車を停めて、日陰に逃げるように入っていった。健全な青葉とは対照的に沈鬱な表情を見せる幹からなる林木と、日に焼かれて色の剥げた地面が道なき道を何とか繋ぎ止めていた。そんな林からは、至る所から聞こえてくる蝉の共鳴が耳をつんざいた。私にはそれが林全体の、ひいては夏がその生命力を謳歌して歌う寿歌ように聞こえて恐怖した。しかし木々を見上げてみてもその姿は一匹として見つけられず、ゆっくりと視線を上げていく私の目には、ただ燦然と輝く陽光が錯雑した枝葉に絡まり、疎に降り注ぐばかりであった。遠くで聞く鳴き声は一種の幻想的な夏の盛り(それはもはや夏の正体であるかのように思われる)を想起させる一方で、なぜこうも不快で恐ろしげなものに変化するのだろうか。実態は眩く憎体な夏を思わせた。

しばらく歩いてようやく彼の姿が見えてきた。私と会う時の彼は、大きく袖の膨れた服を好んで着ていたので、いつしか私は彼の判別をそこで行っていた。彼は私を見つけると遠くから手を振っているように思われた。私はそれに答えることはしなかったが、少し歩度を早めて彼の元へ歩いた。こうして会うのは何年ぶりだろうかと思うと、私は長らく彼に会っていなかったのだと実感した。そして彼の笑顔が脳裏によぎったとき、気おくれの滲んだ悔悟の念が沸き立つのだった。

彼とは高校で出会い、授業の座席が隣であったことからすぐに打ち解けることができた、いわば私の最初の友人だった。名を遼一という彼は内向的な私とは正反対で、それは私が当時抱えていた漠然と燻る不安を一拭いで取り払ってしまいそうなほど外向的で、優しかった。私はパソコンのタイピングが早かったから、授業の隙間時間でそれを遼一に見せたら、彼はイスから飛び跳ねんとばかりに驚いて、褒めてくれた。またそのことを他のクラスメイトに伝えて連れてきては、私にまた見せてほしいとせがむのだった。私は少しばかりの恥じらいと引き換えにして、小さな安息の芽をそこに見出したである。

彼はまた、学校終わりによく私を食事に誘った。思い返せば私は今もそれを不思議に思うのだが(何せ彼のような気さくな人間は同じような人を好んで誘うものだと思っていた)、彼は何回も私を誘った。前述の通り彼と私の性格は正反対で、授業のように共通の話題や課題がなければ関わる要因のないように思われたし、今もその考えが彼との間に少なからず残存している。当時の私はそれを口に出すことなく誘いを受けていたけれど、やはり学校外で会う遼一には、どこか距離を感じざるを得なかった。一方で彼は私に対して特段変わった様子は見せず、最初は私のことについて色々と尋ねてきた。出身はどこなのか、家はどの方向にあるのか、どうしてタイピングが早いのか、彼は自分の質問に質問を重ねる勢いで尋ねてきたものだから、退屈はしなかったが幾分か心労した。それはほとんど学校で会う時と変化はなかった。

そんな彼のことだから、私の近況報告にも逐一過剰とも思われるような反応を示すのだろうかと私は思った。最後に会った日から何が変化したのか、私は思い出してみた。高校を卒業して無事に就職できたこと、しかし私は再び人間関係で苦労していること、それから遼一の繋がりで仲良くなった友人とまたご飯を食べたこと、そして休日は暇を持て余していること……。

現に戻った私は急に虚しさを覚えた。あたかもこれから話そうとしていた朗報を突然忘れてしまったかのような感覚だった。私は焦った。焦る私が宛ら私が彼に何かを隠して、或いは濁しているかのように映って、彼がふっと笑った気がした。彼と会ってからの私は、ただ、静かに線香の燻燃を見ていただけだった。

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