百合の咲く丘 肆
百合の咲く丘からの帰り道の途中で、俺と同じ年頃の女の子たちの集団とすれ違った。
みんな一様におかっぱ頭かおさげ髪、それにモンペという、いかにも戦時中という格好をしていたけれど、悲しげに笑い合いながら並んで歩く姿は、現代の女子中高生と変わらないな、という印象だった。
「あのときはおかしかったわね。
田中先生が……」
「そうそう、板書をなさっているときに……」
そんな会話が聞こえてきた。
久しぶりに『先生』だとか『板書』だとかいう単語を聞いて思わず、
「うわあ、学校、懐かしいなあ……」
と呟いてしまった。
すちくんがそれを聞きつけて、「そうだよな」と同意する。
「君の学校も学徒動員されたのかい?」
と訊ねられて、俺はぽかんとした。
「ガクトドーイン?なんだっけ、それ」
首を傾けながら言うと、すちくんが大きく目を瞠った。
「え?みこちゃんは学徒動員を知らないのか?いったいどんなところにいたんだ?」
「いや、あはは……」
ごまかし笑いをする俺を少し怪訝に見てから、すちくんが教えてくれた。
学徒動員というのは、簡単にいうと、学生や生徒が軍需産業や食料増産のために動員されるということらしい。働き盛りの男たちが兵士として招集され、戦地に出征することで、働き手がいなくなってしまう。その労働力の不足を補うために、学校に通っていた生徒たちが工場などに行って労働するのだ。
はじめは一時的、断続的だった学徒動員も、最近の戦争激化のせいで継続的なものになって、授業は完全に停止、あの子たちも毎日ずっと工場で働いているのだという。
「俺の妹も少し前に寄越してきた手紙で、『学校に行って勉強したい』と書いていたよ。あの子たちもきっと同じなんだろうな……」
すちくんは遠い目をしていた。
「みこちゃんも、学校に戻って勉強したいと思うか?」
そう訊ねられて、少し考え込む。
俺は、学校なんて、授業なんて大嫌いだった。朝早く起きて登校するのも、眠気の格闘しながら授業を受けるのも、体育の授業で集団行動をさせられるのも、夕方まで学校に縛りつけられてじっと椅子に座っていなくてはならないことも。
でも……今となっては、懐かしい。
だって、俺が今いるこの世界では、あの頃よりもずっと早起きしないといけない。授業中に眠くなるのって幸せなことだったんだな、と思う。つまり、仕事がないから眠くなれるんだ。一日中椅子に座っているだけでよかったのも、本当に気楽だった。俺も、あの女子学生たちも、朝から晩まで食堂や軍需工場で働きづめで、休憩の時間くらいしか椅子に座ることはできないのだ。電化製品がないから、炊事も洗濯も肉体労働で疲れるし。
「うん……そうだね」
俺は素直に頷いた。
「普通に学校に行って、普通に授業を受けて、普通に友達とおしゃべりして。そういうの、失ってはじめて、すごくかけがえのない、ありがたいものだったんだって思う」
俯いて薄汚れた靴のつま先を見つめながら、小さく呟くように言うと、すちくんがぽんぽん、と頭を撫でてくれた。
「……すぐに戻れるよ」
すちくんの言葉の意味がすぐにはわからなくて、俺は目を上げた。
すちくんは決然とした表情で前を向いている。
「日本軍がアメリカに勝てば、全て元通りになる。みんな、みこちゃんも俺の弟も、昔のように学校に通えるようになる。……俺たちが通えるようにしてみせるよ。この命を懸けて」
それを聞いたとき、すちくんが以前、『特攻』という言葉を口にしたのを思い出した。
すちくんは特攻をするつもりなんだろうか。
自爆テロみたいに、爆弾を積んだ飛行機で、自分の身体ごと敵に突っ込んでいくつもりなんだろうか、
なに、それ。意味がわからない。
「馬鹿じゃない?なんでそんなことしなきゃいけないの?そんなことになるくらいなら、戦争なんか、初めからやらなければよかったんだよ」
気がついたときには、俺はそう言っていた 。
言ってから、すちくんの気分を害してしまったかな、と思って、すちくんの顔色を窺う。
でも、すちくんは一瞬目を見開いたあと、少し苦笑い浮かべただけだった。
「たしかに、そうかもしれないね。戦争なんて、やらなければよかったんだ。たくさんの命を失って、たくさんの人を苦しめて、たくさんの人の自由を奪って……」
すちくんは悲しそうな声で語った。
すちくんも、誰か知り合いを戦争のせいで失ったりしたんだろうか。
「……でも、始まってしまったからには、勝たなくてはならない。敗けてしまったら、これまで以上に日本は悲惨な状況になるだろう。戦勝国に占領されて、何もかもを奪われて、兵士たちは捕虜となり、一般市民も奴隷のような扱いを受けてしまうんだよ。俺の弟も妹も、みこちゃんもツルさんも……。そんなのとは、考えただけでも恐ろしくて仕方ながない。だから、そうならないためにも、俺たちは、日本軍は、なんとしてでも勝たなくてはならないんだよ」
静かな口調で語るすちくんの言葉には、一点の曇りもなかった。ただ、強くて、まっすぐで、純粋だった。誰かに言わされているとか、刷り込まれているとか、そんな感じはまったくしなくて。自分の頭でじっくりと考えて、答えを出したことなのだ、と伝わってきた。
だからこそ、俺はなんだか、切ないくらいに……腹立たしかった。
自分でも驚くくらいに低い声で、すちくんに向かって言う。
「……なにそれ、ぜんぜんわからない。ほかの誰かを救うためなら、誰かが死んでも構わないの?誰かを救うためなら、自分の命を失ってもいいの?……そんなの、おかしいよ」
一気に言うと、すちくんは困ったように眉を下げた。
「君の言うことも、理解できるよ。でもね、今はもう、そうでもしなければ、この国を救えないんだ」
駄々をこねる幼子をあやすような手つきで、すちくんが俺の髪をくしゃくしゃと撫でる。
なんだか子供扱いをされたみたいで腹が立って、俺は「勝手に言ってろ!」と怒鳴って走り出した。
コメント
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無理なくで大丈夫ですが、またこの作品の続きがみたいです…!