コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
|chez tsujisaki《しぇ つじさき》の閉鎖的な壁は全て取り払われ社員のフリースペースへと様変わりしていた。あの忌まわしい菓子工房やバックヤードはレンガの壁で塞がれ当時の面影はひとつも無い。ただ|欅《けやき》の樹だけは|現在《いま》も優しい日陰を作り憩いの場となっていた。
「いらっしゃいませ」
「オーダーはエスプレッソとティラミスで宜しいでしょうか?」
「やっぱり《《辻崎さん》》は良いねぇ、オーダー表が要らない」
そう言って笑う総務課部長の隣には人事課部長がズッパイングレーセ(リキュールシロップのスポンジケーキ)に満面の笑みでフォークを入れている。
「お褒めいただき光栄です」
「その笑顔、その笑顔が良いんだよ」
「ありがとうございます」
「オーナーお願いします」
「はーい、では失礼致します」
「頑張ってね」
「はい!」
|Apaiser《アペゼ》の|柞《いす》の木のフローリングとヒッコリーの椅子は多くの社員を誘い、オーナー兼パティシエールの辻崎果林の笑顔がそれを迎え入れた。
14:00
毎日この時間になると|欅《けやき》の樹を見上げるテーブルに1人の男性が現れる。オーダーは程よい甘さのバニラアイスに香り立つアッサムティーを滴らしたアフォガート。
「アフォガートはイタリアでは溺れるという意味だそうですよ」
その男性の名前は辻崎株式会社 副社長 |辻崎 宗介《つじさきそうすけ》(39歳)
「そうなんですね」
「はい」
「もう溺れています」
そう言って微笑む女性の名前は|辻崎 果林《つじさきかりん》、なだらかなラインを描くサロンエプロンの下には新しい命が宿っていた。
了