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春。朝の空気はどこか埃っぽくて、だけど肌に刺すような冷たさはもう残ってなかった。加賀谷京志は、西成の古びた団地の一角から、静かに歩き出していた。
制服は真新しく、けどどこか似合ってない。それもそのはず、今日が転校初日。行き先は「西成第一中学校」──地元じゃ、ちょっと名の知れた公立中。
道すがら、空き缶が転がってきたのを無意識に避けた。電柱には「暴走族撲滅」「薬物禁止」とか書かれた色あせたポスター、タバコの吸い殻、犬の糞、錆びた自転車。
「…ここが、西成か。」
小さく呟く。もともと大阪の外れに住んでいたが、西成に引っ越してきたのは父・慎吾の仕事の都合だった。もっとも、父はそんなことを説明するようなタイプじゃない。ただ「明日から、ここで生きろ」とだけ言われた。父は普段何しているかわからない。息子に関心を向けることはほぼない。ただ5才の時からずっとトレーニングの相手をさせられていただけだ。ほとんど家には帰らない。
途中、コンビニの前にたむろする中学生数人が、京志を一瞥する。
「なんやアイツ…見ぃひん顔やな」
「新入りか?」
視線が刺さる。でも京志は、何も言わずにその場を通り過ぎた。何度も経験してきたことだ。恐れも、驚きも、もうなかった。
西成1中は、フェンスの網が一部破れていて、体育館の壁には「一中参上」というスプレー跡がうっすら残っている。校門の横では、数人の生徒がタバコを吸いながら笑っていた。教師は、見て見ぬふり。
「これが、“西成一中”か。」
強さをひけらかす奴がのさばる、そういう場所。噂では喧嘩で凶器がでてきたり、放火窃盗などそんな話ばかり聞いた。
でも、京志は何も動じない。ただ静かに校舎の中に入る。
教頭に案内され、無言のまま職員室を出る。次は教室だ。
──その途中。
廊下の角を曲がった瞬間、ぶつかる。大きな壁のような体。
「っ…!」
ぶつかった相手は、びくともしないそのまま、ゆっくり振り返った。
そいつはでかかった。180センチは優にある。がっしりした体格、鍛えたのが一目で分かる太い首と肩。時代錯誤の長ラン、こいつ本当に中学生か?
「悪い…」
静かにそう言ったその男が、間柴健だった。
「…お前、見ぃひん顔やな。転校生か?」
京志は、ゆっくりうなずいた。
「そうや。加賀谷京志。」
名前を聞いた間柴の目が、わずかに鋭くなる。だが、すぐに口元に笑みを浮かべる。
「へえ…噂は聞いとるで。伝説の息子、やろ?」
「……。」
「俺は間柴や。そんな顔すんなや、うちの親地元で長く不動産の仲介やってっからな。まあ、うちの学校はちょっとクセあるけど──がんばっていけや転校生。死なん程度にな」
間柴はそう言って、軽く肩を叩いて去っていく。
京志はその背中を見つめながら、心の奥で何かがざわつくのを感じていた。
“ここでも、試されるんやろな。”
そして、教室のドアが目の前に迫る。