鮮やかなのにくすんだ色の森をひたすら東に進むと、次第に森の木々が青々しい葉に変わった。時々顔を出す獣たちも、可愛らしい兎や真っ赤な雉と邪界では見られない生き物ばかりになってきている。そろそろ邪界の地を抜けた頃だろうか。
蒼翠が向かっている彩李の酒店は町の商業通りではなく、町外の森の近くにある。店は主に町の人間を対象にした商いではなく、旅路を進む旅人の休憩の場として開かれているからだ。だから周囲には人通りも多い。
――無風はどこだ。
聖界の領域では目立つことができない蒼翠は、木の影に身を隠しながら無風を探す。その間もどんどん不安は増してきて、冷や汗が止まらない。
こんなことなら邪界の酒で我慢しておくべきだった。後悔先に立たずとはこのことだと蒼翠は自分を罵りながら必死に気配を探る。その時だった。
「……え?」
林道の脇から顔を出すと同時に蒼翠は予想もしていなかった女性の姿を発見し、思わず瞳を大きく見開いた。
「嘘……だろ」
降り積もったばかりの雪の表面のように白い肌に、微笑むと綺麗な三日月型になる特徴的な瞳と桃花色の薄い唇。装いは控えめな藤の花が刺繍された白地の襦裙と、淡黄色が美しい曲裾の羽織、そして頭の後ろで結ったお団子につけた瑪瑙柄の簪だけという質素なものばかりなのに、それでも一瞬で目を奪われる少女。
「隣、陽……」
そう、無風と恋仲になる予定のキャラクターだ。
――なんで……なんで彼女がここにいるんだ。
隣陽を見つけた途端、胸の奥から湧き出てきた感情は、思い入れのあるキャラクターと出会えた歓喜ではなく、全身の血の気が下がるほどの落胆だった。
彩李の町は彼女の生まれた場所で、住居もある。普通に考えれば隣陽がここにいることは不思議ではないと理解できるはずなのに、今の今まで彼女の存在を完全に失念していた。
――とりあえず、一旦隠れよう。
なぜ彼女に対してこんな複雑な感情を抱くのか分からないが、今はどうしても接触する気にはなれない。そう思って竹林の奥へ身を隠そうと動いた時。
「隣陽殿!」
蒼翠の心を揺さぶる衝撃的な出来事が、目の前で起こった。
林道を歩く隣陽のもとに、無風が駆け寄ってきたのだ。
「なっ……!」
二人が肩を並べる姿を眼に入れた瞬間、ガツンと背後から思いきり頭を殴られたような気分になった。蒼翠のいる位置からの距離が離れているため、隣同士肩を並べた二人がどんな会話をしているのか分からない。けれど、無風の楽しそうな笑顔から見るに今日初めて会ったという感じではなさそうだった。
二人はいつの間に、あんな親しい間柄になっていたのだろう。
「っ!」
と、そこまで考えたところで蒼翠は自分が大きな勘違いをしていることにハッと気づき、顔を歪めた。
――そうだった、もう今の時点でドラマの流れから大きく外れてるんだ。
であるなら、予想外の展開が急に起こったとしてもそれは自然の成り行きだ。おそらくここで彼女が登場したのは、以前の雨尊村の時と同じく無風の人生に必要だと天が判断したから。
それならば。
「俺が……邪魔するわけにはいかないよな……」
蒼翠は今すぐにでも飛び出したくなる衝動を抑えて、木の陰に留まる。そして二人の姿を静かに見守ろうとしたのだが。
――やっぱ……いやだ。
十数えるまでが限界だった。
これ以上二人が一緒にいる光景を見ていたくない。強い思いに駆られた蒼翠は耐えられず背を向けると、そのまま音を立てず竹林の奥へと姿を消した。
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