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……なんだか妙な客が来たな……
ドアが開いた瞬間の、それが第一印象だった。
ある晴れた秋の日の、静かな平日の昼下がりに、その若い男はやって来た。
明るい、ミルクティーのような色の髪。古着のような海外のロックバンドが描かれたTシャツに、デニム。
長身の、足元は黒い革のブーツ。
パッと見は、売れない若手ミュージシャン、とでもいうような。
東京駅と有楽町駅のちょうど中間あたり、銀座の賑やかな通りよりは少し離れた小さな路地に、この画廊はひっそりと建っている。
亡くなった父からこの店を継いで、間もなく5年が経つ。
やって来るのは、先代からの常連か、たまに海外から日本に絵画の買い付けに来ている客くらい。
冷やかしに来る客もまれに居るには居るけど、すぐに出て行くから。
きっとこの男もそうなのだろうと。
「…いらっしゃいませ」
店の奥から事務的に小さな声でそう言って、俺は目を通していた書類に視線を戻す。
その男は、迷うことなく真っ直ぐに、店の奥まで進んできた。
そして、一枚の小さな絵画の前で足を止める。
展示されている他の絵には目もくれずに、その絵を食い入るように見つめている。
それほど、広い店でもない。
他に客もいない。
ただ低くクラシック音楽が流れているだけの静かな空間で、その男はずいぶんと長い時間、その絵だけを見つめていた。
(…え、どうしよう…)
その真剣な横顔は、どうやら、冷やかしでは無いらしい。
そろそろ声を掛けるべきか…
迷いながらも、俺が男の方に一歩足を踏み出した瞬間、
「あの、すみません」
男が振り向いて、向こうから声を掛けて来た。
「…はい」
「この絵なんですが…」
先ほどから見つめていた絵を指さして、
「値札が…金額が書かれて無いですね。非売品なんですか?」
そうなのだ。
実は先ほどからこの客が見つめていたこの小さな絵は、名も無い画家が描いたもので、売り物では無い。
だから、他の絵にはきちんと値札がついているがこの絵だけは少し離れた場所に、値札をつけずに飾っておいたのだ。
欲しがる客などいないだろうと思っていたから。
冬の海のような、寂しいような静かな青色を、ただ塗り重ねているだけの絵。
「はい…申し訳ありません。そうなんです」
「あぁ……。…やはり、そうなんですね…」
ひどく落胆した様子の男が、肩を落とす。
さらさらとしたミルクティー色の髪がゆれて、アロマオイルのような…紫色の花のような、控えめに香る花のような、安らぐにおいがした。
「あの…なんとか譲ってもらえないですか?」
「いや、あの…」
「無理ですか…? 」
自分より、頭ひとつくらい背が高いその男に、 間近で覗き込まれて、思わず息をつめる。
「まぁ無理…というか…売ることを前提に考えてなかったもので」
「あそうか…」
ううん、と男は困ったように首をひねりながらしばらく考えていたが、やがて諦めたのか、
「分かりました!すみませんでした。困らせて」
「あ…いえ」
「また見に来ていいですか?」
「えっ?」
「この絵。すごく気に入ってしまって。店の外から見えたんです。一目惚れです」
「はあ…まあ別にいいですけど…」
良かった!とその男がふんわり笑った。
太陽みたいな笑顔だな、とぼんやり思った。
「じゃあ今日は帰りますね。俺、若井っていいます」
そう言った後に、俺をニコニコ覗き込んでくる。
「…?」
ニコニコ。
「…っ?」
えっ。
もしかして自己紹介待たれてる…!?
「あ、俺は大森…ですけども」
「大森さんですね!じゃ、また明日!」
「え、あ、はい…?」
また明日…?
手を振りながら店を出て行く若井という男に、条件反射で自分も小さく手を振り返しながら、
(…なんだったんだ、あれ)
やっぱり、妙な客だった。
でも。
居なくなった後も、店の中には紫色の花のようなにおいがしていて。
(…また明日…)
なんだかそれが楽しみなような。
穏やかだけど静かに過ぎていた自分の毎日に、色がつくような。そんな気がしていた。
*
絵画のもっくんさんの雰囲気が好きでして
あんな方が画廊を営んでいたりしたら素敵だなと
何話か続けられたら続けたいと思います