師匠の様子を見に城へ入ろうとすると、顔パスで通過できてしまった。
エルラド公の配慮だと思うが、なんだか釈然としない。
師匠が解析を行っていたのは、地下のとある一室。
警備兵の話では、ほとんど部屋から出ていないそうだ。
「師匠、解析はどんな感じ……」
ノックして中へ入ると、壁に向かってぶつぶつと何か呟いている師匠の姿があった。
目の下にはクマがあり、今まで寝ずに解析し続けていたことが窺える。
こちらの声に気づいたのか、力なく振り返った。
だがその目には、まるで生気を感じない。
「……足りないパーツ……もしかして……」
僕を見ながらぼそぼそと何か呟くと、徐々に師匠の目に活力が戻っていく。
そして、僕の肩は鷲掴みにされた。
「ふふ……ちょうど良いところに来たわね。今すぐここにアレを流しなさい」
活力戻ってくるどころか血走ってるんですが……。
それにアレを急に流せと言われても……ちょうど良いというのは、ビーフシチューのことかな?
差し入れを持って来たことわかってるなんて、察しの良い師匠だ。
でも……それは聞き入れられない。
「ちょっと意味がわかんないですけど……もったいなくないですか?」
僕が知る限り至高のビーフシチューだよ。
それをこんな何もない部屋で流せって……食べ物を粗末にするみたいでちょっとねぇ。
「もったいぶってんじゃないよ。……まさか、もうなくなったとか言わないでしょうね?」
なくなるどころか、時間遅延のポーチに入ってるのでまだ熱々だ。
……ひょっとして、僕が全部食べちゃったとでも言うつもりかな?
「そこまで僕も食い意地張ってないですよ……ほら」
そう言って僕はポーチから鍋を取り出した。
蓋を持ち上げると、何もなかった部屋に芳ばしい香りが広がっていく。
さて師匠……この香りの前でも、まだ流せだなんて言えるのかな?
「……? そんなんいいから、さっさと流せって言ってんの」
なん…だと……。
僕が思っていた以上に、師匠は冷酷な人間なのかもしれない。
この香りに抗えるなんて、もはや人間かも疑わしいよ。
「こ、この人でなし……!」
見損なったよ師匠。
「は? 人じゃなくなってきてんのはあんたのほうでしょ」
……え? そうなの?
「なんだ、流せって神力のことだったのか……」
ポーチに鍋を戻す。
僕の勘違いだったらしい。
「何をどうしたらシチュー流すことになんのよ」
師匠に呆れられてしまった。
でもね、僕もそう思います。
照れを隠すように、下に向けて手をかざす。
そして自身の魔力の器ではなく、無限とも思える広大な海から水を汲むイメージで、神力を引っ張り出した。
それと同時に、肉体は淡く発光していく。
使うのはこれで3度目だけど、やっぱり発光は避けられないのね……ちょっと恥ずかしいっす。
「ほう……エル、しっかり自分のものにしてたんだな」
リズさんは僕を見て感心していた。
自分のものにしたというか、勝手に使ってるだけというか……。
怒られてないからセーフだよね? という理論だ。
などと見えぬ誰かに言い訳をしつつ、足元に少量の神力を流す。
すると、部屋全体に魔法陣らしきものが浮かび上がった。
「やっぱり……ふふっ、これで……」
どうやら神力に反応したようだ。
師匠は一人興奮したように納得している。
でもこっちはちょっと納得いってない部分がある。
「それで、人じゃなくなってきてるってどういうことですか?」
人の領域を優に超えてるような人はそこそこ見てきたけど……なんなら今目の前に二人いるし。
でも僕はそれに該当しないと思う。
「それだけ自由に使ってればねぇ。あんたのそれ……体が半神化してるようなもんよ」
魔法陣をまさぐりながら師匠はそう答えた。
「半神化……」
半分神になってるということ……?
口に出すと関西弁が出てきそうな言葉だ。
「神の力か……ふふ、それはおもしろいな」
リズさんはどことなく嬉しそうだった。
多分……斬れるかどうか試してみたいんだろうな。
「でも神っていうほどの万能感はないですよ?」
神の力って、もっと何でもできちゃうもんじゃないの?
と、僕は思っていたのだが、どうにもそこまで便利なものでもないらしい。
「そんなもんでしょ。神の力が世界に干渉すること自体、多くの制約が付きものだろうし」
そう言うと、師匠の魔法陣が粒子となって消えていく。
「ふぅ……これであとは通常の転移魔法陣をここに作れば、同じ所へ行けるはずよ」
「じゃあ、僕はエルラド公に報告してきますね」
なんだかすごい重大な事を、何かのついでのようにあっさり聞かされた気がする。
……ま、僕もあんまり実感ないんだけどね。
ここからあとは、敵本陣へ乗り込む人選が始まるのだろう。
いや、もう決まっているのかもしれない。
僕は間違いなく乗り込む羽目になるだろう、と思いながら部屋を後にする。
だがそこで、師匠に引き留められた。
「ちょっと待ちな。さっきの、もう1回出しなさいよ」
まだ神力を何かに使うのだろうか。
師匠の催促に応え、僕はもう1度神力を身に纏った。
「は? 誰が光れって言ったのよ。さっきの鍋出しなさいよ、やることやったらお腹減っちゃったわ」
今度は鍋で良かったんか……
寝不足でふらふらしてた師匠はリズさんに任せ、僕はエルラド公へ報告に向かう。
警備兵の話では、おそらく執務室だろうという話だ。
となると今度は、執務室どこやねん……という話になる。
かといって戻ってまた聞くのもなんなので、適当に探してみることに……。
すると、つい先ほど通り過ぎたメイドたちのひそひそと話す声が聞こえる。
「あれって第2公女様じゃ……」
「珍しい、いつもどこを遊び歩いて……」
……まだその設定残ってたんだね。
というか遊び歩いた記憶なんてないし!
まったく、これじゃおちおち自由に城の中を見て回ることすらできないよ。
……いや、できないのが普通か。
――待てよ?
顔パスで城に入れたのってまさか……いや、そんなまさかねぇ。
……ないよね?
「あ、普通に書いてあるんだ……」
扉上部に、執務室と書かれた一室を発見する。
良かった、公的な場にはちゃんと書いてあるんだね。
だがノックをしても、返事は返ってこない。
「……いないのかな?」
失礼なことなのかもしれないが、おそるおそる扉を開いて中を覗く。
「……ん? おぉ、むす――――我が娘よ。パパに何か用かい?」
――僕はそっと扉を閉じた。
どうやら部屋を間違えたようだ。
だってこちらに気づいた途端、満面の笑みで両手を広げるエルラド公がいたんだもの。
きっとあれは影武者でしょ。
しかし、閉めた扉が再び中から開かれ、エルラド公が顔を出す。
「……なぜ閉める?」
だってなんか怖かったし……。
「そうか、場所が判明したか……」
僕は師匠の解析が終わったことを報告する。
それを、筆を走らせながらエルラド公は聞いていた。
そのままその場は、静寂に支配される。
なんかちょっと……気まずい。
「そういえば、なんでさっきはノックに返事をしなかったんですか?」
以前とは違いセバスさんのお茶が出てこないので、場を繋ぐためにちょっとした疑問を投げかける。
「あぁ、ちょっとこっちに集中しててな……重要機密だ、見せないぞ?」
そう言ってエルラド公は書類らしきものを隠した。
別にこっちは見ようだなんて思ってないのに。
「だがどうしてもというのなら、見せてやらんことも……」
「結構です」
さっき重要機密って言ったじゃん……。
「なんだ、つれないな……面白い事書いてあんのに」
なんでちょっと残念そうなの。
「さて、ルーン殿の解析が終わったなら、明朝には乗り込みたいところだな」
高級感溢れる装飾が施された上着を羽織り、エルラド公は扉へと向かう。
僕はその後ろに付いて行く形になったのだが、エルラド公は取っ手に手をかけたところで立ち止まり、こちらへと振り返った。
「エルリット、お前今15だったか?」
「え? えぇまぁ……もうすぐ16になりますけど」
唐突に歳を聞かれたかと思えば、今度は頭をそっと撫でられる。
「……?」
僕は困惑した。
おっさんに頭を撫でられても嬉しくないし、意味がわからない。
でも……不思議と不快には感じなかった。
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