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「これは、トノ!」
勝成は慌てて敬礼の姿勢を取った。一応ジャッポーネに来てすぐにサムライとしての礼儀作法は厳しく教え込まれたが、やはり反射的に出てしまうのは五体に染み込んだ聖ヨハネ騎士団の騎士としての礼である。
「忠三郎様!」
少女の顔貌が歓喜に耀き、賦秀《やすひで》に抱き着かんばかりの勢いで駆け寄った。
二人の関係は明らかであった。
「あの、トノ。まさか、この女性は……」
「うむ。我が妻の冬姫だ」
賦秀は自慢げに頷いた。
「ご、御無礼をば!」
勝成は恥辱と後悔の表情を浮かべながら許しを乞うべく片膝を付いた。まだ仕えたばかりの主君の妻と軽々しく言葉を交わし、あまつさえ己の武勇を見せつけて笑顔と賞賛の言葉を引き出そうなどと下心を抱くとは、かつては騎士の身分の者にあるまじき行為である。
だが若き主君とその妻は、
「何故謝っているのだ?」
と、不思議そうな表情である。
「姫、そなたこの者に何か失礼なことをされたのか?」
「いえ、何も」
冬姫は頭を下げる勝成の燃えるような赤毛を興味深げに見つめながら答えた。
「どちらかと言えば、失礼なことを言ったのはわたくしの方でしょう。まだ日本の剣の扱いに不慣れなだけのこの者に、うっかり侮るようなことを言ってしまったのですから。山科と言ったな、許せ」
「は……」
どうやら、本当にこの若い夫婦は怒っていないし、そもそも勝成が何故謝罪しているのか分からないらしい。
(ジャッポーネの、サムライの礼儀風習はヨーロッパの貴族社会と違ってかなり自由で奔放らしい)
勝成はほっとしながら思った。所詮はキリストの教えに基づく真の文明を知らぬ未開な国だからこんなものか、と侮りと優越感を抱くと同時に傭兵として自由な生活を知ってしまった自分としては、この主君は仕えやすそうだと安堵を覚えた。
「忠三郎様、この者はメイスとやら申す打撃武器が得意と申した故、当家の金砕棒の使い手と立ち合わそうと考えたのですが、いけませぬか?」
「うむ。メイスとやらは知らぬが、大体想像は付く。金砕棒同様、手加減が一切出来ぬ武器であろう。どちらが勝つにせよ負けるにせよ大けがは免れぬし、下手をすれば命を落とすことになるかも知れん。たかが試し合いで貴重な勇士を失いたくはないな」
「ああ、確かに。これはわたくしの考えが足りませんでした。どうかお許しを」
(ほう、これは……)
神妙に詫びる冬姫をみて勝成は秘かに驚いた。先程までの勝気で無邪気な幼い少女の表情が消え、貞淑な妻としての賢明で大人びた表情が現れていたのである。
そこには父の命令でやむを得ず嫁いで来た政略結婚の冷ややかさも、かつての人質に対する侮蔑や父の威光を笠に着る驕慢さは微塵も無い。
夫に対して心からの愛と尊敬を抱いているようである。妻に笑顔を向ける夫も同様である。
二十二歳と十六歳の若く初々しい夫婦。二人から耀かんばかりの愛と生命力が満ち溢れ、勝成は眩しく思った。
「それにこの者の本領は打物取っての武勇ではない。兵法、天文、地理を極めたというその智謀にある。それに何より類まれな種子島の名手であるらしい。そこを買ったのだ」
「ほう、種子島!」
冬姫は一層好奇心を露わにした。その活力と鋭気に耀かんばかりの顔貌は、冬と言うよりも降り注ぐ夏の陽光を思わせる。
「父が良く申しておりました。これからは槍や弓矢ではなく種子島が戦の勝敗を決すると。やはり忠三郎様も同じ考えでしょうか?」
「うむ。先の長篠の戦で当代無双を謳われた精強な武田軍を破ることが出来たのは、大量の種子島を確保出来たからこそ。だがまだ当家にも武士の誉は弓矢であり、真の武勇は槍働きにこそあり、種子島などは足軽雑兵が使う物という考えから脱却出来ぬ者が大勢いる。だがこの南蛮の戦を経た山科勝成ならば、そ奴らの蒙を啓くことが出来るやもしれぬと思ったのだ」
種子島とは火縄式鉄砲のことである。
「ジャッポーネに初めて鉄砲を持ち込んだのは、種子島に漂着したポルトガルの商人ですよ」
かつてオルガンティノは勝成にそう語った。おそらくこの時代に日本にやって来ていた宣教師の全てがそう認識していただろうし、日本人も素直にそう思っていただろう。だがこれは誤解である。
実は天文十二年、キリスト紀元1543年に種子島に漂着したのはシーナで密貿易をしていた王直という男が所有する海賊船だったのである。たまたまその船に数人のポルトガル商人が乗船していたに過ぎない。
シーナを支配している明王朝は海禁政策を取っていたので、シーナとの交易を望むポルトガルの商人は倭寇、あるいは海寇とよばれる海賊行為と密貿易に従事する彼らと行動するしかなかったのだろう。
そもそも最初に火薬を発明したのも十一世紀のシーナなのである。だがその後火器の威力を進化させ、鉄砲として大々的に征服行為に用いたのはヨーロッパであった為、 「火器を発明したのはヨーロッパであり、鉄砲を日本に伝えたのはポルトガルである」
という誤解、間違った思い込みが浸透するようになったのだろう。
だから勝成も、
「ジャポネーゼはたちまちのうちに鉄砲製造の技術を習得し、特にノブナガ殿はそれを大量に用いて戦を勝ち抜いている」
というオルガンティノの言葉を信じることが出来なかった。
真の文明の創造、優れた機器の発明はキリスト教徒たるヨーロッパ人にのみ神に与えられた才能であり、悪魔を信仰する哀れな異教徒にはそれを模倣することなどは到底不可能であるという意識を勝成も持っていたからである。
「私はこの日野にて多くの鉄砲鍛冶を育て上げ、種子島や堺、根来に匹敵する鉄砲の一大産地にしたいと思っている。山科よ、ついてまいれ。お主の知見を職人共に聞かせるのだ」
賦秀は言った。