翌日の天気を伝えるのと同じぐらいの調子で驚愕の事実を告げられ、一瞬で背筋が固まる。
「攫った……?」
「はい。昨晩、あの別荘で貴方が意識を失ったことをチャンスだと思い、スコッツォーリ……いえ、ヴィートから貴方を奪って、私の屋敷に連れてきたんです」
「う、嘘だ、そんな……」
優しくて争いを好まないエドアルドが、そんなことをするなんて信じられない。が――――そう思う反面でセイの脳裏に昨夜のエドアルドの冷徹な顔が浮かび、完全に否定できなくなる。
「だ……ダメだよ、そんな……そんなことをしたら、エドが……」
「殺されますか?」
「そうだよ! ヴィーは僕を絶対に手放さない。例えエドが僕の運命だとしても、傍を離れるなんて絶対に許してくれないし、最悪エドのファミリーまで……」
セイがエドアルドに攫われたと知ったヴィートが、どんな行動に出るか。想像するだけでも指の震えが止まらなくなる。
すぐにでもヴィートに連絡をして、これは間違いだと訂正しなければ。顕著な動揺を晒しながら、セイは自分のスマートフォンを取りに戻ろうとする。と、その腕を掴んで止めたエドが悲しそうに笑った。
「ごめんなさい。今のは嘘です」
「……え?」
「貴方を攫ったというのは私の願望であって、真実ではありません。ですから安心してください。覚えているかと思いますが、貴方は昨日私の威嚇のフェロモンに耐えられず倒れてしまった。本当はすぐにヴィートの屋敷に連れて行こうと思ったのですが、私のフェロモンのせいで貴方のオメガフェロモンが開いてしまったので、急遽変更して私の家に連れてきました」
オメガフェロモンとは発情フェロモンのこと。通常はヒートの期間のみ開くそれは、即座に抑制剤を服用すれば収まるのだが、昨夜のセイは服用する前に倒れてしまった。故に、開きっぱなしになってしまったのだ。
エドアルドは意識を手放したセイをオメガの専門医に診せ、適切な処置をしてくれたのだという。
「でも、エドは大丈夫だったの? エドは僕の……運命でしょ?」
発情したオメガのフェロモンは、アルファの自我を容易に奪う。これがさらに運命の番となればその影響はさらに強くなるはずなのだが、そんな状況から彼はどう逃れたというのか。
近寄るだけでも危ないというのに、エドアルドがセイを連れここまで来たなんて、どうしても信じることができない。
「それなら心配はご無用です。いざという時のために様々な種類の抑制剤を携帯していますので、昨夜も一番強い薬を飲んで何とか凌ぎました」
「一番強いって、そんな薬飲んで身体の方に影響はないの?」
抑制剤は全てが全て無害ではない。アルファの物も、オメガの物も、効力が強くなればなるほど内臓や神経に負担をかけたり、副作用が出たりすると言われている。それが心配になって様子を窺えば、今日のエドアルドは少々顔色が悪いように見えた。
「少し怠いぐらいですから、心配は無用ですよ。それより話を続けましょう。今、貴方が私と一緒にいることは、昨夜の状況とともに既にヴィートに連絡してありますし、彼が戻る明後日の朝まで一緒にいることも了承を得ています」
「ヴィーが? 本当にっ?」
「セイなら予想できると思いますが、確かに最初は難色を示しました。ですが多くのアルファがいる彼の屋敷にフェロモンが開いた貴方を一人で帰すより、私の傍にいる方が安心ではないかと話したら、条件付きで一緒にいることを許してくれました」
「条件?」
「私の抑制剤常時服用と、間違っても貴方を襲わないという誓約を交わすことです」
『約束』ではなく『誓約』という言葉に、ヴィートが渋々頷く姿がすぐに浮かんだ。
ヴィートはああ見えてマフィアの規律を重んじる人間だ。そんな彼に同格のエドアルドが反故にすれば死に直結する誓約を持ち出せば、無下にすることなんてできない。
二人の立場と性格だからこそ成り立つのだと読み切って提示するとは、さすが頭の切れる男だと感心してしまった。
「ですので、セイも安心してこの家で過ごしてください」
「そっか……ヴィーが了承してるなら、僕はここにいた方がいいね」
一番の懸念であるヴィートが許しているのであれば、フェロモンが安定していない今、屋敷にいるよりはこちらにいるほうが安全だ。
「そういえば、あの……男は?」
「さぁ、一応最後に確認した時には息はありましたが、意識はありませんでしたのでそのまま放っておきました。ですので、その後のことは」
エドアルドは男が倒れている隙に用意を済ませ、別荘を出てきたという。
「そう……」
あのプライドの高そうな男が、エドアルドの言葉どおり二度と姿を現さなければいいけれど。ヴィートに昨晩のことが知られた時の恐ろしさを想像し、憎い相手ではあるが安否が心配になってしまう。
「セイ? どうしました、難しい顔をして」
「……ううん、別に何も。えっと、それじゃヴィーが迎えにくるまで、お言葉に甘えさせて貰ってもいいかな?」
「勿論です! 私のファミリーも貴方を歓迎していますから、どうぞ自分の家だと思って寛いでください」
「エドのファミリーが? それは嬉しいな」
自分がヴィート以外の人間に歓迎されるなんて、両親が死んでから一度もなかったため少々むず痒い気持ちになったが、エドアルドに手を引かれて戻った屋敷で紹介された彼の仲間たちは皆、言葉通り優しく、顔を合わせる度にセイに温かな声をかけてくれた。
そんな彼らを見ると、いかにエドアルドがファミリーを慈しみ、そして逆に慕われているかがよく分かって何故か自分のことのように嬉しくなる。
こんな暖かな場所で時を過ごせるなんて夢みたいだ。もしかしたらこの滞在は、魂の番に出会いながらも添い遂げることができない二人に、神様が与えてくれたささやかなプレゼントなのかもしれない。ならば存分に楽しんでしまおうと、セイはいつもの枷を外し、素直な笑顔を浮かべるのだった。
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