コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
年が明けて天正9年、キリスト紀元1581年の一月十五日、安土城にて左義長が行われた。左義長とは小正月に行われるに火祭りの行事である。
ノブナガは新年を祝うと同時に長年にわたって膨大な戦費と戦力を費やしてようやく本願寺を下したことによる喜びを我が領民と分かち合いたかったのだろう。
この日の左義長は日の本国開闢以来最も派手で壮麗な物となった。
爆竹が派手にならされたが、それは安土城下の人々が知る爆竹とは数といい音といい、火花といい全く桁違いのものであった。
織田家に依頼された花火職人達は提供された潤沢な資金を元手に己のもてる技術の全てを注ぎ、これまでにない爆竹を完成させた。
その巨大な音、華麗な閃光、美しく鮮やかな火花は爆竹の本場であるシーナの物を凌駕していたかも知れない。
ひとしきり爆竹が鳴らされた後、織田家が誇る精鋭集団である馬廻り衆が美麗な服を纏い、騎馬で悠然と闊歩する。
血のにじむ鍛錬を積み百戦を勝ち抜いた日の本有数の武者達が名馬に跨った姿はまさに神秘的なまで雄壮であり、天上より神兵が降臨したのかと安土の人々は思ったことだろう。
次いで現れたのが小姓達である。彼らはいずれも若く秀麗な顔貌をしているのみならず、その眼に才気の光が煌々と煌めいており、特に若い女達を騒がせずにはいられなかった。
そしていよいよ満を持して登場したのが一門集を率いた織田信長その人であった。
この日のノブナガは黒の南蛮笠をかぶり、眉をそって、赤の頬あてをつけ、唐織りの錦の袖なし陣羽織をはおり、虎の皮のむかばきを腰から下げるという若き日の傾奇者を思わせる姿であり、馬はあし毛で飛ぶ鳥のような早さの名馬であった。
「上様ー!!」
「上様、何卒一刻も早く天下一統をー!」
「我らが殿様、ありがとうございます!これからもますますの御武運を」
感極まった民衆達は自分たちの豊かな生活を守る名君、天下無双の武威を誇る名将の中の名将に日頃の感謝の礼とさらなる武運向上の願いを口口に述べる。
ノブナガは鷹揚な表情でそれに応えた。
前例のない程大規模な左義長の成功による興奮が未だ冷めやらぬ一月二十三日、安土城のノブナガの執務室に惟任日向守こと明智十兵衛光秀が訪れた。
「ご苦労にござるな、森蘭殿。いつもながら我が殿の為よう働いてくれている。十兵衛感服致す」
光秀は執務室の前で蹲踞の姿勢をとった蘭丸に声をかけた。
光秀は二年前に近畿方面軍司令官としてその卓抜な武略にて丹波国に続いて丹後国も平定し、丹波一国を拝領した。
寄騎である細川藤孝、筒井順慶の領国を合わせると二百四十万石に達し、近畿地方の王と呼ぶべき地位に昇りつめた。
名実ともに織田軍の筆頭家臣と呼ぶべき存在である。
本来外様だったにも関わらずほんの数年でこの地位にのぼりつめたのだから、尋常ではない文武の才の持ち主であることは当然であるが、やはり余程主君ノブナガに気に入られているからなのは明白である。
だが光秀その人は己の器量を誇る色や主君の寵愛に驕る色を微塵も見せなかった。
常に泰然自若としており、誰に対しても鷹揚に振る舞う。
現に主君の寵愛を競う立場にいるというべき蘭丸に対しても嫉妬や敵意などは少しも感じていないような振る舞いである。
それどころか、常に才気溢れる我が甥を可愛がる叔父のような態度で接するのであった。
だが蘭丸はそのような光秀に対してどうしても親愛の思いを抱くことが出来なかった。
(何故私はこの御仁に接すると、常に不安になり心がかき乱されるのだろう)
我ながら不思議であった。これ程優れた才幹を持ち、織田家の覇業の為に粉骨砕身してくれている人物なのに、全く敬愛の念も信頼の心も生じてこない。
これはやはりノブナガの為に討ち死にした忠臣である父の代から織田家に仕えているという自負から本来外様の身分の者に対して否応なく生ずる優越感、あるいは不信の念によるものなのだろうか。
(いや、そうではない。そのようなものではない。何かこの明智光秀という人物が持つ得体の知れない何かなのだ。その何かに上様や明智配下の武将は魅了され、私や他の一部の明智嫌いの者は反感の念を持ってしまう。その何かとは……)
今はまだはっきりと言語化出来そうにない。
だがいずれそれははっきりと形を成し、天下の人々が遍く知ることになるのではないか。
そのような予感を抱きながら蘭丸は光秀をノブナガの元に案内した。