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どこからか聴こえてくる歌声。
その音色はとても美しくて、透き通っていて。それでいて、陽気で明るい。聴いていてとても気持ちがいいそれに、目を瞑って聴き入れば、ゆっくりとこちらに近付いて来るのが分かる。それは、ほんのりと苦味を漂わせながら、僕の近くで留まった。
「コーヒー、お持ちしました〜」
カチャン、とカップが机に置かれる。瞼を開き、それを、ぼーっと見つめていれば、目の前でひらひらと雲雀の手が揺れた。
「奏斗?眠いん?」
「…..違うよ、お前の歌に聴き入ってただけ」
「俺、歌ってた?」
「鼻歌ね」
「まじか、無意識やったわ」
そう言って、僕の正面の席に腰を下ろした。
閉店後は静かで、ゆったりとした空気が流れている。昼間の、お客さんで賑わうココも好きだが、誰もいないこの時間が結局一番好きだったり。
目の前に置かれたカップを手に取り、そのまま口元へ運ぶ。ふわっと、コーヒーの匂いが湯気と共にこちらへ香ってきて、それだけで、小さな幸せを感じてしまう。月に一回、あるかないかの貴重なこの時間だから、余計にそう感じるのかもしれない。
こう、まったりとする為に、店に来ることはそう無い。と、いうか、出来ない。いつもなんだかんだで、仕事に振り回されてしまうからである。
カップに口を付け、傾ければ、温かさが口の中から喉へ、喉から身体へと広がっていく感覚がハッキリと分かった。少し肌寒い今日は、特にそれが身体に染み渡る。ふぅ、とひと息つき、雲雀に視線を向けると、頬杖をついてこちらの様子を見ていた。それはそれは、にこやかな表情で。
「な、なに?そんなニヤついて」
「いやぁ?なーんもない」
そうは言うが、未だに顔はにこやかなままだ。その顔をしばらくじっ、と、疑うように見ていたが、雲雀は表情を変えずに、また、鼻歌を響かせ始めた。なんの歌かは分からない、適当に奏でられる音たち。それでも綺麗で、それを聴きながら、僕は再びコーヒーを啜った。
「なんか良いことでもあったの?」
「んー?…..そうやね、あったかも」
「ふぅん」
「気になるん?」
気になる、そう素直に言うのは少し気が引けた。雲雀が、とても聞いてほしそうな顔でそう言うから。別に、と、言いたくなる。でも気持ちは、『気になる』に向いている。それに抗うにはあまりにも、『別に』の気持ちが足りなかった。
「うん、気になるかも」
「ふふん、教えな〜い!」
「っはぁ?!なんでだよっ!」
「ははっ、冗談冗談!」
素直に返せば、悪戯に返ってくる。僕が仕掛ける側でも多分、同じことをしていた。その、あまりにも似通った思考に、ふっ、と少し、口元が緩んでしまう。
「で、何があったの?」
「…..今、この時間。」
「…….うん?」
「奏斗がさ、俺の淹れたコーヒー飲んで、俺の前でゆったりしてるこの時間、好きなんよね」
目を細めて、柔らかい表情でそんな事を言うから、なんだか少し照れてしまって。照れ隠しに、コーヒーをグビっと飲む。その勢いに身体が驚いたのか、変なところに入って噎せ、しばらく、ごほごほと咳き込んだ。
「っおいおい、大丈夫かよ」
「ん”ん”っ、…..だいじょぶ、」
口元を両手で覆い、落ち着くために息を吐く。
今、この瞬間が、雲雀にとっての『良いこと』。それを、脳が理解してしまえば、口元がだらしない事になってしまう。勝手に、口角が上がっていくのだ。僕にとっても、それは同じだから。
「…….なぁ、…..キス、したいかも。いい?」
「っは、?…..や、ココ、店なんですけど」
「閉店後は誰も来んよ?それにほら、この時間だし」
指す方へ視線を向けると、時計が二十一時を示していた。視線を戻した時にはもう、雲雀はこちらに寄って来ていて。「ダメ?」と、期待の眼差しで見つめてくる。これに僕は、めっぽう弱い。が、とりあえず視線を逸らし、抵抗してみせる。
「口元隠してても無駄やからね。嬉しそうな顔してる」
「な、…..透視能力でも持ってんの?」
「いや、普通に丸分かりやって」
「どこが、っ…..ちょ、ちょっと!」
待ちきれなかったのか、僕の手の上からキスをしてくる。そんな事をされてしまっては、手を退けるタイミングを見失うのに。それに構わず、何度も何度も手の甲にキスを落とす雲雀を、瞬きを挟みながら見つめた。
こんなの、もう、どうしろっていうんだ。雲雀が止まるまで、動くことが出来ないこの状況。甲にふにっと、雲雀の唇が触れる度、どうしようもなくキスがしたくなる。こんな事になるなら、口元なんて覆わなきゃ良かった。とさえ、思う程に。
「ひ、ばり…….」
眩しい瞳がこちらに向いて、視線が交わる。と、キスも止んで、雲雀の口元がニッと笑う。
あぁ、なんか、嬉しそうだな。
「キスする気になった?」
「…..手、雲雀が退かして」
「んはっ、了解」
両手首を掴まれ、口元が露になる。そのまま、すぐにキスされるかと思いきや、熱っぽい視線だけがこちらに向き続ける。早く、…….早く、キスがしたいのに。寸止めみたいに焦らされて、うずうずする。しかし、早まるその気持ちをなんとか抑えながら、視線を逸らさずに待てをした。雲雀の、揺れる瞳を見つめながら。
その瞳が、ゆっくりと隠れていく時、僕の瞳もまた、瞼によってかくれんぼ。唇に柔らかいものが触れて、その瞬間、身体の奥から熱がぶわっと押し寄せた。無意識に固く閉じた口を、開けろと言うように軽く舐められ、肩がびくっと上下する。
「っふ、…..びっくりした?」
「し、てない…..し」
「そ?んじゃあもっかい、」
「っん、…..ん、…」
「…..口、開けて?」
そんな風に、優しい声で言わないでくれ。心の中で、そう叫ぶ。無意識にしてくるそれらに、僕はいつも抗えない。聞いてあげたくなるような、何されても許してしまうような、そんな声色、表情。素直にぶつけられる言葉にも、強い力が込められていていつもカウンターを食らう。まぁ、でもそれは、『雲雀だから』なんだろうな。
おずおずと、躊躇いつつも口を開けば、すぐに舌が入ってきた。一気に熱が高まり、その熱が濃くなるにつれて、酸素は薄くなっていく。
「っふ、…..ん、ぅ………はっ…」
絡められる舌を必死に受け入れていれば、案外すぐに唇が離れていった。掴まれていた手首も解放され、突然、自由の身となる。真っ暗だった視界に光を入れたら、最初に目に入ったのは雲雀の顔で。ほんのりと紅い頬と、満足そうに笑う目元。目が合えば、僕の頭を優しくポンポンと撫でてきた。
迫られたら拒むくせに、短いと物足りなさを感じてしまう自分は、おかしいだろうか。あまりに自分勝手な感情ではある。しかし、分かっていても、誘ってきた責任は取ってほしい。そう思ってしまうのは、我儘かもな。
でも、それでも、良い。雲雀の我儘も聞いたから、今度は僕の番だと、構わずぶつける。
「もう、終わり…..? 」
「っえ…..?」
きょとん、とした、間抜けな声が返ってくる。多分、不意打ちだったのだろう。口をあんぐりと開いたまま、こちらを凝視するその姿が少しおかしくて、笑いそうになる。が、なんとか堪えて話を続ける。
「さっきまでの威勢はどうしたよ、雲雀くん?」
「や、…..これ以上したら、歯止め効かんくなるんやって…..」
「ふぅん、だから止めたんだ。……………雲雀のヘタレ」
「っはぁ?!言ったな!!」
ぼそり、と煽る様に呟いたそれは、耳の良い雲雀にはバッチリ聞こえてしまう。分かっている上で発した言葉なので問題は無いが。頭をグイッと、少し強めに引き寄せられ、先程よりも激しいキスを交わす。思わずギュッと目を瞑り、その勢いに身を委ねた。
再び湧き上がってくる熱は、みるみる上昇し続ける。身体の奥底からふつふつと、まるで、お湯が沸騰する寸前みたいに。熱くて、溶けてしまいそうな温もりが、二人を支配する。それは、しばらく下がることなく、沸点まで加速していくのだ。
机に、冷えきったコーヒーを残したまま。
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