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週明け、通常通り出勤すると、支店長と本部長から久美子と共に会議室に呼ばれた。
上司たちの話によると、やはり私の予想通り、大木はあの翌日に自ら退職願を提出したという。しかしそれは受理されることはなく懲戒解雇、つまりクビになるだろうと本部長は言い、ただしその理由は上層部以外には伏せてあると付け加えた。
それを聞いた私と久美子は、今回の件の詳細は口外しないでほしいということかと理解した。私としても大っぴらにしたいようなことではなかったから、黙って頷いた。とはいえ恐らく完全には隠しきれず、しばらくは密やかな噂になるだろう。そして広いようで狭いこの業界に、大木の居場所はきっともうない。
この時、上司たち、特に支店長から謝罪の言葉をもらった。
『普段からもっと自分が目を配っていれば、このような事態にはならなかったかもしれない』
タラレバを言っても今さらだし、早く相談しなかったという負い目のようなものが少なからずあった。だからそれを複雑な気持ちで聞いてから、私は上司たちに言った。
今後、今回のようなことが起きないでほしい――。
これがきっかけかどうかは分からない。ただこの後間もなく、人事部直通のホットラインが設置された。
最後に宗輔との関係を聞かれた。ホテルでの私たちの様子から察していたようではあったが、本当のところを確かめたかったらしい。
これについては予感があったから、すでに宗輔や社長と話をして、隠すのはもうやめようということになっていた。
宗輔と結婚の約束をしており、結納前ではあるがすでに両家とも承知していることを話すと、支店長も本部長も、そして久美子も驚いた顔をした。上司たちから祝福の言葉をもらったが、やや複雑そうな顔に見えないでもなかった。今回の件もあるし、大手取引先の身内が社内にいるのは、彼らにとっては諸手を挙げて歓迎できるようなことでもないのだろう。そんな彼らをよそに、久美子は嬉しそうに私を見ていた。
帰りのロッカールームで、私は改めて久美子と戸田に宗輔とのことを話した。
二人は、やっぱりね、と大きく頷いた。仕事はどうするのかと問われ、続けると答える私に、二人はほっとした顔を見せた。やりにくくはないかと訊ねると、久美子が言った。
「こういう話は珍しくないわ。それにそんなこと言ったら、戸田のお父さんは取引銀行の常務よ」
戸田は苦笑した。
「私は完全に親のコネでの就職ですよ。それで、女子会はいつにします?」
ーーそれからが慌ただしかった。
年度末の繁忙期に入ると何もできなくなるからと、私たちは日程を調整して、互いの家に結婚の了承を得に行った。そこから結婚に向けて諸々のイベントごとをこなしつつ、私は少しずつ宗輔の部屋に荷物を運んだ。忙しかったけれど、この先に宗輔との未来があるのだと思えば楽しいものに思えた。
すでに一緒に暮らすような生活を始めてはいたが、自分の部屋を解約して宗輔の部屋に完全に移ったのは、年度が改まってからだった。
結婚式は少し先の予定だ。宗輔の家が家だから、恐ろしいほど盛大なものにしなくてはいけないのだろうかとびくびくしていた。しかし奥様――義母の口添えもあって、結婚式の招待客は親戚と親しい人たちで、となりそうだ。ただ、特にマルヨシの関係者に向けた披露をどうするかはこれから考えることになっている。なんとかなるだろうと宗輔が言っているから、それについていけばいいのだろうと思うことにしている。
そして今日は、桜が咲き誇る公園に前撮りで来ていた。宗輔の気持ちを聞いた公園だ。
その宗輔は白羽織にグレーがかった袴姿。私はゆったりと編み込んだ髪を下ろし、淡い薄桃色の着物姿だ。
用意ができてしずしずと現れた私を見て、宗輔はため息をついた。
「綺麗すぎるだろ――」
周りに家族たちがいると言うのに、彼はそんなことを言う。
「恥ずかしいんだけど」
「いいじゃないか。褒めてるんだから」
すると、両家の親たちまでもが口々に言い出した。
「本当に綺麗ねぇ。宗輔には、もったいないわ」
「我が娘ながら、本当に見違えちゃって……」
「本当だね。こんな姿を見られる日が来るなんて……」
「いやはや、こんなに綺麗な娘ができて、本当に嬉しいですねぇ」
身びいきにも程がある。どういう顔をしたらいいか分からなくなって、私はうつむいた。
「みんな、そろそろその辺りでやめてやって」
可笑しそうに笑う宗輔に、私は赤面しながら文句を言った。
「宗輔さんが最初に言い出したからでしょ」
「俺は本当のことを言っただけだぞ」
「本当のことって……」
甘ったるい私たちのやり取りを、両親たちはにこにこと見守っている。そんな中、私の母が急に涙声となって言い出した。
「――宗輔さん、佳奈のこと、よろしくお願いします」
宗輔は母に向き直ると、表情を改めて力強く頷いた。
「はい。佳奈さんのことは幸せに、大事にしますから。安心してください」
「もう、お母さんったら。結婚式はまだ先よ。泣くのはその時まで待ってよ」
鼻の奥がつんとしそうになるのをごまかすように、私は明るい声を出した。
「あらやだ、そうよね。ごめんなさい」
撮影の準備を終えたカメラマンが、私たちを呼ぶ。
「すみません、お二人とも。そろそろ撮影始めてもいいですか?」
「は、はい」
「佳奈、手、貸して」
「ありがとう」
私は宗輔の手のひらに自分の手を重ねた。
そのまま彼に手を引かれて、カメラマンが指示した場所に二人して立つ。
「自由に動いて頂いて大丈夫ですからね」
「自由に、って……」
戸惑う私に宗輔はくすっと笑う。
「プロだから、なんとでもできるってことなんじゃないの?それなら……」
そう言うと、宗輔は私の額にキスをした。
「なっ、ちょっと!」
「カメラマンさん、今みたいな感じでもいいんですか?」
「はい!今の、すごくいい感じでしたよ!」
「……うそでしょ」
私は頬を熱くして、宗輔を見上げた。
「ほら、佳奈も俺にキスして」
「えっ!」
ギャラリーと化した親たちは、微笑ましいとでもいうような顔で、相変わらずにこにこと私たちを眺めていた。
隣を見れば、宗輔が私のキスを待っている。その目はまるでいたずらっ子のようだ。
私は可笑しくなって、くすくすと笑いながら彼の頬にキスをした。
カメラマンの声が聞こえた。
「今のもいいですね!普通に二人で並んでいるところも、後で何枚か撮らせてくださいねっ」
「普通にってどんなの?」
「さぁ?」
私と宗輔は手を取り合って、笑いながら顔を見合わせた。
「今の感じも素敵ですよ!」
カメラマンの明るい声が飛んできた。
こうして撮影は順調に終わった。
そしてこの日、私は「高原佳奈」になった。
それからおよそ二か月近くがたったその日、私と宗輔は、出来上がって来た写真を眺めていた。どの写真も笑顔にあふれている。
私はもちろんだけれど、それ以上に宗輔が幸せそうなのが嬉しい。その顔は、出会った時の無愛想な表情とは全く無縁の明るい笑顔に満ちていた。
「これからも、あなたのこういう笑顔をたくさん見たいわ」
「こういう顔は、佳奈が傍にいる時限定だよ」
そう言って目元を緩める彼に、私はこみ上げる気持ちのままに言った。
「ねぇ、宗輔さん。――私を好きになってくれてありがとう」
「嬉しい言葉だけど、唐突にどうしたんだ?」
「ん……。なんだか急に言いたくなったの。あなたに見つけてもらえて良かったな、って」
宗輔は私に腕を回して、自分の方へと抱き寄せた。
「人との出会いって、ほんと、奇跡だよな。佳奈に会えて、再会できて、この奇跡に感謝しているんだーー。佳奈、俺の気持ちを受け入れてくれて、そして気持ちを返してくれてありがとう。愛しているよ」
「私も愛しているわ。ありきたりな言い方かもしれないけれど、あなたに会えて心から良かったと思っているの」
私は宗輔の手に自分の手を重ねた。
二人の薬指のペアリングが結婚指輪に代わるまであと少し。数日後には結婚式が待っている。
ずっと一緒にいてね――。
私はそう言って、宗輔にキスをした。
(了)