テラーノベル
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主
始まりは、不器用な出会い 早乙女葵(さおとめ あおい)は、新緑が眩しい4月のとある日、満員電車の中で深い溜め息をついた。今日から新しい職場。慣れない環境、慣れない満員電車。人波に押され、よろめいたその時、背後から伸びてきた手が、葵の体をそっと支えた。 「大丈夫ですか?」 低いけれど、どこか甘さを含んだ声が耳元で響く。振り返ると、そこには驚くほど整った顔立ちの男性が立っていた。艶やかな黒髪は無造作にセットされ、切れ長の瞳が葵をまっすぐに見つめている。スーツ姿も完璧で、まるでどこかの雑誌から抜け出してきたかのようだ。 「あ、はい!ありがとうございます!」 葵は慌てて頭を下げた。心臓がドクドクと不規則な音を立てる。こんなにも間近で、こんなにも素敵な人を見たのは初めてかもしれない。 「気を付けて。混んでるから」 そう言うと、彼は何事もなかったかのように視線を前に戻した。その横顔は、完璧すぎて少し近寄りがたい雰囲気を纏っている。葵は彼から目を離すことができず、ただただ彼の背中を見つめていた。 会社に到着し、人事部へと向かう。新しいIDカードを受け取り、部署へと案内される道すがら、葵は先ほどの男性のことが頭から離れなかった。 「今日からお世話になります、早乙女葵です!」 配属されたのは、企画部。元気よく挨拶をすると、部署の皆さんが温かく迎えてくれた。自分の席に案内され、PCを立ち上げようとしたその時、背後から聞き覚えのある声がした。 「ああ、早乙女さん。今日からうちの部署か」 振り返ると、そこには今朝、電車で葵を助けてくれた彼が立っていた。まさか、同じ部署だなんて!葵は驚きで言葉が出なかった。 「彼が、君の教育担当の神崎征一郎(かんざき せいいちろう)さんだ。分からないことがあったら何でも聞いてくれ」 部長の言葉に、葵は目を見開いた。 「か、神崎さん…!今朝は、その…ありがとうございました!」 「ああ、気にしないでくれ。早乙女さん、だったか。これからよろしく」 神崎は少しだけ口角を上げたが、その表情は相変わらず掴みどころがない。これが、憧れの「職場のイケメン上司」というやつだろうか。しかし、あまりにも完璧すぎて、葵は少しだけ萎縮してしまった。 予測不能な距離感 神崎は仕事中は非常に厳しかった。どんな些細なミスも見逃さず、的確な指示を出す。彼の指導は厳格だが、決して理不尽ではなく、常に筋が通っていた。だからこそ、葵は彼の指導を素直に受け入れることができた。 ある日、企画書作成で苦戦していた葵は、終業時間を過ぎても残業していた。資料の山とPCの画面を睨みつけ、途方に暮れていると、背後からコーヒーの香りがした。 「まだやっていたのか」 振り返ると、神崎がカップを二つ持って立っていた。一つを葵のデスクに置くと、もう一つは自分のデスクに座って口にした。 「はい…なかなか上手くいかなくて」 「見せてみろ」 神崎は葵のPC画面を覗き込む。葵は緊張で身体が固まった。彼の顔がこんなにも近くにある。普段はクールな彼の、少しだけ緩んだネクタイと、デスクワークで少し乱れた前髪が、なぜか胸をざわつかせた。 「ここだな。ターゲット層のニーズの分析が少し甘い。もう少し具体的に、彼らが何を求めているのか深掘りしてみろ」 彼の言葉は簡潔で、的確だった。葵は神崎の指摘通りに修正を加え、どうにか形にすることができた。 「ありがとうございます、神崎さん!」 「ああ。今日はもう上がれ。残業はなるべくするな」 そう言って神崎は立ち上がった。その背中を見つめながら、葵は胸の奥で温かいものが広がるのを感じた。 しかし、神崎は仕事以外では本当に無愛想だった。部署の飲み会でも必要最低限の会話しかせず、プライベートな話は一切しない。そんな彼のミステリアスな部分に、葵はますます惹かれていった。 ある日の昼休み、社員食堂で昼食をとっていると、神崎が一人で食事をしているのを見かけた。いつも誰かと連れ立っていることが多い葵は、一人でいる神崎に少しだけ興味が湧いた。意を決して、神崎の席に近づく。 「神崎さん、お一人ですか?」 「ああ」 彼は短く答える。 「もしよろしければ、ご一緒してもいいですか?」 神崎は一瞬だけ、目を丸くしたように見えた。すぐに元の表情に戻ったが、その僅かな変化に葵はドキリとした。 「…構わない」 許可が出たことに、葵は内心ガッツポーズをした。神崎の向かいに座り、ぎこちなく食事を始める。何を話せばいいのか分からず、沈黙が流れる。 「早乙女さんは、休日は何を?」 突然の神崎からの問いかけに、葵は思わず顔を上げた。 「え、あ、私はインドア派なので、家で映画を見たり、本を読んだりすることが多いです。神崎さんは?」 「俺も、似たようなものだ」 意外な答えに、葵は少しだけ親近感を覚えた。完璧な彼が、自分と同じような過ごし方をするなんて。 「そうなんですね!何かおすすめの映画とかありますか?」 「…最近見たのは、サスペンスものだな」 「へぇ!神崎さん、サスペンスお好きなんですね!」 それから、少しずつ会話が弾み始めた。彼の好きなジャンルの話や、意外にも甘いものが好きだという話を聞いて、葵は彼の新たな一面を知ることができた。 感情のさざ波 季節は移り、秋になった。葵は仕事にもずいぶん慣れ、企画部の一員として認められるようになっていた。神崎との関係も、以前よりはフランクに話せるようになった。だが、それでも二人の間には、常に一定の距離があった。 ある日、社内で開催されたフットサル大会に、企画部も参加することになった。運動神経には自信があるものの、フットサルは初めての葵。しかし、神崎が参加すると聞いて、葵は俄然やる気を出した。 「早乙女、お前も出るのか」 神崎が意外そうに言う。 「はい!企画部の勝利に貢献します!」 大会当日。神崎は普段のスーツ姿とは打って変わり、動きやすいウェアに身を包んでいた。その姿は、普段のクールな印象とはまた違い、どこか少年のような無邪気さも感じさせた。そして、その運動能力は抜群で、相手チームのディフェンスを軽々とかわしていく。彼のプレーを見るたびに、葵は目を奪われた。 試合中、葵がパスを受けようとした際、相手チームの選手と激突し、足を捻ってしまった。 「っつ!」 痛みに顔を歪めていると、すぐに神崎が駆け寄ってきた。 「大丈夫か、早乙女!」 焦ったような、少しだけ感情のこもった声。その声に、葵は不覚にもキュンとしてしまった。 「だ、大丈夫です…ちょっと捻っただけなので」 「無理するな。立てるか?」 神崎はそっと葵の腕を支え、ゆっくりと立ち上がらせてくれた。その手は、普段のクールな彼からは想像できないほど、優しくて温かかった。 結局、葵は大事を取って試合を途中退場することになった。神崎は葵の代わりに救護室まで付き添い、湿布を貼ってくれた。 「無理はするな。しばらくは気を付けろ」 「はい、ありがとうございます…神崎さん」 神崎は葵の足首を心配そうに見つめていた。その真剣な眼差しに、葵の心臓は再び高鳴る。彼の優しさに触れるたびに、葵の彼への想いは募っていった。 予測できない彼の行動 ある週末、葵は友人とショッピングモールに出かけていた。すると、偶然にも神崎を見かけた。彼は珍しくプライベートの服装で、カジュアルなシャツとジーンズ姿だった。その横には、華やかな雰囲気の女性が立っている。 「神崎さん…?」 思わず声をかけそうになったが、葵は寸前で口を閉じた。神崎は、その女性と楽しそうに話している。彼の表情は、普段会社で見せるものとは違い、とても柔らかかった。 葵の胸に、チクリと痛みが走った。もしかして、彼女なのだろうか。そう思うと、途端に視界がぼやけてきた。 友人に「ちょっと気分が悪いから、先に帰るね」と告げ、葵はモールを後にした。その日以来、葵は神崎と二人きりになることを避けるようになった。 神崎は、葵の変化にすぐに気が付いたようだ。 「早乙女、何かあったのか?最近、俺を避けているように見えるが」 ある日の残業中、神崎が葵のデスクにやってきて、いつになく真剣な表情で尋ねた。 「え、いえ、そんなこと…」 葵は目を逸らす。やはり、彼に彼女がいるかもしれないことを、自分が勝手に気にして避けているなんて、言えるはずがない。 「何か悩みがあるなら聞くぞ。遠慮はいらない」 彼の優しい声に、葵は思わず涙が溢れそうになった。しかし、ぐっと堪える。 「大丈夫です。少し考え事をしていただけなので…」 そう言うのが精一杯だった。神崎は、納得していないような表情で葵を見つめていたが、それ以上は何も言わなかった。 その夜、葵は自宅で一人、悶々としていた。神崎に対するこの気持ちは、一体何なのだろう。ただの上司と部下ではない、もっと特別な感情。しかし、彼にはもう、大切な人がいるのかもしれない。 数日後、会社のエレベーターで神崎と二人きりになった。沈黙が重くのしかかる中、神崎が不意に口を開いた。 「この前、モールで俺を見かけたのか?」 葵はビクリと肩を震わせた。なぜ、彼がそれを知っているのだろう。 「…はい」 正直に答えるしかない。 「隣にいた女性は、俺の妹だ」 神崎の言葉に、葵は目を見開いた。 「い、妹さん…!?」 「ああ。買い物に付き合わされていただけだ」 そう言うと、神崎は葵の方を見て、ふっと笑った。普段の彼からは想像できない、柔らかくて優しい笑顔。 「何か、勘違いしたか?」 その言葉に、葵の顔は真っ赤になった。勘違いどころか、勝手に落ち込んで、勝手に避けていたなんて、恥ずかしすぎる。 「す、すみません…!その、勝手に変な風に考えてしまって…!」 「別に、謝る必要はない。ただ…」 神崎はそこで言葉を切った。エレベーターが目的の階に到着し、扉が開く。 「早乙女」 エレベーターを降りようとする葵の腕を、神崎が掴んだ。彼の指が、葵の腕に触れる。 「俺は、お前のことが気になっている」 彼の言葉に、葵の心臓は最高潮に達した。思考が停止し、ただただ彼の顔を見つめる。 「だから、他の男と楽しそうにしていると、少し…焦る」 彼の言葉に、葵は全身から力が抜けるような感覚に襲われた。まさか、彼も自分と同じ気持ちだったなんて。 「神崎さん…」 葵の瞳から、ボロボロと涙が溢れ出した。嬉しくて、恥ずかしくて、色々な感情が入り混じっていた。 「泣くな。…嫌なら、無理にとは言わない」 神崎は葵の頬に触れ、親指でそっと涙を拭った。その指が、驚くほど優しかった。 「嫌じゃないです…!私も…神崎さんのことが…」 言葉に詰まりながらも、葵は震える声でそう告げた。神崎は、ふっと優しい笑顔を浮かべた。その笑顔は、今まで見たどんな笑顔よりも、葵の心に深く響いた。 重なり合う想い それから、二人の関係は少しずつ変化していった。会社では、今まで通り上司と部下の関係を保ちながらも、二人の間には秘密の共有が増えた。残業中に二人きりになった時、神崎がそっと葵の髪に触れたり、エレベーターで偶然二人きりになった時に、彼が葵の手を握ったり。そんな些細な触れ合いが、葵の心を温かく満たした。 ある日の仕事帰り、神崎が葵を食事に誘った。二人きりの食事は初めてで、葵は緊張しながらも、胸が高鳴るのを感じていた。 食事中、神崎は普段会社で見せる真面目な顔とは違い、リラックスした表情で話してくれた。彼の意外な一面を知るたびに、葵は彼のことをもっと好きになっていく。 「早乙女は、本当に面白いな」 神崎がそう言って、ふっと笑う。その笑顔に、葵はドキリとした。 「そんなことないです!神崎さんこそ、意外な一面がたくさんありますね」 「そうか?」 神崎は楽しそうに笑う。その笑顔は、葵の心を溶かすようだった。 食事が終わり、店を出ると、神崎が葵の隣を歩いた。いつもはスマートな彼が、この日は少しだけ歩幅を合わせてくれている気がした。 「今度は、どこか行きたいところはあるか?」 神崎が不意に尋ねる。 「え…どこでも、神崎さんと一緒なら嬉しいです!」 そう答えると、神崎は少しだけ頬を緩ませた。 「そうか。では、今度の日曜日、俺の家に来ないか?」 神崎の突然の誘いに、葵は思わず固まった。彼の家…? 「あ、あの…その…」 戸惑う葵に、神崎はにっこりと微笑んだ。 「もちろん、変な意味ではない。俺の好きな映画を一緒に見ないかと思って。一人で見るより、誰かと感想を共有する方が面白いだろう」 彼の言葉に、葵は顔が真っ赤になった。勝手に変な想像をしてしまった自分に、恥ずかしさがこみ上げる。 「は、はい!ぜひ!」 葵は勢いよく返事をした。 週末の甘い罠 約束の日曜日、葵は神崎のマンションの前に立っていた。高層マンションのエントランスを抜け、エレベーターで彼の部屋の階へと向かう。緊張と期待で、心臓がバクバクと音を立てていた。 インターホンを鳴らすと、すぐに扉が開いた。神崎が、Tシャツにスウェットというラフな格好で立っていた。その姿は、普段の完璧なスーツ姿とは全く異なり、どこか親近感を覚えさせる。 「いらっしゃい、早乙女」 「お邪魔します…!」 部屋の中は、予想以上にシンプルで、落ち着いた雰囲気だった。本棚にはたくさんの本が並び、レコードプレーヤーも置いてある。彼の趣味が垣間見える空間に、葵はますます彼のことが知りたくなった。 「コーヒーでいいか?」 「はい!ありがとうございます!」 神崎がキッチンでコーヒーを淹れている間、葵はソファに座って部屋を見渡した。リビングの窓からは、都会の景色が一望できる。こんな素敵な場所に住んでいるなんて、と改めて彼のすごさを実感した。 コーヒーを手に戻ってきた神崎が、葵の隣に座った。二人の距離が、いつもよりも近い。 「見るのは、この映画だ」 神崎が手にしたDVDのタイトルを見て、葵は驚いた。先日、彼と昼食中に話したサスペンス映画だった。 「わあ!あの時おっしゃっていた映画ですね!」 「ああ。早乙女が好きそうな映画を選んでみた」 彼の言葉に、葵の胸がキュンとした。自分の話を覚えていてくれたこと、そして自分を思って選んでくれたことが、何よりも嬉しかった。 映画が始まると、二人の間には心地よい沈黙が流れた。時折、神崎が葵の方を見て、葵の反応を伺っているのが分かった。その度に、葵は心の中で「ニヤニヤ」が止まらなかった。 映画の終盤、衝撃的な展開に、葵は思わず声を上げた。 「うわああ!」 その瞬間、神崎が葵の手をぎゅっと握った。 「怖いか?」 彼の優しい声に、葵は顔を赤くした。彼の温かい手が、葵の不安を和らげてくれる。 「大丈夫です…!でも、ちょっとびっくりしました」 映画が終わると、神崎はコーヒーカップを片付け、再び葵の隣に座った。 「どうだった?面白かったか?」 「はい!すごく面白かったです!でも、まさかあの人が犯人だったなんて…」 二人は映画の感想を語り合った。彼の視点や考察に、葵は感心するばかりだった。 会話が途切れた時、神崎が葵の顔をじっと見つめた。その真剣な眼差しに、葵の心臓は大きく跳ねる。 「早乙女」 神崎の声は、普段よりも少しだけ低い。 「はい…?」 「あの…」 神崎が、ゆっくりと葵の顔に近づいてくる。葵は目を閉じ、彼の行動を待った。 彼の唇が、葵の唇にそっと触れた。優しい、けれど確かなキス。葵の全身に電流が走ったかのような感覚が広がる。 キスが終わると、神崎は葵の額に自分の額を重ねた。 「…好きだ、葵」 葵の心臓は、これ以上ないほどに高鳴った。名前で呼ばれたこと、そして彼の「好きだ」という言葉。全てが、葵の心を震わせた。 「私…私も、神崎さんのことが、好きです…!」 葵の言葉に、神崎は優しい笑顔を浮かべた。そして、もう一度、深くキスをした。 秘密の恋、そして未来へ それから、二人の関係は恋人同士へと発展した。会社では今まで通り上司と部下として振る舞いながらも、プライベートでは誰にも知られない、秘密の恋を楽しんだ。 オフィスで目が合うだけで、お互いの心が通じ合うような感覚。会議中に神崎が葵の方をちらりと見るたびに、葵の胸は温かくなる。エレベーターで二人きりになった時、神崎がそっと葵の腰に手を回したり、指先が触れ合ったり。そんな小さな触れ合いが、二人の愛を深めていった。 休日には、二人でドライブに出かけたり、神崎の部屋で映画を見たり、料理をしたり。彼の意外な一面を次々と発見するたびに、葵は彼への愛しさを募らせた。 ある日のデート中、神崎が葵の手を握りながら言った。 「いつか、みんなに話せる日が来たらいいな」 その言葉に、葵は神崎を見上げた。彼の瞳は、真剣で、そして優しい。 「はい…私も、そう思います」 秘密の恋は、スリルと甘さに満ちていた。しかし、同時に、いつかこの関係を公にしたいという願いも募っていった。 ある日の夜、神崎の部屋で二人で過ごしていた時、神崎が突然、葵を抱きしめた。 「葵…」 彼の腕の中で、葵は安心感と幸福感に包まれた。 「ずっと、そばにいてほしい」 彼の言葉に、葵の心は震えた。 「はい…!私も、ずっと神崎さんのそばにいたいです」 二人の視線が絡み合い、再び唇が重なる。優しいキスは、やがて情熱的なものへと変わっていった。 夜が更けていく中で、二人の愛は深まっていく。この秘密の恋が、いつか皆に祝福される日が来ることを信じて、葵は神崎の腕の中で、幸せな夢を見た。 二人の未来は、まだ見えないけれど、この確かな愛情があれば、どんな困難も乗り越えられる。そう信じて、葵は今日も神崎の隣で、ひそかに「ニヤニヤ」と笑みをこぼすのだった。
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スマホ見るか友達と遊ぶかな?