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【アダム】
これは未来を繋ぐ物語。
世界会議によって決定した人口増加を目的としたアンドロイド導入計画が決定してから二世紀過ぎた頃、研究者として優秀なアダムは、自身が関わる研究ラボの入口に居た。
「アダム、私これからメインラボに行ってくるわね。」
同僚でもあり、恋人のマリーも同じ研究者として、アダムと同等に優秀だった。
「分かった。マリー、僕もここが落ち着いたらそっちへ行くから、また後で。」
別れ際に見つめ合う。それだけでお互いを大切に思っている事が伝わった。
「ええ、後でね。」
そう言って二人はそれぞれのプロジェクトへ向かった。
◇
マリーはIPS細胞の再生技術をメインに、アンドロイドの維持に必要な神経組織の構築と長期的な維持を目的としたプロジェクトリーダーを任されていた。
このメインベースを作り上げ、一度でも実現させれば、人類存続の大きな助けになると信じて取り組んでいる。
あと少し、ほんの少し。
遅くても明日の朝には、恋人のアダムがプロジェクトリーダーを行っている、アンドロイドの物理的な肉体維持の技術と組み合わせる最終段階まで来ていた。
しかし、そんな中アダムがいるラボの方から爆発音が聞こえ、空気が大きく揺れた。
こんな大きな爆発は今まで一度も無い。
(何故?!何があったの?!アダム!!無事でいて!!)
防護服を身にまとい、世界防衛軍部への救助の指示を施設内の全てを把握しているマリーも一緒に行う。
自分まで爆発に巻き込まれたら危険な事は当然分かっていた。
しかし…
「とにかくアダムを探して!!彼がいなければ未来への光が途絶えてしまう!!!」
今朝、笑顔で挨拶をした同僚の何人かはすでに爆発の勢いで潰れていた。
信じられない光景だった。
いつ、次の爆発があるか分からない。
必死に指示を出しながらアダムを探した。
そして、ラボの片隅にアダムを見つけた。
◇
アダムを急いでメインラボへ運び込んだが、真っ赤に染まった白衣の下の腹部はえぐれ、足や腕はちぎれてしまっていた。アダムは、美しく青い瞳を開いたままだった。
大好きなアダムの悲惨な姿。
しかしマリーは泣かなかった。
泣いている場合ではなかった。
アダムの為に、未来の為に、今自分がこの瞬間生きている事を神に感謝し、そして生かされた意味を瞬発的に理解した。
あの事故の直後、世界で最も科学者として優秀だったアダムは、自身が作った最新化学と医療を結集したラボで治療を受けた。
そして、アダムは奇跡的に意識を取り戻した。
【脳】だけになって。
アダムは大きな試験管の中で、脊髄の様な太い管が何重にも絡まる台座の上に置かれ、そして数え切れないコードで繋がれていた。
意識が戻ったアダムは真っ先にマリーを探した。
『マリー…。マリーはどこ?』
脳だけになり、視覚を失った今のアダムにはマリーの姿は見えない。
ただ唯一、超音波に似た電気信号が脳だけになってしまったアダムの元へ【声】として届き、認識する。
それはかつて地球に生きていたクジラの鳴き声の様に反響し合い、不思議な響きを帯びている。そして程なく、アダムの元へ優しい声が聴こえた。
「アダム、会いたかったわ。愛しい人。」
『マリー、そこにいたんだね。あれ?何だかマリーの声が掠れているね。風邪でも引いたのかい?』
「ふふ。風邪?そうかもしれないわね。」
『君の身体がとても心配だ。暖かくして過ごして欲しい。』
マリーは、変わらないアダムの優しい言葉に心が暖かくなった。
「そうするわ。アダム、貴方が眠っている間に冬になったのよ。目が見えない貴方の代わりに、私が見ている世界を貴方へ伝えるわ。」
『マリー、ありがとう。事故からどのくらい経ったんだい?』
「そんなに経ってないわ。貴方、すぐに目覚めたのよ。まだ目覚めたばかりだからその事はまたゆっくりお話ししましょう。今は貴方の声を聴いていたいの。」
久しぶりの【会話】はいつまでも続いた。
ただ…、
ただ、アダムの【声】は、肉声では無く、ポッドの横にあるフィルムモニターに映し出されている【旧AI学習のVibe Codingに近い文章】だった。
それと同時に、まだ不完全で育ちきっていない、少し癖と硬さのある音声言語。
◇
二人の時間は穏やかに過ぎて行った。
アダムは、現在も開発中のアンドロイドの情緒ベースのメインモデルとして開発には無くてはならない【パーツ】となり、アダム自身もそれを受け入れつつ、マリーとの【会話】の時間を大切に過ごした。
アダムは、マリーとの日々の会話から、急速に滑らかな【音声】になった。
凍える様な冬が過ぎ、若葉が少しずつ顔を出し始めた頃、マリーはアダムのポッドに優しく触れながらその傍らにいた。
かつて張りのあった手の甲には深いシワが刻まれ、小柄だった身体はより一層小さくなり、車椅子の上だった。
(…アダム、私ね…もう90歳なのよ…。なんとか間に合ったの。またあの頃の貴方に会う為に、私、頑張ったのよ。)
◇
マリーの命の灯火は消えかけていた。
『マリー、最近元気が無いね。もう外は暖かくなって来たんだろ?まだ寒いなら君の肩を抱きしめてあげたいよ。』
マリーは変わらないアダムの優しさにクスクス笑っている。
「アダム、もうとっくに気付いているでしょ?貴方が目覚めてからは半年。あの事故からは60年も経ったのよ。私はヨボヨボでしわくちゃなおばあちゃん。事故の後、毎日、貴方にとっても会いたかった。貴方を維持出来た時、やっと涙が出て、いつまでも止まらなかった。私、本当に貴方の青い瞳が大好きだった。見つめ合う事も、抱きしめ合う事も叶わなくなってからもね。ふふふ、でも、今思うとこんな姿を貴方に見られなくて良かったってホッとしてるの。だって恥ずかしいもの。」
『マリー、そんな事言わないでくれ。君はいつまでも素敵だよ。そんな事言ったら僕なんて脳ミソだけだよ。もっと恥ずかしいと思わないか?』
二人の笑い声がラボに響いた。
『マリー、恥ずかしがらないで。だって僕に届く君の声は、今もこんなに美しいじゃないか。』
マリーの前に映し出されたアダムの【声】と、本人ではない【音声】が慰めてくれる。第三者には分からなくて良い。
それでもマリーにはアダムの【声】がしっかりと聴こえていた。
「アダム、私の残された時間はもうそんなに長くないみたい。だから今から聞いて欲しい話しがあるの。」
『…わかった…。君の話しなら何でも聞くよ。』
「私達のラブストーリーは、ハッピーエンドではなかったけれど、バッドエンドでもなかったわね。むしろ、また貴方と話しが出来た奇跡で、私は幸せに包まれたわ。でも、お別れしなければいけない運命だけは変わらなかった。私の身体は限界…。でも、貴方はまだこの先何年も生き続ける。なんせ、私が貴方の専任医師でもあるんだから。まだまだ長生きする事は織り込み済みよ!だから、だからこそ…貴方がこの先の未来の子供たちに、愛することの素晴らしさを教えてあげて欲しいの。もうすぐ完成するアンドロイドは、未来に無くてはならないものになる。いえ、そうでなくてはいけない。だからお願い。私の、貴方への愛を未来へ繋いで…。」
『…マリー、君は本当に素晴らしい人だ。もちろんだよ。必ず繋ぐよ。僕の君への愛も一緒に。』
アンドロイドが本格的に稼働した後も、アダムの脳の機能はその後、数世紀にも渡って維持され続け、そして、人類世界会議によって【typeアダムベースモデル】の停止が決定した。
『マリー、やっと君に会いに行けるよ…。』
気の遠くなる様な時間を経て、アダムは未来へ希望を繋ぎ、静かに役目を終えた。
おわり