「ママー!」
「凜! ごめんね、お迎え行けなくて……」
「だいじょーぶ! おにーちゃんがきてくれたから!」
「そっか」
アパートに着いて竜之介くんの部屋を訪れると、元気いっぱいの凜の姿に安心した私は思わず涙腺が緩んで泣きそうになるのを我慢して抱き締めた。
私が迎えに行けなくても泣かないなんて、強い子に成長したんだなと思う反面、少し寂しくもなった。
だけどきっと、迎えに行ったのが竜之介くんだったから泣かなかっただけかもしれない。
凜は竜之介くんの事が本当に大好きだから。
「亜子さん、こちら、田所 一樹。俺の付き人みたいな感じなんだけど、今は親父の会社で社員として働いていて、時々俺の近況を確認しに来るんだ」
「初めまして、田所です。私は陰ながら竜之介様をサポートをしております」
「は、初めまして! 八吹 亜子です。あの、凜の事を見ていただいてありがとうございました」
「いえ。お気になさらず。竜之介様に言われた通り、凜様のお夕食は済んでおりますので」
「すみません、ありがとうございます」
竜之介くんが紹介してくれた田所さんは、彼よりも少し背が高く、黒髪のマッシュヘアで黒縁眼鏡を掛けた、インテリ男子と言った感じの人。
年齢は恐らく、私と同じくらいか少し下だと思う。
「悪かったな、いきなり頼み事して。もう用は済んだから帰ってくれて構わない」
「左様でございますか。それでは私はこれで失礼致します」
「ああ。それと例の件、親父に報告頼むよ」
「かしこまりました」
それだけ言って田所さんは手際良く荷物を纏めて一礼すると、さっさと帰って行ってしまった。
「竜之介くん、良かったの? 話があったりしたんじゃ……」
「いや、構わない。今日呼んだのは凜を見てもらう為だったから」
「そっか、何だか田所さんにまで迷惑掛けちゃって申し訳ないや……」
「一樹は俺が頼んだ事をやるのが仕事みたいなものだから気に病む事は無いよ」
「そう、なんだ」
「ママー! おにーちゃん! あそぼ?」
「え? 凜はもうお風呂に入って寝る時間よ?」
「ぼく、まだねむくない!」
「そんな事言ってないで、お家に帰るよ」
「やだー! ぼく、おにーちゃんといる!」
「亜子さん、明日は土曜で仕事も休みでしょ? 凜見てるから、少し一人でゆっくりした方がいい。色々あって、疲れてるだろうし」
「でも……」
「俺なら平気だから。よし凜、少し遊ぶか」
「わーい!」
正直、竜之介くんの申し出は有難い。
お風呂もゆっくり入りたいし、少しだけ一人で居たい気持ちもあったから。
「ごめんね、それじゃあ少しだけ、凜の事よろしくお願いします」
こうして竜之介くんの厚意に甘えて凜を任せた私は一人隣の部屋へ戻ると、お風呂に入り、今日起きた色々な事をシャワーで洗い流していった。
そして、一時間ちょっと経った頃に再び竜之介くんの部屋を訪ねると、
「凜、少し前に眠ったところだし、話もあるから、とりあえず上がってよ」
「……うん、それじゃあ、お邪魔します」
凜は眠ってしまったようで、すぐに起こすのも可哀想だからという事と話もあるというので、もう一度お邪魔する事になった。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
キッチンでいつも通りハーブティーを淹れ、カップを二つ手にした竜之介くんから一つ受け取ると、彼は私の座るソファーの横に腰を下ろす。
「少しはゆっくり出来た?」
「うん。お風呂にゆっくり入れたのは久しぶりだったし、疲れも取れた気がする」
「それなら良かった」
ハーブティーを口にしながら時折会話を交わす私たち。
ふいに会話が途切れて無言になってしまうと、竜之介くんは持っていたカップを前にあるテーブルの上に置いたので、何となく私もそれに倣ってカップを置いた。
「――亜子さん、俺、考えたんだけど、このアパートから引越しするのはどうかな?」
「え?」
「念を押しはしたけど、ああいう粘着質な男は諦めも悪い。これ以上亜子さんや凜に危険が及ぶ事は絶対に避けたいんだよ」
「……そう出来るならそれが一番良いけど……現実問題、引越しする余裕は無くて……」
「それなんだけど、亜子さんさえ良ければ、一緒に暮らすのはどうだろう? 勿論、亜子さんと凜の部屋も用意する。同棲と言うよりはルームシェアに近い感じだと思えばいい。家賃や光熱費は提案した俺が負担するから、金銭面でも楽になると思う」
「そんなっ! そこまでしてもらう訳にはいかないよ!」
「俺がそうしたいんだ」
「でも……」
「亜子さんは、一緒に暮らすのは嫌?」
「……そういう訳じゃ、無いけど……」
突然の話に、私はどうしたらいいのか困惑する。