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耳に心地良い暖かな野山に吹く春風を思わせる音色が鳴り響き、重成は使い果たしたはずの神気が蘇ってくるのを感じた。またそれと同時に何者かの優しくそれでいて強い神気が体内を駆け巡り、折れた骨や裂けた肉が癒されていくのが分かった。
「もう大丈夫だよ。痛いところはない?」
栗色の髪の少女、エイルがにっこりと微笑みながら重成に問いかけた。
その側で敦盛が青葉の笛を無心に吹いている。彼の音色はエインフェリアの神気を回復させることもできるらしい。
「ああ、もう大丈夫だよ。ありがとう」
エイルは元気よく頷き、今度はエドワードの元に駆け寄って行った。
「重成・・・・」
ブリュンヒルデが呼びかけた。彼女が最初にエイルの治療を受けたのだろう。その顔にはかつて見たことが無い程に柔らかく安心しきった笑みが浮かんでいた。
「かなり手ごわい敵であったようだな」
今川義元が語りかけてきた。姜維、ラクシュミーバーイもいる。
「はい。流石は神と言ったところですね。私たちだけではどうにもなりませんでした。マグ二様、モージ様の御力がなければ全滅していたでしょう・・・・」
淡々と答えようと努めながらも、重成は無念の歯噛みを抑えることが出来なかった。これは勝利でもなんでもない。圧倒的な力に屈した敗北感はぬぐいきれなかった。
「済まぬな、重成。お主たちに困難な役目を押し付けてしまって。取返しがつかないことになるところであった」
姜維が白い頭巾に包まれた頭を下げた。
「何を仰るのです。ただ私たちの力量が不足していただけのこと。姜維殿の策には何も間違いはありませんでした。デックアールヴを退け、アルフヘイムを守ることは出来たのでしょう?」
姜維は頷きつつ、若いながらも人柄が練れている重成を賞賛するようにその肩を叩いた。
「それにしても星々を隔てた遥か遠いヴァルハラにありながら重成達に力を貸すとは、やはり神々の力とは大したものじゃな」
ラクシュミーが感嘆の声を出すと、義元が頷いた。
「うむ。我もその領域に達することは本当に可能なのか・・・・」
そう呟く義元の表情に重成は不穏なものを感じたが、問いただすことははばかられた。
「むう、一体どうなっておる。あの悪神はどこに行ったのだ・・・・?」
エイルの治療を受け、傷が完治した又兵衛、ローラン、エドワードが意識を取り戻したようである。
「それにしてもエイルの力はすごいな。これだけの傷を瞬時に治すなんて・・・・」
「エイルという名には「癒し」と言う意味があります。その名の通り、彼女はワルキューレの中でも並ぶ者のない癒し手なのです」
ブリュンヒルデが答え、重成は納得した。エイルのあの全く戦乙女らしからぬ気性は、その生まれ持った癒しの力故なのかもしれない。
敦盛が笛の演奏を止め、ほっと一息ついた。
「敦盛殿、かたじけない。貴殿の笛のおかげで神気が回復しただけではなく、戦で澱んだ気持ちも晴れたようだ」
重成が礼を述べると、敦盛はうやうやしく礼を帰した。
「とんでもありません。僕にできるのはこれぐらいですから・・・・」
「ものすごい破壊の跡だな。重成、本当にお前がやったのか・・・・?」
雷によって割り砕かれた宮殿の跡を見やりつつ、ローランが呆然と呟いたが、重成は頭を振って否定した。
「私ではありません。マグ二様、モージ様がミョルニルの槌を用いてやったのです」
「ミョルニルの槌か・・・・。見たかったなあ」
エドワードが生き残り、傷が完治したことに対する安堵の笑みを浮かべながら言った。
「まあ、何にしてもあの恐ろしい狂った女神を倒すことが出来たんだ。かなり危なかったけれど、ね」
「・・・・」
無邪気に喜ぶエドワードに重成は同調できなかった。
(本当にオーディンの呪いを打ち砕き、グルヴェイグを完全に倒すことが出来たのか・・・・?)
不安と疑問が暗雲のように胸中にたちこめたのである。重成はひそかに感覚を巡らしたが、女神の強大な神気は最早どこにも感じられない。
(そうだ、あれ程凄まじい破壊の力だったのだ。いかに女神といえど耐えられるはずがない・・・・)
重成は己に言い聞かせ、あえて笑顔を浮かべた。
「さあ、アルフヘイムに帰ろう。私たちの任務はまだ終わりじゃないんだ」
「ここは・・・・」
グルヴェイグが意識を取り戻し、その目に飛び込んできたのは暗黒の宇宙空間と星々の海であった。
ミョルニルの槌がもたらす破壊と死の雷霆から逃れ、スヴァルトアールヴヘイムから遠く離れたこの場に来たのは彼女の意志ではない。
絶命に到るはずのその数瞬前に、神に匹敵する強大な力が現れ、彼女を救ったのである。
グルヴェイグは己の体を見た。右半身は完全に消滅し、左半身の腰から下と腕も無くなっている。恐るべきはミョルニルの槌の力である。あの一撃はトールの全盛の力には程遠いはずであるが、確かにオーディンの呪いを貫いたのだ。
だが、このような状態で命を保っているのは、オーディンの呪いの効果が失われていないからでもあった。
「・・・・」
言葉に表現できない程の深甚な怒りと悲しみに苦悶するグルヴェイグの側で焔が出現した。
やがて焔は大きくゆらぎ人の形を取り始めた。紅玉を思わせる鮮やかな深紅の焔を肌に纏い、長い髪と豊かな乳房を持つ巨大な女性の彫像。炎の巨人に他ならなかった。
「お前はムスペル・・・・。いや、ただのムスペルではないな。まさか・・・・」
「その通り。私はムスペルの女王にして破壊の化身たるスルトの妻、シンモラ。初めまして、麗しき狂気の女神グルヴェイグ」
炎の巨人の女王は艶然と微笑んだ。その笑みの奥に神をも凌駕する強大な力を感じ、グルヴェイグは戦慄した。
「ムスペルの女王・・・・。お前が私を救ったのか。余計なことを・・・・」
「これは意外なことを仰る。エインフェリアやワルキューレなどと言う下等な連中の為に高位神である貴方がその命を散らすなど、到底見過ごすことは出来ませんよ」
「・・・・」
「完全なる復讐を遂げたいとは思いませんか?かつては神々のなかでも屈指の美貌を誇った貴方をそのような姿にしたアース神族に。そして貴方を見捨て、追放したヴァン神族に」
黄金の焔を灯した瞳でグルヴェイグの無残な姿をじっと見つつシンモラは言った。
「・・・・」
「貴方が私たちに力を貸して下されば、それは叶うでしょう。神も戦乙女もエインフェリアも一人残さず炎で焼き尽くし、一片の肉も骨も残らず灰とすることが出来るでしょう。どうです、素敵でしょう?」
無邪気と言って良い口調と表情で言うムスペルの女王に生きとし生けるものを焼き尽くし、全ての被造物を破壊せずにはいられない劫火そのものの確固たる意志を見て取ったグルヴェイグは己の忌まわしい宿命をこの時ばかりは忘れ、笑った。
「そうか。お前の狙いが分かったぞ。よかろう、力を貸してやる。その代わり、何人たりとも見逃すなよ。全ての者を焼き殺せ。必ずだ」
瞋恚と狂気の焔をその瞳に燃やしながら言うグルヴェイグに、ムスペルの女王は心からの満足を得たらしく、満面の笑顔で頷いた。