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今より10年前――――当時のクロードは全てを冷めた目で見ていた。
才能と環境に恵まれており、要領良くそつなくこなす。
得意なものはあるが、苦手なものはない。
だからこそ周囲の大人を見下していた。
「喜べクロード、お前の婚約者が決まったぞ」
父上にそう告げられた時も、特に心躍るものはなかった。
(嬉しいのはあなたでしょうに)
王族と公爵家の婚約なんてよくある政略的ものである。
誰もがそう考えるし、第1王子のクロードもそう考えていた。
(それもよりによって3大貴族であるモードレッド公爵家か……)
教会との繋がりが深い公爵家との繋がりはたしかに大きい。
だが貴族間のパワーバランスが崩れるリスクも無視できるものではなかった。
(カトレア嬢はそんなこと考えもしないだろうな)
王子の頭には、歳相応の女の子が浮かんだ。
初顔合わせの日までは、そんなイメージだった。
しかし彼女と出会ったことで、クロード王子の心境に変化が訪れ始める。
(あまり笑わない娘だな……)
それが初めて会った時に感じた、素直な感想である。
年齢より大人びており、所作も礼儀も完璧なご令嬢だが、如何せん表情の変化が乏しい。
それでいて視線に威圧感があり、常に不機嫌なように感じた。
(そんなんじゃ敵を作るだけだよ)
彼女との婚約を不安に感じざるを得なかった。
思えばそれからかもしれない。
彼女のことを観察するようになったのは……。
「殿下、これで詰みです」
「ぐぅ……」
王子は盤上で戦う戦略遊戯が得意だったが、彼女には1勝もできなかった。
考えを読もうにも、不愛想で何を考えているのかわからない。
(相変わらず可愛げのない女だ)
しかし自分より優秀だと認めざるを得ないのもまた事実。
これならしばらくは暇つぶし程度に楽しめる相手だと思った。
(婚約者への贈り物か……)
そんなもので真面目に頭を悩ませるとは、自分でも意外だった。
優秀だが不愛想なご令嬢……そんな彼女の顔がほころぶところを見てみたい。
そう思うと存外楽しくもあった。
(宝石……ドレス……どれもありきたりだな)
王城へ呼び出した商人があれやこれやと勧めてくるが、どれもピンとこない。
こんなもの公爵家とて簡単に手に入る。
そう考えた時、王子は自ら動いた。
その結果――――
「こういうセンスは良く分からなくてな……いらんなら捨ててくれ」
それは押し花を使った栞で、花を育てるところからやってみた。
時間はかかったが、意外性のほうが驚いた顔が見れると思ったのだ。
「……ありがとうございます」
それでもカトレアの表情は変わらなかった。
ただ、その後もジッと栞を眺める彼女を見て、自分は思いのほか満足できてしまった。
「……私の負けですね」
「よし! 勝ったぞ!」
初めて盤上で彼女に勝つことができた。
しかしすぐに恥ずかしくなってしまった。
これでは自分が必死で勝ちにいったようではないか。
そのことに気づき、俯いたまま顔を上げることができないでいると、予想外の声を聞くことになる。
「フフッ……」
――笑った?
慌てて顔を上げたものの、そこにはいつも通りの不愛想な表情。
その時は気のせいだと思い、あまり気に留めていなかった。
それからもずっと――――彼女を観察していた。
そして、なんとなくだが気づいたことがある。
(ひょっとして彼女は……)
とんでもなく不器用なだけなのではなかろうか。
感情を素直に表に出せない……そう思うと、不機嫌そうな表情に隠れた、僅かな変化を探すようになった。
今日も不機嫌そうな顔だが、腕に少し力が入っているな……緊張してるのか?
今日も鋭い視線だが、目が合うとよく逸らされる……そういえば新しいデザインのドレスを着ているな。
今日は……今日も……会う度に新しい発見がある。
いつしか親同士の決めた婚約が、王子にとっては生き甲斐となっていた。
そしてそれは――――カトレアにとってもそうであったと判明する。
「殿下……お慕いしております」
普段通り一緒にお茶をしているだけだったのだが、彼女は普段と変わらぬ表情で突如そんなことを口にした。
「…………」
あまりにも突然のことで王子は硬直した。
理解が追いつかない……今日は何か特別な日だろうか。
……いや、理想が生んだ妄想の可能性もある。
ちゃんと確認しておいたほうがいい。
「……もう一度言ってくれ」
「嫌です」
きっぱりと断られてしまった。
しかしとぼけられることはなかった……つまり妄想ではなかったのだ。
そう思うと、王子の頬は自然と緩んでいく。
彼女の顔も、心無しか少し赤かった……。
そして王子は確信した。
これが恋というものか――――と。
◇ ◇ ◇ ◇
「……なるほどね。クロード王子としても、彼女の冤罪には納得がいっていない。かといって、王家は教会に頭が上がらない……と」
「あぁ……なんとも薄気味悪い裁判だった」
弁護人から傍聴席まで、まるで予行演習でもしていたかのように裁判は終わった。
正式な手順すら踏ませてもらえないので、一先ずカトレアの安全を確保するために、王子自身が用意できるだけの金を集めたのだ。
「結果一足遅かったが……まさか閃光とエルリット第2王女が同一人物だったとはな」
名前から探る線を真っ先に排除した自分がマヌケだったというわけか……と、王子は少し自己嫌悪に陥った。
「みんな閃光って呼ぶから、案外同名で活動してても支障ないんですよねー」
そもそもそちらはバレてもさほど問題はない。
社会的に死にそうなもっとやばい秘密がありますから。
「アンジェリカ第1王女といい、さすがはエルラド家と言ったところか……今はそれがとても心強い」
王子は一人でも教会に異を唱えるつもりだった。
さすがにそれは無茶な話なのだが、それだけ彼女を失いたくなかったのだろう。
「しかし良かったのか? 私に協力するということは、エルラド王国そのものが教会に睨まれることになるぞ」
「――逆よ」
王子の言葉に、アンジェリカは一枚の書類を差し出した。
「私たちが協力するんじゃない……あなたたちがこちらに協力するのよ」
それは先ほど即席で作られた契約書だった。
「これは……本気なのか?」
「もちろん、そのために教会の実態を探ってんだから」
何が書いてあるのか僕は知らないけど、アンジェリカさんの表情から察するにこちらに有利な契約内容なんだろうな……。
王子はサインをするしかない。
最愛の人を護る為にはもはや選択肢がないのだ。
カトレアさんは……再会してからずっとクロード王子を睨め付けている気がする。
サインが正式なものであるのを確認すると、アンジェリカさんは改めて二人に説明しはじめた。
「さて、私たちはオルフェン王国の教会が邪教と繋がりがある……もしくは邪教そのものだという前提で調査してるの。ただ、今あるのは状況証拠と証言ぐらいで、確定的なものに欠けるのよ」
それさえ揃えば糾弾もしやすくなる。
なので、手始めに調査しているのが……
「教会が召喚した救世主か……」
王子の顔が険しくなった。
彼女にはあまり良い印象はないのだろう。
厳密には救世主そのものより、その利用目的が知りたい。
「豊穣の祈りを捧げる式典も近いし、そろそろ大胆に動いていいかもしれないわね」
そう言ってアンジェリカさんは一通の手紙を取り出した。
差出人はオルフェン国王で、内容は一ヶ月後に控えている式典に関するものだ。
当然のように、アンジェリカさんだけでなく僕の名前も記載されている。
「そろそろ休学の言い訳も厳しくなってきたから、調査するなら丁度いい」
王子は悲し気な表情をカトレアさんへ向けた。
「キミのいない学園なんて、虚しいだけなのだがね」
「……!」
カトレアさんは何も言わずに背中を向け俯いた。
なるほど……こうして見ると、カトレアさんがどういう人かわかりやすい気がする。
ただ一つだけ言いたい……ここでイチャつかないでほしい。