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「おう、もう演奏を止めたのか。せっかく美味い酒を飲りながらじっくりと聞きたいと思ったのに」
ヘイズルーンの蜜酒を満たした壺を杯を手にした三十代半ばの武人が部屋に入り、声を上げた。
銀の甲冑を纏い、赤帽を戴いている。小柄だががっちりとした体つきで、いかにも剽悍機敏な印象の人物である。
「余程その酒が口に合ったと見えるな、孫堅殿よ」
「おうよ、こんな美味い酒は俺が生まれ育った揚州でも長安の都でも飲めなかったな。この酒が好きなだけ飲めるってだけで、ここに呼ばれたかいはあるってもんよ」
三国時代の呉の初代皇帝、孫権の父である孫堅、字は文台そう言って一気に酒をあおった。
「くあー、やっぱうめえ。たまんねえな。さあ、敦盛だっけ?もう一曲やってくれよ」
「無粋者めが」
義元が孫堅を睨みながら叱りつけた。
「敦盛殿の笛は座興で奏でられる代物ではない。聞きたくば酔いを醒まし、心を澄ましてからにせよ」
「何でえ、偉そうに。おめえはその小僧の保護者か何かかよ」
「生憎だが生まれた時代は全く違う。だが敦盛殿は年少ながら敬意を表すべき偉大な先人。それにこれ程の清らかな気性の少年にはかつて会ったことがない。是非、我が子として養育したいくらいだ」
義元は微笑みながら冗談なのか本気なのか判断しかねる口調で言ってのけた。
「故に、粗野な酔っ払いの相手をさせる訳にはいかんな」
「何だとてめえ・・・・」
「二人とも、おやめください!」
険悪になりかけた両者の間を敦盛が慌てて割って入った。
「拙き代物ではありますが、孫堅殿が御所望とあらば・・・・」
「敦盛殿よ、心が乱れておるぞ」
義元が冷静に指摘した。
「それでは良き音色は奏でられまい。また後日にせよ」
「いえ、ですが・・・・」
抗弁しようとした敦盛だったが、その時四人目の男が荒々しい足取りで現れた。
茶褐色の髪を短く刈り込み、見事な顎鬚を有している。鍛えられた剣のような痩身であるが、驚くほど背が高い。
六尺五寸(195センチ)近くあるのではないか。鎧ではなく黄色に染めた革製のコートを纏っている。
「つい先日、エインフェリアの初陣が行われたらしい。つい先日だ!それに参戦できなかったとは、何たる不運・・・・!」
「グスタフ殿・・・・」
敦盛は生まれて初めて出会った異人種の長身に圧倒されながら、何と言って慰めようか迷った。
「おーおー勇ましいねえ。何だっけ、「北方の獅子」か。大層な異名で呼ばれていたことはあるな」
孫堅はにやにやしながら長身の西洋人を揶揄するように声をかけた。
だがヴァ―サ朝スウェーデン王グスタフ二世アドルフは敦盛や孫堅の声など耳に入っていない様子である。
「これでは、この先いくら武勲を立てても「初陣を出遅れた者」の汚名は付いて回るだろう。ああ、余は死した後も幸運には恵まれぬのか・・・・」
「幸運には恵まれておらぬのは我も同じこと。ここにいる敦盛も孫堅もそうだ。いや、それこそ他のエインフェリア全員ではないか?」
義元が悠然とした笑みを浮かべながら言ったが、
「何の慰めにもならぬ・・・・」
グスタフアドルフは落ち込んだままである。
一国の王であり、北方の獅子という勇ましい異名を持つ後世に名高い英雄とのことだが、外見に似合わず随分と繊細な人物であるらしい。
「別にいいじゃねえか。あんただって地上でさんざん戦をしてきたんだろう?これから先、嫌って程化物どもと戦しなきゃなんねえんだ。今はとりあえず酒でも飲んでゆっくりしようぜ」
「その通りだな」
義元が孫堅に同意した。その手にはいつのまにか酒に満たされた杯があった。
「まずはヴァルハラのことをもっと知らねばならぬ。敵である巨人とやらのこともだが、それ以上に味方であるアース神族のことも、な・・・・」
義元の声も表情もいたって平静である。だが敦盛は酷く剣呑なものを感じ、思わず総毛だった。
(得体の知れぬお方だ。エイルがこの方をエインフェリアに選んだのは過ちだったのでは・・・・?)
「あ、丁度良かった。みんな集まってるね」
舌っ足らずな高い声が響き、四人の男たちは一斉に注目した。声の主は小柄な体に橙色の衣装を纏った十三歳ぐらいの少女だった。
くせのある栗色の髪を肩の長さで切りそろえ、淡褐色の瞳は活力で満ち溢れんばかりであった。
「おい、エイル!初陣に参加出来なかったではないか。これというのも、お前が地上で遊び惚けて余らを選ぶのに時間をかけすぎたからだと聞いたぞ。どうしてくれるのだ」
「あーうー・・・・。ごめんねー」
エイルは両手で頭を抱えながら詫びた。その姿は戦乙女ワルキューレという勇ましい名からはおよそ程遠いほど幼く頼りないものだった。
「だって地上には珍しいものがいっぱいだし、強そうな戦士だっていっぱいいるんだもん・・・・」
「一日だ!あと一日早く選び終えてここに来さえすれば・・・・」
「まったくしつこいのう。過ぎたことをいつまで愚痴っておるのじゃ。こんな子供相手に、いい大人がみっともない・・・・」
エイルの後ろに付き従っていた女性がグスタフアドルフを叱りつけた。艶やかな黒髪に黒曜石のような瞳。絹のブラウスに頭にはベールを着けている。高貴な雰囲気であるが褐色の肌の肢体はしなやかで、黒豹を思わせる野生が秘められているようであった。
「貴殿も一国の王であったのだろう。王であるのならば、悠然と構えておるがよい」
「そなたに王の姿勢を説かれる筋合いなどない」
グスタフアドルフは負けずに言い返した。
「そなたは王妃の身でありながら傭兵どもを率い、自らも銃をとって戦ったらしいな。まったく分を過ぎておろう。これだから蛮国は・・・・」
「己の価値観のみが絶対に正しいと信じ込んで、それとは違う考え方を野蛮と断じる。白人の男というのはどこの国も変わらぬな」
ジャーンシー藩王国の王妃でインド大反乱の指導者であったラクシュミーバーイは肩をすくめながら言った。
軽い口調とは裏腹に、その瞳には深甚な怒りと悲しみが宿っているようであった。
無論、その感情は眼の前にいるスウェーデン王ただ一人に向けられたものではないだろう。
「いや、済まぬ。言葉が過ぎたようだ」
褐色の肌の美しい王妃の深い感情を鋭敏に察したらしいグスタフアドルフは素直に詫びた。
「わらわは夫である国王が病没した故、やむなく銃をとって戦わねばならなかったのじゃ。白人から祖国を取り戻すためにな。貴殿の妃はどうなのじゃ?戦場で死んだ貴殿に代わって祖国の為に戦うような女性ではないのか?」
「いや、うーむ。どうであろうな・・・・。我が王妃はいささか変わっておる故、絶対に無いとは言い切れぬ・・・・」
「グスタフさんの奥さんのマリアさんは戦場に出たりはしてないみたいだよ」
エイルが明るい声で言った。先程叱られて落ち込んだことなどすっかり忘れた様子である。
「その代わりグスタフさんの遺体を埋葬しないでいつまでも側に置いて触ったりキスしたりしてるみたい。愛されてるね、グスタフさん」
「・・・・」
「ほう、流石は白人の先進国の王妃の振る舞いは蛮国のわらわと違って洗練されておるの」
言葉を失っているグスタフにラクシュミーバーイは艶然と笑いながら皮肉を浴びせた。
「遺体を愛でるのも銃をとって戦場に出るのもそれぞれの愛の形よ。己の妻がただ貞淑に夫の死を悼まなんだからといって不満に思うのは贅沢というものじゃ」
「ところで嬢ちゃん。全員集合したけど、俺たちに何か用があるんじゃないのかい?」
「ああ、そうそう。そうだった」
孫堅に言われ、エイルは小さな頭を大げさに振りながら言った。
「ヴィーザル様がお呼びなの。今すぐ王の間に来てくれって」
「ヴィーザル・・・・。アース神族の王ですか・・・・」
敦盛が緊張を覚えながら呟いた。ヴィーザルという言葉そのものに強大な言霊を感じたのである。
天照大御神や大日如来とはこの神のことを指すのかも知れないと敦盛は思った。
「こちらに来て早々、神々の王に対面できるとは。やはりエイルは特別な存在なのかな?」
ラクシュミーがエイルの髪を撫でながらにっこりと微笑んだ。
「えへへ、そんなことないよー」
「遅れて参陣したことを咎められるのではないか?王直々に・・・・」
照れるエイルを冷たく睨みながらグスタフが言った。
「それは無いと思うよ。さっきヴィーザル様の代わりにフロック姉さまから滅茶苦茶怒られたから・・・・」
「まあ良い。早速参ろうではないか。エイル、案内せよ」
義元が言った。その表情には敵将に挨拶しに行く者のような勇ましさと猛々しさがあった。
「義元さん、あんまり偉そうにはしないでね」
無邪気なエイルも流石に不安を覚えたらしく、義元にくぎを刺した。
「ヴィーザル様はこのアースガルドで一番偉い王様なんだから」
「分かっておる。礼を失するような真似はせぬ」
六人の男女は王の間を目指してヴァルハラの廊下を歩いた。先頭のエイルの足取りは踊りだす寸前のように軽やかで、鼻歌まで歌っている。
今川義元、ラクシュミーバーイ、孫堅、グスタフアドルフの四名はそれぞれ思うところはあるだろうが、いずれも堂々としている。
彼らはそれぞれ大大名であり、一国の王、王妃であり、歴戦の将軍なのである。
それに比べて敦盛は己の格がいかにも低く感じられて、俯かざるをえなかった。
(敦盛くん、どうしたの?なんか落ち込んじゃってる?)
乙女の明るい声が敦盛の耳ではなく心に鳴り響いた。
敦盛が驚いてエイルを見ると、彼女は手を腰の後ろに組んで後ろ歩きをしながら敦盛に微笑みかけている。
(エイル、何故僕なんかを選んだんだ)
敦盛もエイルに心の声を投げかけた。
(彼ら四人はいずれも傑出した武人で、地上でも輝かしい武勲を立ててきたのだろう。見ればわかる。それに比べてこの僕は武勇拙く、合戦にて首を獲ったことも無い。こんな僕なんかが神々の戦で役に立てるはずがないじゃないか・・・・)
(エイルはね、敦盛くんが吹く笛の音に呼ばれたんだよ)
(笛の音に・・・・?)
(そう)
エイルは春の野に舞う蝶のように軽やかに体を回転しながら笑顔を浮かべている。
(戦乙女もエインフェリアをもてなす為に楽器を演奏するけど、敦盛くんみたいに敵をも感動させる程の演奏はとてもじゃないけど出来ないよ。何て言うのかなー。腕前とかじゃなくて、心というか魂をこめることが出来ないんだね)
(・・・・)
(だけど敦盛くんの笛を聴いた時に思ったの。この子がヴァルハラに来てくれれば、戦に疲れたエインフェリアのみんなだけじゃなくて、アース神族の偉い人たちまで元気づけてくれるんじゃないかって)
(まさか僕なんかが神々を・・・・)
(ううん、それだけじゃないよ)
エイルが敦盛をじっと見つめながら念話を続ける。愛らしい笑顔を浮かべたままだが、その瞳は真剣な思いによって強い光が灯っており、敦盛は圧倒されそうになった。
(敦盛くんになら敵の邪神や巨人族の心まで動かせるかも知れない。もしかしたら、ラグナロクなんて戦争をせずに済むんじゃないかって・・・・)
(まさか、そんなことが・・・・)
(あはは、今のは内緒。絶対に誰にも言わないでね。エイルがこんなこと考えているって知ったら、流石にヴィーザル様もすっごく怒るだろうし、フロック姉さまに殺されちゃうかも)
エイルが片目をつぶって舌を出し、念話を打ち切った。おどけてはいるが乙女の思いは一片の偽りの無い真情だと敦盛は理解し、懐の青葉の笛を取り出した。
(そうか、僕はその為にここに呼ばれたのか・・・・)
思えば、地上における十六年の生涯は、平氏の棟梁である平清盛の甥という立場に縛られた空虚なものだった。
己は何も欲せず、欲することは許されず、ただただ叔父の為、一族の為に心を殺して動く人形も同然の身だったのである。
そんな敦盛が唯一己の意思で励み、習得したのが笛の業であった。その業が神の眷属たる戦乙女に認められ、必要とされているのである。敦盛は魂が震えるのを抑えることができなかった。
(よし、僕はこの笛で神々の戦を動かせてみせよう)
それは敦盛が生まれて初めて自分の意思で望んだ理想であり、野心であった。
「さあ、ここが王の間だよ。みんな礼儀正しくしてね」
エイルの声で我に帰った敦盛は青葉の笛を懐にしまい、ゆっくりと開け放たれる扉を見つめた。
扉の向こうから強大な神気と光が流れ来て、グスタフアドルフ、ラクシュミーバーイ、孫堅は身を固くし、今川義元も流石に緊張を隠せないようである。
だが、敦盛は不思議と緊張や気後れは感じなかった。そんな己に驚きながら、敦盛はエイルに続いて入室し、王の御前へと進んだ。