青桃 百鬼夜行
今宵も、空は赤く滲んでいた。
山の頂きに広がる鬼の座敷――炎に照らされ、杯が何度も掲げられる。
笑い声、叫び声、骨の軋む音。
人も妖も区別なく混じり合い、ただ「夜」に酔いしれていた。
「さあさあ、今宵も無礼講や!」
天蓋の下、鬼の王――酒呑童子、まろが豪快に笑う。
赤らんだ頬、黄金の瞳。乱れた黒髪の隙間から覗く角が、火の光を鈍く弾いた。
「飲めぇやないこ!お前、まだ盃半分も減っとらんやんけ!」
「うるせぇなぁ、まろ」
ぬらりひょんのないこは、ゆらゆらと座敷を漂うように立ち上がる。
足音ひとつ立てず、影のように酒瓶を手に取った。
その顔には、常に飄々とした笑み。けれどその瞳だけは、夜の底よりも冷たい。
「俺ぁな、酒なんかより面白ぇことが好きなんだよ。……なあ、まろ」
「なんや、またイタズラでも思いついたんか」
「いや。遊び、だよ」
ないこの指先がひらりと動いた瞬間、座敷の灯がすべて消えた。
暗闇の中、鬼たちのざわめきが静寂を破る。
そして、闇の中に一本の赤い糸が浮かんだ。
まろは目を細めて笑う。
「ほう……また念じよったな。ぬらりひょんの術っちゅうやつやろ?」
「名前を呼べば、みんな俺の声に従う。そういう“遊び”さ」
ないこの声は、まるで水底の鈴のように響く。
「“踊れ”」と呟いた。
次の瞬間、鬼も死人も骸も――全てが立ち上がり、狂ったように踊り出した。
「やい、やい、踊れや踊れ!」
血と酒と炎の渦の中、まろが腹を抱えて笑う。
「ははっ!お前ほんま、ええ性格しとるわ!」
「だろ?俺、質が悪いんだ」
「そんなん、お互い様やろ!」
笑いながら、まろは大盃を手に取る。
酒ではなく、さっきまで蠢いていた蟒蛇の生き血を注ぎ、喉を鳴らした。
「くぅ……うまい。地獄の味やな」
「趣味悪ぃな」
「お前に言われたないわ!」
再び灯がともると、座敷の中心に一匹の猫が現れた。
片足のない黒猫が、鈴のような声で笑う。
「ソコ行ク御嬢サン、遊ビマショ」
赤い紐が首輪に結ばれ、その先には誰もいない。
だが、猫は笑いながらその紐を引いた。
――見えぬ何かが、座敷を這う。
「……おいないこ。お前、また“呼んだ”んか?」
「呼んだんじゃない。“思い出した”だけ」
ないこは淡々と答える。
その横顔に、炎の光がかすかに滲む。
「人も妖も、忘れられりゃ消える。けど――名前を呼ばれたら、また帰ってくるんだよ」
「ほう。ほんまに厄介なもんやな」
「だから面白ぇのさ」
外では風が唸り、卒塔婆が列をなして揺れている。
木の影で、死人たちが歌い出した。
「ソコ行ク御嬢サン踊リマショ」
「足元密かに咲いた花は愚痴ってる」
その旋律に合わせて、まろは膝を打った。
「ははっ、ええ調子やないか! ほら、もっと声張れ!」
彼の号令に合わせて、鬼たちは手を打ち鳴らした。
「らい、らい、結んで開いて」
「らい、らい、羅刹と骸」
声が波のように重なり、座敷の天井を震わせる。
ないこは笑う。
けれどその笑みは、どこか哀しげでもあった。
「……お前ら、ほんと楽しそうだな」
「お前も笑えや」
「俺は、見てるほうが好きなんだよ」
まろは盃を傾けながら、ふと真顔になる。
「ないこ。お前……人の心がようわかるやろ。けど、そんなん背負うてたら、いつか壊れるで」
「壊れても構わねぇよ。どうせ俺たちゃ“記録されねぇ”側だ」
ないこの言葉が、静かに夜気を裂く。
まろは、目を細めた。
「ほう。……そんな顔もするんか。ええな」
次の瞬間、炎が強く吹き上がった。
天井を焦がし、座敷の柱が音を立てて裂ける。
鬼たちは歓声を上げ、骸は笑いながら燃えていく。
まろは立ち上がり、盃を高く掲げた。
「さあ、続きや! 今宵は終わらん!」
ないこは立ち上がり、指先で空をなぞった。
その動きとともに、空気が凍りつく。
「“止まれ”」
ぬらりひょんの念声。
瞬間、すべての音が消えた。炎さえ、動きを止める。
「……お前、ようやるな」
まろが笑う。
「まろ」
「ん?」
「俺たち、どこまで行けると思う?」
「地獄の果てやろ」
まろはゆっくりと歩み寄り、ないこの頭をぐしゃりと撫でた。
「けど、それでも一緒に行くんや。お前とならな」
沈黙。
ぬらりひょんの影が、まろの輪郭に重なる。
影と鬼が交わり、ゆらりと溶け合うようにして――夜が深く沈んでいった。
(下らぬ余興は手を叩き、座敷の囲炉裏に焼べ曝せ)
古い唄の一節が、どこからともなく響く。
まろは笑い、ないこは肩をすくめた。
「結局、みんな他人事だ」
「せやけど、俺らだけは違うやろ?」
炎の残光の中で、二人は盃を合わせた。
“からん”という小さな音が、まるで合図のように響く。
「やい、やい、笑えや笑え」
「らい、らい、結んで開いて」
二人の声が重なり、夜が再び動き出す。
踊る骸、歌う猫、泣く鳥。
羅刹も鬼も、みな笑いながら輪になった。
――世界の終わりみたいな宴だった。
だが、夜明けが近づく。
薄い光が差し込む頃、ないこはふとまろに問う。
「まろ。もし次の夜が来なかったら、どうする?」
「そん時は、また作ったらええ。夜なんて、飲み干せばまた生まれる」
「……そうか」
ないこは微笑み、まろの肩に寄りかかった。
煙のような声で囁く。
「なあ、“また明日”って言葉、俺たちも使っていいのかな」
まろは少し考えてから、笑った。
「ええやろ。生きとる奴のもんとはちゃう、“また明日”や」
二人は、もう一度だけ盃を合わせた。
――一つ、二つ、三つで、また明日。
外の風が、燃え残った花を散らす。
座敷の灯が消え、鬼の声も、ぬらりひょんの影も、静かに夜へと溶けた。
誰も知らぬ山奥で、羅刹と骸の宴は終わる。
だが、赤い糸だけが残った。
宙ぶらりんのまま、まだ微かに揺れている。
まるで――また夜が始まるのを、待っているように。
(悪鬼羅刹の如くその喉猛らせ、暴れる蟒蛇の生き血を啜る。
全ては移ろうので御座います。
今こうしている間にも、様々なものが。
――はて、何の話をしていたかな?)
そして、遠くで笑い声。
ぬらりひょんの声が囁いた。
「……さあ、お手を拝借」
一つ、二つ、三つで――また明日。
コメント
4件
一つ二つ三つでまた明日...なんかボカロにそんなのあった気がする... とにかく和風のよさがつまってるッッッ!
まってまって雰囲気好きすぎ問題発生中((🤛🤛 百鬼夜行みたいな和風でしか得られないかっこよさがある...✨✨✨最後のお手を拝借でもう心グワッっって掴まれたよ...😭😭💕(語彙力)