井伊の武者どもを屠る為に鬼神と化したかのように見えた重成であったが、心の一部分は冷めており、
(このような殺生を重ねて、意味はあるのか?)
という疑問を抱かずにはいられなかった。
この戦、豊臣方に勝機など微塵も無いことは充分承知している。
先に行われた冬の陣が講和に終わり、その条件として外濠と内濠が埋め立てられ、天下無双の名城、大坂城が裸にされた時点で全ては決していたのである。
(ならば何故戦うのか?)
徳川は戦国乱世を終結させ、偃武《えんぶ》、つまり武器を偃ふせ、武器庫に収めて太平の世を築くことを大義名分に掲げている。
成程、それ自体は良い。応仁の乱より百五十年もの間この日本国は戦に明け暮れ、民草は塗炭の苦しみを味わい続けてきたのだ。
もういい加減、乱世の苦しみから解放すべき時なのだろう。
しかし、徳川の者どもが、豊臣家を平和を乱す障害と決めつけ、太平の世を招来するための供物にささげようとしているのが、重成にはどうしても許せなかったのである。
(徳川の者どもよ、太平の世を願っているのは、お前たちだけではないのだぞ)
豊臣家に殉じようとする者達も、いや、戦国の世で行われた数限りない戦で散った何万、何十万とい死者達も同様であろう。
彼らもまた、敗北と死という形で来るべき太平の世に貢献していたのである。
そのことを、徳川の者どもに教えなければならない。
彼らが勝利に驕れば、元和偃武げんなえんぶの世とやらは、強者が弱者を力で支配し、一方的に搾取するだけの紛い物の太平の世になるだろう。
そうさせないために、徳川の者どもが驕らぬよう戒める為に、重成は命尽きるその瞬間まで戦わねばならなかった。
戦いが始まってどれ程の時が流れたのだろう。
すでに若江を包んでいた朝霧は消え失せ、烈々たる太陽が中天に登ろうとしていた。
井伊家の家老、庵原朝昌《いはらともまさ》は残敵掃討の任を受け、若江に到着した。
しかし、庵原はまもなく七十歳になる身で、闘争心や功名心は既に枯れ、代わりに来世の極楽往生を願う気持ちが強かったようである。
ふと見れば、折り重なった死屍の間に腰を下ろしている武者がいる。
全身に返り血を浴びて元の具足の色が判別出来ぬ程の壮絶な姿で、満身創痍のようだが、庵原を睨み付ける瞳には、炯炯たる光が宿っていた。
「お相手・・・仕ろう・・・」
若武者が呟き、血塗られた槍をとって立ち上がった。
「貴殿の名は?」
畏怖の念を抱いた庵原が問うた。
「木村・・長門守・・・重成・・・」
「おお、貴殿がそうか」
庵原は感嘆の声を上げた。
「先の冬の陣の戦にて佐竹家の渋江内膳《しぶえないぜん》殿を討ち取り、和議の際には秀頼公の正使として堂々と振る舞い、大御所様(徳川家康)をも感嘆させたと聞き及んでおる」
「・・・・」
「まさに麒麟児よの。ここで死なせるのはあまりにも惜しい。拙者はこのまま立ち去るとしよう」
老人が慈悲と哀れみの表情を浮かべるのを見て、重成の心は灼熱となり、傷ついた五体に残されたわすかな生命力が最後の燃焼を起こし、爆発した。
「この木村長門を愚弄するか!」
怒号と共に重成は槍を突き出した。槍の穂先が電光のような勢いと鋭さで庵原の首を貫くと思われたが、老人は間一髪、身を捻って躱した。
やむを得ず庵原は十文字槍で応戦したが、恐るべきことに死の寸前としか見えぬ若武者の烈火のような槍の刺突は、無傷の老武人の熟練した槍捌きを凌駕した。
こうなれば、このままこの若武者に討たれても良いとすら思った庵原であったが、重成の年齢の倍もの月日を戦陣にて過ごした老武人の五体は、本人の意思とは関係なく、勝手に動いていた。
十文字槍の穂先で、若武者の背の母衣ほろを引っ掛け、一気に引いたのである。
重成は抵抗できずに朽木のように倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
「・・・・」
庵原は無言で若武者、木村重成を見下ろしていたが、やはり首を獲る気にはなれず、そのまま立ち去ろうとした。
そこに一人の小柄な武士が駆け寄って来た。
「安藤長三郎か・・・」
小柄な武士はうなずき、息を弾ませながら一気に言った。
「お願いにござる。拙者、本日の戦にて未だ一級も首を得ておりませぬ。できれば、その首を譲っていただきたい」
小柄な武士、安藤長三郎はまだ十七、八歳ぐらいだろう。
だがその容貌には溌剌さはまるで無く、労せずに功名を得ようとする浅ましさのみがあった。
酷く不潔な物を見たような気がした庵原は、
「好きにするがいい」
と言い捨て、騎乗して振り向きもせずその場から去った。
心身ともに高貴な若武者が、下品で浅ましい小僧に首を獲られるところなど、到底見届ける気にはなれなかったのだろう。
小柄な、己よりも若い武士が下卑た笑みを浮かべつつ、太刀を構えながら近づいてくるのを、重成はじっと見つめていた。
(この世で最後に見るのがあのような小僧の面か)
安藤長三郎が太刀を振り上げる。
(まるでなってないな。そんなことで上手くこの首を落とせるのか?)
振り下ろされた長三郎の太刀が重成の首の肉を無残に切り裂く。だが骨の部分を断つことが出来なかった。
飛び散った重成の鮮血で顔面を染め上げながら長三郎は上手く首を落とせなかったのは己の業前の未熟さではなく、重成の首の骨の意外な堅さであると激高し、顔を醜く歪ませながら、力任せに太刀を振り下ろした。
異様な音が鳴り響き、血と肉と骨の破片をまき散らしながら重成の首はようやく胴と離れた。
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