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憧れたのが罪だと言うのならば、
望んだのが咎だと言うのならば、
願ったのが業だと言うのならば、
私はいったい、どうすればよかったんだろう。
絵師にとっての命≒利き手 澱
痛いほどの沈黙が真っ白な病室を満たしていた。
窓がないから今が朝なのか昼なのか夜なのかも分からないが、それでも今、絵名は独り、膝を抱えてベッド上で哭いていた。
涙すらも流せずに、哭いていた。
「何、……やってるんだろ、私…………」
奏にあんなことを言いたいわけじゃなかった。
瑞希にあんな風に接したいわけじゃなかった。
まふゆに、
『ほんと、…………羨ましい』
まふゆにだって、あんな形で怒りたいわけじゃなかったのに。
『25時、ナイトコードで。』の仲間たちがお見舞いに来てくれて、嬉しかったのに。
「…………こんなの、……馬鹿みたいだよね……っ」
喪って、失って、うしなって、
それが只管に辛くて、痛くて、怖くて、
だから八つ当たった。
どれだけ待っても絵名の右腕利き手は返ってこない。現代医学の粋を集めた所で絵名の右腕利き手は2度と、2度と元には戻らない。最高性能の義手を付けたところでどうしたって前と同じようにはできない。
義足を付けた人間はオリンピックに参加できないように、
暗闇でゲームをし続けた人間の視力が落ちてしまう様に、
青春は1度しか体験できないように、
失くしたモノは戻らない。喪ったモノは返ってこない。消えたモノはもう手に入らない。
つまり、もう絵名は抱えていくしかないのだ。
右腕利き手を喪ったという――――――手に入れられるはずだった栄光未来はもう絶対に掴めないという現実を、抱えて生きていくしかない。
「……なんで」
空っぽの瞳で右腕があった場所に目をやる。たったそれだけの行動で、絵名の心臓は張り裂けそうになる。
無論、絶望で。
「……………なんでぇ」
だって、『無』いのだ。
『亡』い。
『失』い。
そこに、あるべきモノは『な』い。
命よりも大切な、命よりも大切にしていた、命よりも大切だった右腕利き手は、もうない。
『な』い。
「なんで、……私なんだろう……?」
絵名じゃなくてもよかったはずだ。
絵名じゃない方が世界の為になるはずだ。
どうして、よりにもよって絵名だったのか。
どうして、よりにもよって絵名でなければいけなかったのか。
死ぬべき塵は、
死すべき屑は、
死んでもいい奴は、
絵名の他に大勢いるはずなのに。
「なんで、……私だったの……?」
刑務所の中にいる詐欺師も、
親の庇護下から外れようとしない引きこもりニートも、
居眠り運転で人を轢いた殺人鬼も、
絵名よりもよほど、罰を受けるのにふさわしいはずなのに。
悉く、叶わない。
盡く、敵わない。
欲しくて欲しくて手を伸ばして、なのに手に入らなくて、そして『それ』はよりにもよって絵名の仲間が持っていて、その仲間はなぜか絵名が求めてやまない『それ』を手放そうとしていて。
だったら私にちょうだいなんて、
いらないなら私にくださいなんて、
そんな無様が面を上げようとする。
「なんで、……私が、……私だけがっ」
こんなにも頑張っているのに、
あんなにも頑張っていたのに、
そんなにも頑張っていても、それでも?
努力。
才能。
奇蹟。
夢想。
憧憬。
別離。
そして、不幸。
運が悪かったという、事実。
「なんでぇ……っ……うぅうぅあうぅあうぁうあうぁうぅあうあうぅあああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
無様に泣き喚いて何の意味があるのか。
滑稽に不幸を自慢してどんな意味があるのか。
喪ったモノを数えても意味がない。
無いものは無い。そんな単純なことが理解できないほど絵名は馬鹿ではないだろうに。
泣いて、哭いて、啼いて、子供のように只管に大声で泣き叫んで、
それで戻ってくるとでも思っているのか?それで返ってくるとでも思っているのか?
良い子にしていればサンタさんがプレゼントを届けに来てくれるとか、
赤ちゃんは鸛コウノトリが運んでくるとか、
努力さえすれば夢は叶うとか、
そんな戯言を信じているのか?
だったら、
だとすればこれは当然の報いだ。
夢見る少女は高すぎる夢に1人で挑んで独りでに敗れた。
これはただ、それだけの、極ありふれた物語に過ぎず。
「奏、……奏ぇ………………」
けれど、もしも、もしもそこに1つのアクセントを加えるのだとすれば、
仮に女の子が『砂糖とスパイスと素敵な何か』でできているのだとすれば、
あるいはまだ、終わっていないのかもしれない。絵名もまだ、終わってはいないのかもしれない。
独立していても孤立してはいないから。
孤高であったとしても孤独ではないから。
「歌、…………『25時、ナイトコードで。』の、曲」
ベッドの端に置いたスマートフォンを手に取る。
その中には、歌が、曲が、絵が、動画が入っている。
事故にあう前に作っていた音楽の完成形。絵名が意識不明だった間にも奏たちは音楽を作っていた。誰かを救えるための音楽。空っぽな心で生み出された歌。からかい交じりに作られた動画。
『25時、ナイトコードで。』としての新曲。
絵名ではもう作ることのできない、絵イメージイラスト。
『聞いてほしい、……絵名に。……この曲に、全部込めたから』
そんな戯言をほざいて、奏は絵名にスマートフォンを渡した。
意地悪だ。本当に、最低の悪意だ。
もう描くことのできない絵を見せようだなんて、もう絵名は『25時、ナイトコードで。』の一員として活動することすらできないというのに、それなのに『25時、ナイトコードで。』の新曲を見せようだなんて。
そんなの、酷すぎる。
「奏、まふゆ、…………瑞希……………」
けれど、絵名の左手は勝手にスマートフォンのロックを解除し、その中に込められた音楽を再生しようとする。
それはなぜか?どうしてなのか?
辛いだけだと分かっているのに。
苦しむだけだと知っているのに。
それでも指が止まらない、止まってくれないのはなぜか?
『ほんと、…………羨ましい』
分からない。
分からないけれど、きっと絵名はまだ、本当は、
奏と、
まふゆと、
瑞希と、
――――――一緒に音楽を作りたいと、そう思っていて、
「―――――――――――――ぁぇ?」
だけど、絵名は気付いてしまった。
『25時、ナイトコードで。』の新曲を再生する前に、気づいてしまった。
『25時、ナイトコードで。』の新曲の1つ下にある、その文字列に。
「『Untitled』……?」
だから、きっとまだ最後の希望は眠っているのだ。
厄災パンドラの箱に残ったのは希望のはずだ。
縋ってもいいはずだ。
頼ってもいいはずだ。
まふゆと同じように、
――――――辛い、苦しい、痛い、厳しい、嫌いな、怖い、崩れた、怖ろしい、哀しい、震える、強すぎる、泣きたい、難しい、悍ましい、溺れる、壊れた、死にたい、思い通りにならない、叫びたい、酷い、凄まじい、目を逸らしたい、見たくもない、歩みを止めたい、聞きたくない、感じたくない、怖気の走る、哭きたい、疲れ果てた、苦い、切り裂かれた、絞められた、叩かれた、傷まれた、
そういう感情感傷の終わりで、
――――――消えたい現実世界から死にたい空想セカイに逃げたっていいはずだ。
「…………………………………………………」
だから絵名は、
『誰よりも消えたがってるくせに』
絵名は、
『ボクは、ちょっと寂しいなって』
絵名は、
『わたしが作り続ける』
絵名は、
『悔やむと書いてミライ』
絵名は、
「……………………………………………………右腕を喪った私に、」
一説によれば、厄災の箱の中に残った希望は、
未来視だった、とされている。
「価値なんて、……もう、無いよね」
だから絵名は、その『Untitled』を――――――