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「毎日、本当にごめんなさい。克巳さん、お仕事が忙しいのに」
「いや、いいんだ。こうして少しでも逢うことができるだけで満足だし、それに理子さんの安全が一番だからね」
どこか寂しそうに笑う克巳さんの袖口を、思わずぎゅっと掴んでしまった。
「……今日もお仕事?」
ふたりきりで逢うのは、最近は会社の行き帰りだけ。Hはおろか、キスもしていない。私を送ったら、すぐさま銀行に戻ってしまうので、彼女としては当然、欲求不満が溜まっていた。
「内部監査が入るかもしれないって、噂があってね。それに向けて、いろいろと調整しなくてはならないんだ」
ごめんと言いながら掴んでいる袖口の手を、そっと外されてしまう。
「私の方こそ、ごめんなさい。いつもありがとう」
笑いかけながら言うと、克巳さんは頷きながら手を上げて、身を翻すように去って行った。
大好きな克巳さんの背中を、ぼんやりと眺める。どんどん小さくなっていく彼の姿を見ていると、どうしても別れがたくて、家の前で突っ立っていたら――
「今度時間ができたら、いろいろ話し合おう!」
私の視線に気がついたのか、数歩進んだ先で不意に立ち止まり、振り返ってわざわざ声をかけてくれた。
(――話し合う? 愛し合うの間違いじゃなく?)
小首を傾げるとそれが了承だと思ったのか、銀行に向けて歩いて行ってしまった。
釈然としないまま家の中に入り、靴を脱ごうとしたとき――
ピンポーン!
さっきのことで、もしかしたら克巳さんが戻ってきたのかもしれない。
喜び勇んで返事もせずに扉を開けたら、芸能人スマイル全開の稜くんが、目の前に立っていた。
「やぁ、リコちゃん。元気そうだね、おっと♪」
慌てて締めようとした扉を片手で易々と押えられ、正直すっごく焦った。
「なにしに来たの? アナタに用なんてないから!」
「俺はあるんだけど。克巳さんのことについてなんだけどね」
その言葉で躰の力が抜けてしまい、扉が開けっ放しになってしまった。だけど稜くんは立った場所から動かず、目の前にスマホをかざして、どこか嬉しそうに微笑みを湛える。
「あの人、浮気してるよ。証拠写真バッチリ、スクープしちゃった♪」
「……ぅ、嘘だよ、そんなの。合成とかしたんでしょ」
「えーっ、疑うの? 俺ってば撮るより撮られる側なんだけど。写真の加工の仕方なんて、全然知らないよ」
酷いなぁと言いながら、写した画像を見せてきた。そこには優しく微笑んでいる克巳さんと、肩を抱き寄せられた髪の長いキレイな女性が並んで立っていた。
「何、これ……」
「あ、これね。ホテル街に向かう途中の交差点で、信号待ちしてるとこじゃないかな。そこを車で偶然通りかかって、見つけちゃったんだよね」
他にも二人が並んで歩いてる写真を数枚見せてくれたんだけど、何がなんだかわからなくなってしまった。あの真面目な克巳さんが、浮気をするなんて――
「リコちゃんと二股かけるなんて、正直ビックリだよね。そんな人には見えないのにさ」
「……悪いけど帰ってくれないかな。ひとりになりたいから」
「だよねぇ、ショック受けるよ。俺はこんなことしない男だから、そこんとこ覚えておいてね。じゃあ」
(ただ写真を見せるためだけに、稜くんはやって来たの?)
やけにあっさり帰る彼に、違和感を覚える。どうしてこのタイミングで、ここに来たのか……しかも最近の克巳さんの態度がおかしいし、もしかして何か知っているのかもしれない。
「ちょっと待って!」
思わず稜くんの腕にしがみ付き、引き止めてしまった。
「わっ、積極的だね、リコちゃん♪」
「そんなんじゃなくって、その写真いつ撮ったの?」
稜くんの嬉しそうな表情にハッとし、掴んだ手をすぐに放して、怒った口調で訊ねてみた。
「確か二、三日前だよ。どんなアリバイが聞けるか、楽しみだね」
肩まで伸ばした髪を、ふわりとかき上げながら告げる。俺を見てよと言わんばかりのその態度が、今はどうにも煩わしくて、顔を俯かせてしまった。
「そう……」
「リコちゃんにそんな顔させる克巳さん、俺は許せないな」
言いながら私を、ぎゅっと抱きしめてきた。克巳さんとは違う躰つきとフローラルのような香りが、更に混乱を招くように感じる。そう、この感じは――
「何かあったら相談に乗るから、遠慮せずに言って」
耳元で囁いたと思ったら、呆気なく解放された躰。呆気にとられた私の頭を優しく撫でてから、去って行く稜くんの背中を、いつまでも見送ってしまった。
さっき見送ったばかりの克巳さんの背中と稜くんの背中が、何故か重なって見えてしまうのは、どうしてだろう?