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私の母は優しい人だった
世間からはいい目で見られるような方ではなかったけど、本当は心優しく、弱くて脆くて、争いを誰よりも好まなかった。
でも、国である以上、母は身を削らなければいけなかった
「御国の為に」
「天皇陛下の為に」
そんな空っぽな言葉を掲げて
争い、傷付け、争い、傷付けられる
恨み、争い、恨まれ、争う
母は、その時点で身も心もズタズタだったのでしょう。
私に顔を見せる回数も段々減り
何時からか全く来る事は無くなってしまいました
幼かったこともあり、私は母が恋しくて毎晩泣いていました。
でも、何度泣いても、どれだけ大きな声で泣いても
戦前の様に暖かく抱き締めてくれる母の姿はありませんでした
とある夏の朝でした
何故か屋敷が騒がしく、使用人の女性に理由を尋ねました
使用人の女性は、先程、広島に原子力爆弾という新型の兵器が落とされたという事。いち早く気付いた母が、爆弾を止めようとして、直で爆弾を受けた事を話してくれました。
私は背筋が凍りました
私は皆の言う事も聞かず、広島へ向かいました。
私は一度、広島の町に赴いた事があります。
しかし、そこで見た光景は全く違うものでした。
崩れ落ちた家だったであろう物、そこら中に転がる死体、今まで感じた事の無い有害な空気
私は泣きながら母を探しました
恐らく小一時間は探したでしょう
私は奇跡的にも、倒れている母を見つける事ができました。
国は人より遥かに頑丈で、再生能力も身体能力もあります。
しかし、母は酷い火傷で皮膚が爛れていました。少し時間が経っていた為、被爆した直後よりかはマシでしたでしょう。
しかし、無惨な姿になっている事は変わりありませんでした。
私は母に駆け寄りました。
母は意識があったようで、私を見るなり涙を流しました。
日帝「日本…」
とても小さく苦しそうな声でしたが、それは間違いなく優しかった母の声でした。
私は母に泣きながら抱きつきました
今考えると、それは母に激しい痛みを感じさせるものでした。
しかし、母はやさしく抱き締め返してくれました。そして、振り絞ったような声で語りかけてくれました。
日帝「日本…今までごめんな…寂しかっただろう…」
私はその言葉を聞いた途端、声を上げて泣きました。今まで堪えていたものが爆発したように
母は私の頭を優しく撫でながら
日帝「日本、私はお前の笑顔が好きだ、皆を照らしてくれるような、明るい笑顔が好きだ」
日帝「強く生きて、この国を立て直すんだ。もう、誰も空襲に怯える毎日を送らせないように」
母は責任を感じていたのでしょう。守るべき物が守れない不甲斐なさに、何度も打ち砕かれていたのでしょう。
母は苦しそうにこう放ちました
母は冷たくなっていました。私は起きない母を必死に起こそうとしました。しかし、母が二度と目を開ける事はありませんでした。
その後のことは、あまり覚えていません。
数日後に長崎にも原爆が落ちた事
戦争に敗れ、降伏した事
幼かった私はアメリカさんに預けられた事
その程度しか覚えていません。数ヶ月は私は塞ぎ込んでいたと思います。
私を預かったアメリカさんも、表には出さないけど、酷く悲しんでいる事を感じました。
私はお前がやったくせに、と思っていましたが、彼も国。そうするしかなかったのでしょう。
時は過ぎ、この国も無事に世界有数の発展した国家へと変わりました。
私も今は立派な国の1人です。
母上、見ていますか。
私は、貴女が好きだと言ってくれた笑顔で、毎日を過ごしています。
今は見違える程立派な国家になりましたよ。
母上の言った言葉、守れている気がします。