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「ようやく片付いたか。ちっ、思ったよりも手こずったな」
ローランがデュランダルについた血を拭いながら呟いた。圧倒的な破壊力を誇るものの、防御の技術が拙劣な彼は無傷では済まず、デックアールヴの刃を数度その身に受けているようである。
「手当を・・・・」
ブリュンヒルデが言ったが、
「いらん。戦いには支障が無い。治療している間に悪神の方が攻撃を仕掛けてきたらどうするのだ」
ローランは断った。戦いの余韻を冷ましたくはないのだろう。興奮状態を保ったままでなければ、悪神に挑む心が挫けるやもしれないのである。
「そうだな。勝つ見込みがあるとすれば、我らが先手を取るしかない。エドワード殿、オークは何体残っている?」
ローランの心がよく分かる重成は頷きつつ、エドワードに問うた。
「九体破壊されてしまったよ。残りは十一体だね」
「よし、このまま行こう。皆、覚悟を決めてくれ」
四人のエインフェリアとワルキューレは心を奮い起こして駆け、グルヴェイグが座すると思われる部屋にたどり着いた。
鮮血を思わせる朱色の門扉が手が触れる前に軋んだ音を立てつつ、開いた。
「よくたどり着いたな、忌まわしいアース神族に使役される奴隷風情が・・・・」
その声は若い女性の声であったが、聴く者の怖気を震わせる陰惨な情念と底の知れない敵意が込められているようであった。
そして四人の勇者と戦乙女は見た。二つの顔を。声の主の右半分はあるいはフレイヤに匹敵するのではと思わせる程の神々しい完璧な美貌であったが、左半分はむごたらしいまでに赤黒く焼けただれた無残な顔であった。
その二つの顔貌が一人の女神の中に同居していた。
あまりに凄まじい姿に驚愕し、なおかつ強大な神気に当てられて金縛りにあったように微動だにしない五人の侵入者にグルヴェイグは嘲笑を浴びせた。
「ふん、そんなに恐ろしいかこの姿が。だがな、この私の左半身を焼いたのはアース神族の王であったオーディンに他ならぬのだぞ」
そう憎々し気に言い放ち、グルヴェイグは己が纏っていた豪奢なドレスを破いた。顔だけではない。すらりとした腕も、そして本来は形が良かったであろう乳房や腹、そして足までもが醜く焼けただれているようである。
「オーディン様が・・・・?でもそれは神王としての責務から悪神のお前に正義の裁きを下したに過ぎないのでしょう・・・・」
「正義?正義の裁きと申したか?あはは、これはおかしい。流石はオーディンが造った奴隷、いや奴隷未満の操り人形よな。あのような最も邪悪で好色な神を正義と盲信しているとは。あはは、哀れよな。あはは・・・・」
グルヴェイグは玉座に座したままのけぞって哄笑した。右半分の顔は涙まで浮かべながら狂的に笑っているが、焼けただれた左半分の顔面は皮膚がひきつってほとんど変化が無い。
その無残な顔貌から発散される底の知れない狂気と憎悪に四人の勇者と戦乙女は声もなく、ただ怖気を振るうしかなかった。
「ならば教えてやろう、エインフェリアと言う名の奴隷と造られた人形よ。アース神族の王であったオーディンの本性を・・・・」
あの時、そうラグナロクが行われるよりも遥か昔、ヴァン神族とアース神族は多少の小競り合いはあったものの全面的な対立には至らず、小康状態を保っていた。
ヴァン神族の王、ニョルズは本来戦を殊の外厭う平和主義者である為、アース神族と強固な関係を築くべく、婚姻関係を結ぶことを考えた。
本来ならばニョルズは己の娘であるフレイヤを差し出すのが筋なのだろうが、フレイが溺愛する妹をアース神族に嫁がせるのは絶対に嫌だと言い張ったのだ。
我が子には弱いニョルズは断念するしかなかった。いや、淫乱で求められれば誰とでも寝るフレイヤを嫁がせればかえってアース神族との関係が悪化すると考えたのかも知れんな。そこで代わりに私が選ばれたのだ。
今はご覧の有様であるが、かつてはフレイヤに引けを取らない美貌と称えられたのだぞ。嘘ではない。この右半身にその面影は残っておろうが・・・・。
まあとにかくオーディンの息子と釣り合うのはフレイヤ以外に私しかいなかった。
これでヴァン神族とアース神族の関係は良好なものになるはずであった。
私は誰と結婚することになっていたのかな?今も生き残っているらしいヴィーザルかヴァ―リか、それとも光り輝くバルドルか・・・。もしかしたらトールだったかも知れんな。もはやどうでもいいことだが。
私はアースガルドに赴くと、まず王であるオーディンの元に挨拶に行った。当然の礼儀だな。するとオーディンめ、何を血迷ったのか、息子の花嫁になるはずの私を犯そうとしたのだ。フレイヤの噂を聞いているであろうから、この私を同様の淫乱な女と決めつけたのだろうな。
だが私は拒んだよ。当然だろう。婚姻を前に花婿の父と寝るなど許されない不道徳、罪悪であるとな。
そう言って拒んだ時のオーディンの顔、フフフ、今でも目に焼き付いておるわ。
王である自分を拒まれた怒り、屈辱、憎悪。震えあがったよ。こ奴こそが真の悪であると思い知らされた。ロキなども奴に比べればまだ可愛いものだろう。
奴は力づくで散々私を犯し、嬲り、それだけでは気が済まないらしく、ついに炎でこの半身を焼いたのだ・・・・。
「そんな・・・・。アース神族の王であったオーディン様がそのような・・・・」
呆然と呟く戦乙女をグルヴェイグは勝ち誇ると同時にわずかな哀れみを込めて見据えた。
「ふん、お前たちはかつての王は高潔で賢明であったと聞かされているのだろうな。だが私の話は紛れもない真実よ」
「・・・・」
ブリュンヒルデは悪神の偽りだと一蹴したかったが、出来なかった。
本能が告げているのである。彼女の話は真実であると。
アース神族とヴァン神族が戦となったのはオーディンがヴァン神族に向かって槍を投じたからだと聞かされていたが、それはつまりオーディンが女神を犯したことを暗喩しているのではないか。
かつての神王の所業をそのまま伝えることは流石にはばかられたので、このような形で真実をほのめかしているのではないか。
そしてやはり自分には前世の記憶がかすかにあるのだろう。オーディンが己に逆らう者は断じて許さない酷薄で非寛容な神であると分かるのである。
そう、かつて自分は確かにオーディンの命に背いたが為、炎の牢獄に幽閉されたのだ。
いかなる理由であったかは思い出せないが、やはり自分は前世において罪人であったらしい。
その事実に目を背けず受け入れた為か、もはやブリュンヒルデは己を失うことはなかった。眼の前の不幸な女神に対する同情心と前世における主君の所業に対する憤り。そして己は重大な宿命でもって今世に復活したのだという使命感がブリュンヒルデの魂と神気に研磨された剣のような強靭さを与えた。
眼の前の戦乙女が己の話を信じ、なおかつその神気が強さを増したことを察したのか、グルヴェイグの狂的な表情が覚め、その瞳に理性の光が宿った。
「そのオーディンめはラグナロクにてフェンリルという化物に飲み込まれたらしいな。奴にはふさわしい末路と言うべきか。この私の手で八つ裂きに出来なんだのは残念であるが・・・・。まあ、お前たちはオーディンには会ったこともあるまいし、所詮はその息子に奉仕する奴隷に過ぎん。そのような者共にさして興味はない。見逃してやってもよいぞ。今や私が滅ぼさねばならぬ敵はアース神族ではなくヴァン神族であるからな」
「貴方はフレイヤ様だけではなく、かつての同胞であるヴァン神族全てを敵とするのですか・・・・?」
「同胞?同胞か・・・・」
グルヴェイグは鼻で笑ったが、ほろ苦い感情もわずかに混ざっているようだった。
「私がオーディンに凌辱されたことに報復するために戦を始めたことはよいが、結局奴らは途中で戦に飽いてしまった・・・・。挙句、あくまでアース神族を滅ぼすことを主張する私を追放して、勝手に和平を結んでしまったのだ。奴らもアース神族と同様有罪よ。アース神族はラグナロクにて一度滅んでその報いを受けたが、ヴァン神族の者共は何も報いを受けていない。だからこそこの私自身の手で報いを与えてやるのだ」