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「なっ……!」
伝えられた衝撃的な事実に、一瞬で息が喉で詰まった。寒さで悴む指が自然と首筋に向かう。
「うそだ……だって昨日、ぼくたちは……」
昨夜、確かにエドアルドは項に歯を立てた。その記憶は今でも鮮明に残っている。だから嘘のはずがない。
「俺もここへ来るまでは、エドアルドの方便だと疑っていたよ。でも、さっき湖からセイを引き上げた時に項を見て……嘘じゃないと分かった」
それは即ち、セイの項にアルファの歯形がなかったということだ。
「そんな……信じられないよ、だって僕ら、運命なんだよ……?」
魂の対同士のフェロモンは意思や感情すらも凌駕し、相手を酔わせる。その強さは近づくだけでも自制心を揺るがせるほどなのに、体内中のフェロモンが最大まで解放される性交中に相手の項を噛まないよう欲を抑え込むなんて不可能だ。
実際、セイだって昨晩は欲の獣に成り下がっていたし、エドアルドも衝動に従順となっていた。それはこの目で見たのだから間違いない。
「うそだよね、エド……僕を番にしなかったなんて……」
寒さではなく悲しみで唇を震わせながら、湖から上がったエドアルドを見つめる。すると、ポタポタと雫が落ちる前髪の奥になった彼の瞳が、辛そうに細められた。
「…………ごめんなさい。昨晩、私は貴方のフェロモンが開いた直後に即効性の抑制剤を飲みました」
「っ! ど……うして……?」
「貴方と…………番にならないようにするためです」
エドアルドの口から一番聞きたくない言葉を言われ、辛さのあまり心臓がぎゅっと嫌な痛みを発した。
「エド……ぼくと番になるの……いやだった……の?」
「っ、そんなことありません! 貴方から項を噛んで欲しいと頼まれた時、私は心が震え上がるほど嬉しかった。それは嘘じゃない。ですが……あの時、同時に母の顔が浮かんだんです」
「エドのお母さん……?」
「前に話したでしょう? 私の両親は運命の番同士で、母は父が死んだ後、後を追うようにして衰弱死したと……。もしここで貴方を番にしてしまったら、きっと同じ結末を迎えてしまう。そう思ったら……」
ヴィートとのことも考え、セイの項を噛むことができなかったのだと語る。
「私は昨日、貴方に会えた時点で死を覚悟しました。ヴィートは絶対に私を許さない。だから被害を最小限で抑える策を講じたんです」
「それが……自分ひとりで死ぬことなの?」
「……ええ」
躊躇いなく頷いたエドアルドの姿に、涙が止まらなくなった。
「ひどいよ……エド……そんなの……」
昨晩、項にエドアルドの吐息を感じたあの瞬間が、人生で一番の喜びだった。全身の細胞全てが愛おしい対の色で染まり、ようやく彼だけの所有物になれたのだと最高の気持ちに浸っていたのに。
それが蓋を開けてみれば、エドアルドの方が先に死ぬ覚悟を決めていて、しかも番にすらして貰えていなかっただなんて。
怒りなのか、悲しみなのか、それとも不服か。どの感情が込み上げてきているのか分からないが、騙されていたことが納得できなくてエドアルドから視線を大きく逸らす。と――――。
「プッ、クッ……ふふっ……」
セイを抱えていたヴィートが、面白いことを発見したかのように突然吹き出し、笑い始めた。
「ヴィー……?」
どうしてこんな緊迫した場面で笑い出すのだ。二人の仲を引き裂きたい人間として、今の状況が嬉しくて仕方ないとでも言いたいのだろうか。場にそぐわない態度に腹が立ち、睨みつける。
けれどヴィートはそんな顔しても怖くないと言わんばかりに、言葉を続けた。
「酷いって、ついさっきエドアルドを助けるためにと湖に飛び込んだ君に、文句を言う資格はないと思うんだけど」
「え……」
「俺が気づいていないとでも思ったのかい? どうせ君のことだから、自分が行方不明になって見つからない限り、エドアルドに制裁を加えられないとでも考えたんだろう?」
悪いがすべてお見通しだ。長年の付き合いでセイがヴィートを熟知しているように、自分もセイのことを知り尽くしている。ゆえに、この場所を突き止めるのも容易だったと言われ、セイは思わず口をぽかんと開けてしまった。
「自分だって死ぬつもりだったくせに、命と引き替えに君を守ろうとした彼を酷いと罵るのは筋違いじゃないかい?」
「そ……れは……」
確かに言われてみればそうだ。己の失念に気づいたセイは、何も反論できない。
「ごめん、エド……言いすぎた……」
「いいえ、貴方を傷つけたことには間違いありません。ですから気が済むまで罵って下さい」
「それなら僕も罵ってよ」
再び視線を絡めながら、二人で何度も謝り合う。
すると完全に存在を忘れられていたことに腹を立てたのか、ヴィートが唐突にチッと小さな舌打ちをした。
「俺の前で安い惚気とマゾ性癖を告白しあうの、やめてくれるかな?」
「あ、ヴィー、ごめん……なさい」
「すみません」
まずい、ただでさえ怒っているヴィートへ、さらに油を注いでしまった。二人で顔を真っ青に染めながら、恐怖に身体を固める。
「……あーあ、まったく、君たちには興ざめだよ。由緒正しきスコッツォーリファミリーの幹部と、マイゼッティーファミリーのドンが尊い自己犠牲の押し売り合いだなんて……二人とも安い恋愛映画の見すぎなんじゃないのかい? 本当、面白くも何ともなくて、いい加減付き合うのも飽きてきた」
ヴィートは二人に弾丸のごとき不平を投げつけた後、気に入らないと言わんばかりにそっぽを向いた。
「俺だって暇じゃないんだ、悪いけどここで降ろさせてもらうよ。――――おいエドアルド、いつまでそこで情けない顔を晒してるんだ。大男が気持ち悪い。そんなことをしている暇があったら、さっさとこっちに来て自分のオメガの介抱をしてやれ」
「ヴィート……? え……ええ、分かりました」
やにわに促されたエドアルドが立ち上がり、近くまで寄ってヴィートの腕からセイを受け取る。両者の間でまるで荷物みたいに扱われたセイは、理解が追いつかないという顔で視線を右往左往させた。
「ヴィー?」
「……もしも」