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第4話:鉄錆と朱い霧
ノーチラス号の薄暗い作戦室。
鉄の机の上には、昨日三人で囲んだアールグレイの空き缶が寂しげに置かれ、その横にはギリアムが乱雑に書き付けた何冊かの帳簿が広げられていた。
ギリアムは義眼を鈍く光らせながら、パイプの煙をふう、と吐き出し、アランとリーザを交互に見つめた。
「昨日のアールグレイは格別だったが、あいつは腹を満たしてはくれねえ。……これが今現在の備蓄状況だ。そろそろマズいぞ」
ギリアムが太い指先で帳簿のページをトントンと叩く。
そこには冷厳な数字が並んでいた。
缶詰や塩漬けの肉、小麦粉といった主食はもってあと数週間。
アランの右腕の変異を抑えるための消毒液や医療品も底を突きかけている。
何より、外の朱い霧を濾過するための防護マスクのフィルターの寿命が迫っていた。
「幸い、俺がかつて『鉄の外套』とやり合ってた頃に使っていた、ロンドン市内の隠し倉庫がまだ生きてるはずだ。そこに医療品と未開封の保存食、それに新しい防護フィルターが眠っている」
ギリアムは一度言葉を切り、苦い表情でパイプをくわえ直した。
「だが、外は知っての通りだ。テムズ川の向こうは、街ごとリジェクター(拒絶種)の巣窟になっちまってる。無理に行けとは――」
「……俺が行く、ギリアム。リーザ、準備をしよう」
アランの声には一切の迷いがなかった。
ウイルスに適合させられ、父親の実験体にされてから、アランの口調からはかつての幼さが消え去っていた。
自らの中にある「未完の黒」という怪物と戦い、生き抜くために身につけた冷徹な覚悟。
その言葉を受け、リーザもまた、彼を人間として繋ぎ止める守り手としての決意を瞳に宿して静かに頷いた。
◇
テムズ川の濁った水面へと座礁した、ノーチラス号の重厚な鉄のハッチの下。
二人は無言で装備を確認していた。
英国風のクラシカルなショートジャケットに、膝丈のハーフパンツ。その上から朱い霧を防ぐ重厚なロングケープを羽織ったアラン。
変異を続ける右腕に合わせて、ケープの右袖はあらかじめざっくりと裂かれ、何本もの革ベルトでルーズに留められている。
アランは左手に上質な黒い革手袋をはめ、その口元を歯でくわえてぐっと深くはめ直した。キュ、と乾いた革の音が、静かなハッチの下に響く。
隣では、使い込まれた茶の革手袋をはめたリーザが、アランの前に立った。
動きやすさを重視した、スタイリッシュな細身のパンツに、膝下までを覆う頑丈なロングブーツ。
その引き締まった腰回りには、工具や護身用の武器が詰まった革のガンベルトが、きつく締め上げられている。
リーザは、アランの顔を覆う重厚なガスマスクの紐を、後ろから丁寧に、きつく結び直した。
朱い霧を拒むための円形のガラスレンズ、そして不気味に突き出た金属製の濾過フィルター。
息を吸うたび、マスクの弁がカチ、カチと冷たい金属音を立てる。ガラスのゴーグル越しに、二人の視線が重なった。
アランは、人間の手である左の革手袋で、リーザの手を強く握りしめた。
「行こう」
鉄のハッチが重々しく開く。
見上げたロンドンの街並みは、建造物の至る所がリジェクターによって肉の壁のように変貌していた。
そのおぞましい筋繊維の隙間からは、絶え間ない軋み音――意識だけを残された者たちの悲鳴と共に、呼吸に連動するかのように朱い霧が絶え間なく吹き出している。
二人は、その朱い地獄の底へと、静かに足を踏み出した。
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