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みんなは、闘病生活を送ったことがあるかい?
……そうだね。ふつうは骨折だったり風邪などの感染症しかなったことはないだろう。かくいう僕も、五年ほど前まではそんな感じだった。だからこそ、闘病生活というものの真の恐ろしさも、知ることはなかった。
闘病中……特に、僕のような難病持ちにとっては、毎日が死と隣り合わせだ。いつ死ぬかもわからない、病名ですら不明。そういったものであった場合の恐怖心というものは、何物にも代えがたいほどの恐怖であり、絶望である。かくいう僕も、病名不明、症例が今までのものとあてはまらないという何もかもがわからない状態での闘病生活を強いられることとなった。
僕の病気は、体の端……つまるところ、足の指先や手の指先から、少しずつ腐敗していくというものだった。
当然、僕たちは何とかして病状を悪化させないような努力、手術をした。腐敗が始まった個所は片っ端から切断し、病原菌が体の中にいるという状態を作り出さないようにしていた。そして、傷口から感染症にならないように、そして病原菌に感染しないように消毒液に傷口をつけたり縫合手術なども何度もした。……もう、数えきれないほどに。
それでも僕の病気の進行は留まることを知らないかのように切ったところからすぐに腐敗が始まっていく。そして、だんだんと強い腐敗臭が病室を包み込んでいく。この病気になってから五年。僕はもう、疲れていた。腕は根元どころかそれよりも少しだけ進み、肺などの内臓に届こうとしている。しかし、これ以上の切断、切除は生命に関わるという医師の言葉のもと、点滴に抗生剤などを入れて体内へと送っている。しかし、内臓のほうにまで届くのは、それから一週間ほどだった。
「う……ぐぅ……ああああ!」
……とうとう、恐れていた事態が発生した。内臓が腐敗してきたのだ。内臓に届かれてしまえば、もうやられたい放題だ。肺が、腸が、悲鳴を上げているのがわかる。この筆舌しがたい感覚……内臓が、どんどんと悲鳴を上げ、僕の体を激痛で満たす。そして、その痛みが少しずつ和らいでいく。それは、腐敗が止まったからではない。……腐敗が進みすぎて、脳に神経が「痛い」という情報を送ることができなくなっていくのだ。そして、次は他の場所が痛くなる。そして、先ほどまで激痛だったところは、だんだんと溶けていくような、どろどろとした物体へと変化する。その不快感は吐き気が百倍になったのと、料理が苦手な人が作った得体のしれないものを十キロ一気に食べたような……とにかく、この世の終わりのような時間だった。
「……」
ずっとのたうち回っている僕の様子を見て、医者は何かを思い出したかのようにいそいそとどこかへ向かった。
そして数分がしたころだろうか。(この世の終わりのような気分の僕がそう感じたから、本当は10秒程度なのかもしれない。)ある小さな機器を持った彼は、「少しだけ、延命手術をさせてくれ」といった。実際、僕がしゃべることができたらこう言っていただろう。「延命なんかしなくていい。だから、早く殺してくれ」と。
しかし、母はそんな僕の意思とは裏腹に、「わかりました、できるだけ息子が苦しまないようお願いします」といっただけだった。今ならわかる。きっと、僕が先に死んでしまうということ自体が最大の親不孝の証である、と考えたのだろう。そして、僕の意思が尊重されることはなく(そもそも話せないのだが)、手術が行われた。
数時間ほどして、ぼくは目を覚ました。
「!?」
そして、僕はすぐに体の違和感を覚え体のほうを見ると、そこには機械のような鉄の肌があった。今回は見た目だけだが手も足もある。久しぶりに見る人の体に、僕は少し感動してしまった。
そうして、僕が久しぶりの体を見ていると、医者がこう言った。
「もしかしたら、治療をすることができるかもしれません」……と。
僕たちは唐突なこと過ぎてはじめは何を言っているのか理解できなかった。だって、治療法があるというなら、僕は何のためにあんなにまでして体を切断したんだ?それに、それだったら僕は何でこんな体に、内臓も腐ってしまった体にならなくてはいけなかったのだろうか。
次から次へと疑問符が出る。しかし、これだけは確実に言える。
きっと、これが最初で最後のチャンスである、と。
だから、僕と母、そして手術中に駆け付けたのであろう父、祖母、祖父たちが一斉に頷く。そして、代表として母が手術をすることを了承するのだった。
しかし、僕たちは一つ、勘違いをしていた。それは、彼がなぜこのタイミングで手術を提案したか、そして、僕の病気は病名ですらつけられていないようなデータの乏しいものである、ということを忘れていたことだった……。そして、これから僕たちは悲しい運命をたどっていくこととなるのだ。