デスゲームが始まったあの日からおよそ一年半。
最前線で戦いへ身を投じるプレイヤーは遂に100層を目前としていた。 殆どのプレイヤーは上層部の方へ赴き、50層より下の層にいるプレイヤーなどほぼ無いに等しかった。しかし、例外もいた。
深い森林が広がる『神霊の樹海』は20層にある序盤のフィールド。
ここにはモンスターの存在する区域は殆ど無く、幾つかの住居で構成されている町がある。『TOWER OF WISHES』では10層毎にこのようなプレイヤーやNPCが住むことのできる安置地帯が存在する。その一つである神霊の樹海では、大勢のプレイヤーが転移魔法陣を用いてやってくる。その殆どのプレイヤーの目的は一つに等しかった。
神霊の樹海の深部にあるには広大な空間が広がっている。
その空間の中心には大きな大樹が聳え立ち、その下には大樹に包まれた建築物がある。そしてその周囲には農地が広がっている。そこにはデスゲームでは重要な回復ポーションなどの製造に欠かせない様々な薬草が農地全てを覆い尽くすように植えられていた。
そう、ここはポーションをはじめとした様々な薬を取り扱うギルド『月蓬の庭』である。
ギルドの入り口前にはそこからから始まる長蛇の列が出来上がっている。一方店内では客であるプレイヤーの1人は目的の物を持ち、会計場にいる1人の少女に声を掛ける。
「アルテちゃん、会計お願い」
「は〜い!」
元気な返事を返して振り向く少女。頭にはヤギのような角と耳を、そして狐のような尻尾を持つ『ヴァルカロ』という種族のアバターの彼女はアルテミシア。
アルテとは、親しい人から呼ばれる愛称である。
揺れるふんわりとした茶髪に自然を映し出す緑眼、そして優しげな微笑みはデスゲームに疲れ果てているプレイヤーたちの癒しになっている。看板娘のような彼女は、紛れも無くこの『月蓬の庭』の営業者であるギルドマスターだ。
アルテミシアは商品を受け取ると、値段を計算する。
「合計3品で1,050カルトです」
「はい、1,050カルト」
プレイヤーは角銀貨1枚と角銅貨5枚を出す。
このゲームでは1円=カルトとなっている。
1カルトは丸い銅貨。
10カルトは四角い銅貨。
100カルトは丸い銀貨。
1,000カルトは四角い銀貨。
10,000カルトは金貨。となっており、四角い硬貨の場合は角銅貨や角銀貨などと呼ばれる。
「確かに頂戴しました。…というか、何でわざわざ私のところで会計に?セルフでできるじゃないですか」
買われた商品を受け渡すと共に疑問を投げる。
「確かに急いでる時はセルフでやらせて貰ってるが、今日はゆっくり過ごすんで、アルテちゃんから癒しを貰うためにここにいるんだよ」
「もうっ恥ずかしいですから、やめて下さいよ!」
2人の会話を聞いていた他の客は微笑ましく笑う。無論、その人達も薬以外にアルテミシアの癒しを目的として来店していた。
「それで、今最前線の方はどうなんですか?私、戦闘には殆ど出てませんので」
思い出したかのように彼は手を叩いた。
「そうそう、ついさっき『聖なる蹄』が100層に到達したと連絡がきたんだ!」
彼の言葉に店近くの外に並んでたプレイヤーも耳を傾けた。
『聖なる蹄』
最もゲームクリアの可能性を秘めた10人の最強プレイヤーで成り立っているパーティ。
そのパーティが100層へ辿り着いたとなると、プレイヤー達がこのデスゲームから解放されるのは目前だという事だ。
「100層に辿り着く直前にその『聖なる蹄』の“炎帝のルカオ”が死ぬ直前だったらしいが、買い貯めたアルテちゃんのポーションのお陰でギリギリ復活したそうなんだ!」
確かに、数日前に『聖なる蹄』のメンバーの術師 “天雷のミーシャ”と呼ばれる人が来店し、アルテミシア特製のフルポーションと蘇生神薬などを大量に購入していった。
それが役に立ってくれたことにアルテミシアは照れ臭くなり、髪の毛をいじっていた。
「流石アルテちゃんの薬だよ。薬草師スキル極めてるのアルテちゃんしかいないし、チート並のポーションも揃ってるくせにスゲー安いし」
店内にいるプレイヤー全員が彼の発言に強く頷く。
このゲームでは様々な役職があり、プレイヤーは必ず一つ以上の役職を持っている。だがその殆どのプレイヤーは戦闘関連の役職を担っていて、生産職を持ったプレイヤーは少ない。その中でも『薬草師』という職業を持つ者はひとつまみにも満たない程なのだ。そしてアルテミシアは貴重とされていた、薬草師の1人であった。
周りから凄く褒められるアルテミシアは首を大きく横に振る。
「そんな事は無いですよ…。私、戦うのが苦手で皆さんを陰からサポートする事しかできないし、一応術師として戦闘に出た事があるんですけど、使える魔法で戦闘用のものが殆ど使えなくて……」
「いやいやいや、貴重な薬草師な上に[神薬師]っていう称号持ってるだけで十分過ぎると思うけど!しかも4体の大精霊を従えてるんでしょ!」
店内にいるプレイヤー全員が彼の発言に更に強く頷く
「あれは成り行きで…」
「あれで成り行きなのか……?」
疑いの目がチラホラ見える中、その目線に耐え切れずアルテミシアは赤面する。
「はいっ!これで満足しましたよね!まだ並んでる人たちがいるんで帰った帰った!」
更にカウンターを叩く。その叩きはどんな最弱モンスターでも1ダメージも食らわせる事ができないだろう。そんなアルテミシアにほっこりしたプレイヤー達は『月蓬の庭』を後にしたのだった。
偽造の昼の空が端から夕暮れ時の空色に変わってゆく。
今日の最後の1人の客であった人を店前で見送ったアルテミシアは動かした身体をほぐすよう背伸びする。
「今日も疲れたぁ。……そうだ」
何か思い出したアルテミシアは何人かの名前を呼ぶ。
「フレイズ、カナタ、エオド、ルル、ポコナ、マリスケ」
強い風も起こらぬこの空間に、柔らかな突風が巻き起こる。リン… 鈴の心地良い音色と共に女性の声が聞こえた。
「何用どすか?アルテミシア様」
アルテミシアは完全に京都弁の声が聞こえた、真後ろを振り返る。
そこには4人の少年少女と2匹の生き物がいた。
赤髪金眼の冷徹な美青年。
茶髪緑眼の中性的な美少年。
水色髪青眼の活気溢れた美少女。
銀髪水色眼の穏やかな美人な女性。
この4人は揃って普通の人間のような見た目をしているがプレイヤー達の場合、 完全な人間の姿をしている人は誰1人ともいない。何故なら元々このゲームの設定上、人間は居なく獣のような耳や角、尻尾などの特徴を持つ、よく言う『獣人』の類に入る種族しか居ないからであり、プレイヤーは皆獣人のアバターを自身で作り上げてそれを操作してた。
ではこの4人は何故人間の姿をしているのか。
それは彼らがプレイヤーではなく、そして人間でも無い『精霊』の類にいるからだ。しかし普通の精霊は動物の姿を象っているので、彼らの場合は大精霊という高い地位を持っているから人間の姿をしている。
赤髪は“炎の大精霊”のフレイズ。
茶髪は“地殻の大精霊”のエルダオルド。
水色髪は“清流の大精霊”フォールル。
銀髪は“嵐の大精霊”カナタ。
エルダオルドとフォールルは名前が長いのでエオドとルルと呼ばれている。
変わって、動物をした者たちは4人の精霊とは異なり、『妖精狸族』と『妖精猫族』という獣人に近い種族である。どちらの種族も身長は約50cmくらいしか無い小さな種族。見た目は動物の狸と猫そっくりで、違う事とすれば二足歩行で言葉が使える事。そして変化の術を得意とすることだ。
『妖精狸族』の方は女性のポンコ。
『妖精猫族』の方は男性のマリスケである。
そんな彼らは主人であったアルテミシアに突如呼び出された。アルテミシア自身からも4人と2匹に目を合わせず、俯いているので話が進まずにいた。
「大将、どうしたんですかにゃ」
先手を取って、マリスケがアルテミシアに尋ねる。皆、アルテミシアに目を向ける。一度深呼吸をした彼女は覚悟を決めたようで、言葉を紡いだ。
「みんな、実は最前線にいるパーティがついに100層に到達したらしくて、もしかしたらこのデスゲームから解放されるかもしれないんだ……うわあ!」
背後を強く叩かれたアルテミシアは体勢を崩す。
「なんだ、凄くおめでたいじゃん」
彼女を叩いたのはフォールルだった。
NPCだから無感情、無表情であるが何となく喜んでいる雰囲気がフォールルだけに限らず全員から感じられた。それはアルテミシアを困惑状態に導いた。
「なんで辛気臭い顔してるの」
エルダオルドは小さな身長に似合わぬ力でアルテミシアを起こす。
「だって、デスゲームから解放されたら、私は元の世界に戻る。だけどみんなは…この世界に残ってしまう。それってっ」
「アルテにはアルテの世界があるように、俺たちにも俺たちの世界がある。だが…」
「残り少なくとも俺はまだアルテと過ごしたい」
フレイズはそう言いアルテミシアの手とフレイズの手を組み合わせる。
「うちらも同じどすよ〜」
付け加えるようにカナタは言うと、アルテミシアの手を繋ぐ。それを始めとして、全員がアルテミシアへ駆け寄る。
プログラムな筈の彼らはまるで、本当に感情があるかのようだとアルテミシアは思った。
その時、全プレイヤーの通知画面に連絡が届いた。
アルテミシアは普段戦場に出ないし、フレンドも殆ど居ない。僅かにいるフレンドの1人は通知を一切使わずわざわざ手紙を使って連絡するので、常にミュートをオンにしている。しかしそれなのに通知音がしたので、慌てて通知画面を開く。
《願いの塔が踏破されました 》
そして全階層で同じ文がアナウンスされる。何度も何度も。
「塔を…クリアした!私、やっと現実世界に戻れるっ!…あっ」
喜びに我を失っていたが、他の人がいる前だったことを思い出す。もし他の人がプレイヤーだったのなら、喜びを盛大に分かちあっただろう。だが、それがNPC、しかもこの数年間を共に過したもの達がいた場合ではその態度は取ることができなかった。
「やったな、頭」
「もっと喜びな」
エルダオルドがアルテミシアの肩を叩き、ポンコが彼女の頭にひょいと乗り、祝いの舞を踊る。
「ちょ、ちょっと〜!」
頭の上で動き回るポンコを持ち上げ、腕に抱く。アルテミシアはポンコの頭を撫でながら、ログインしているプレイヤー数が確認できるアイテム[生存の書]を広げた。少しずつ、そこに記されているプレイヤーの名前が消滅してゆく。
「私も行かなきゃ……だけど…」
ポンコを下ろし、全員を見つめる。
「これまで、どんな困難が立ちはだかった時も、私が挫折しかけた時も、全てが終わったこの時も……どんな時も私の傍に寄り添ってくれて、ありがとう。みんな、大好きだよ!」
「ってこの気持ち、NPCに分かるはず無いよね…」
苦笑いをしたアルテミシアだったが、全員を彼女の近くに寄らせた。そしてみんなを彼女の腕と言葉で抱擁した。
「じゃあ、またね」
10秒過ぎただろうか。
アルテミシアは腕を解き、ログアウト画面を開いた。
「これが、別れか…」
嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも背負って、彼女はログアウトボタンを押す。
グサッ
「……は?」
何かが突き刺さるような音がした。
アルテミシアは何が起きたのか理解出来ぬまま、地面に倒れる。倒れる瞬間、フレイズたちが近寄るのが見えた。
酷く重く感じる体を無理やり起こす。
「うそ…」
腹部に深く刺さる黒い矢が刺さっているのが見える。
モンスターを倒した時に結晶化して消えるのだが、その結晶がアルテミシアの損傷から血液の代わりのように溢れて消えている。
まさか、と頭に過ぎった最悪の場合じゃない事を証明してやると〔状態画面〕を開く。
「HPが残り少ない…徐々に減少してる…」
嘘だ、嘘だ、と突き刺さっている矢を無理矢理抜き、矢を鑑定する。
「『睡蛇の矢』?これに射貫かれた者はHPが0になるまでHPが減少する。この呪いを解けるものは無い。って……」
声に出ない悲鳴をあげる。
アルテミシアに映るのは21、20、19、18 と減り続ける自身のHPだった。
酷い耳鳴りが、感じられない痛みの代わりに恐ろしい程の恐怖が湧き上がった。 マリスケとポンコが声を掛けているのだろうが、彼女には聞こえなかった。
先程見たクリアの通知には小さかったが、確かに続きがこう書かれていた。
《ログアウトするまで、このデスゲームの機能は続きます》……と。
クリアした後でもこの世界で死んでしまえば、それは現実の死に直結する。
「み、んな……」
この世界で、最も愛していた4人と2匹の契約した者たちへ向き。
5、4、3、2、
「ごめんね」
1…
彼女は涙で崩れた酷い顔で、笑った。
…0。
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