コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
あんたにお客さんだよ。母の声が聞こえて、キーボードを打つ手を止める。好きを仕事にしたいと始めた小説家だが、最近はどうも調子が良くない。
「やっほー、叶人。」
友達などいない俺を訪ねて実家にきたのは、中学の同級生……椿谷 桜香だと主張する人間だった。そんなものは嘘だと分かりきっている。彼女は……桜香は10年以上前に死んだはずなのだ。嘘ではないなら幽霊だとでもいうのだろうか……、それとも本当に生きていた?
今でも鮮明に思い出せる。高校の合格発表の日
「やった!2人とも合格だね。私もまた吹部に入るから、君も入るよね。じゃ、また高校で。」
手を振って帰ろうとする桜香を引き止めた。
「待って。高校の入学式終わったら……話したいことあるから時間いい?」
きっと……入学式という非日常的で気持ちの浮ついたときなら、この想いも伝えられる。同じ普通科ではあるが、2年生になれば理系と文系で分かれるのだ。振られてもなんとか耐えられるだろう。何故好きになったのかは自分自身でも分からない。親しくなって2人きりのときには気を抜くようになっても、1歩引いているように見える。そんな不思議なところだろうか。
「もちOK。暇ならいくらでもあるから。」
そう言って家路につく桜香の背中を見送る。
次に桜香を見たのは2日後、救急車のサイレンの音を聞き野次馬根性で見に行ったところ、到着したのは彼女の家。救急車に運び込まれたのは腹部から血を流し、腕を担架からだらりと下げた桜香だった。 俺は怖くなり、その場から走って家まで戻った。
後日、桜香の母親に話を聞きにいったところ、「娘は……」そう言葉を濁された。あんなに楽しみにしていた高校にも、彼女は来なかった。それで思ったのだ。嗚呼、彼女は死んだのだと。
「たちの悪い冗談は止めてください。」
「まぁ、普通信じないよね。」
悲しそうに笑う彼女を見て心が痛む。桜香にそっくりだ。
違うところといえば、頑なに伸ばそうとしなかった髪を今では腰に届きそうなほどまで伸ばしているくらいだ。きっと、心境の変化でもあったのだろう。
「やっぱり幽霊……?」
「聞こえてるんですけどー?勝手に殺さないでくれるかな。ちゃんと実体を持つ、まだ生きてる人間だから。」
気づかぬうちに声に出ていたらしい。食い気味に返された。
「あ……、すまん。」
「信じてくれないのは想定済み。幽霊扱いは流石に想定外だけれどね。」
幽霊扱いがかなり癇に障ったようで、少し力を込めて言われたような気がする。
「と、いうわけで。わたしが椿谷 桜香である証拠を持ってきました。」
そう言いながら取り出したのは黒い楽譜ファイル。付けられている小さな勾玉のストラップは桜香のものとよく似て見える。
「ちょっと待ってね〜。」
パラパラと捲り、目当てのページを見つけたのかこちらに見せた。
「見覚えあるでしょ?オーディションまでして取り合ったソロだもん。忘れてるわけないよね。」
チャルダッシュの女王……本来なら俺が吹くはずだったソロをクラリネットを始めて1年も経たない桜香に取られたのだ。あのときの悔しさは忘れられるわけがない。
見ていると懐かしさを感じた。リズムの掴みにくい場所には自分で作詞して書き込む、こんなことをするのは桜香くらいだろう。
目の前の彼女が椿谷 桜香であることと認めざるを得なかった。
「おや、その顔は信じてくれたということでいいかな?随分変わったと思ったけど、表情が読みやすいところは相変わらずだね。」
嬉しそうに目尻を下げる桜香は以前と変わらず、あと1歩の距離を感じる。
「さすがに信じるだろ。」
「そう、よかった。」
桜香は大きく1歩こちらに近寄ると、俺の手に何かを握りこませた。
「私の連絡先。また会おうよ。」
それじゃ、とだけ残し去っていった。渡されたメモを開いてみると緩い絵柄の猫についた吹き出しにSNSのIDが書かれている。工夫の凝らした桜香らしいメモに微笑ましく思う。部屋に戻り、パソコンと向き合う。心なしか、いつもより筆が乗っているような気がした。