「おいおい、いつからここは女子供の観光地になったんだ?」
鉄格子の先にいる男は皮肉気味にそう言いながら、こちらを値踏みするような目で眺めていた。
そこに敵意は感じられないが、観察されているようであまり気分の良いものではない。
そもそも立場的にこちらが観察する側だろう。
まぁ……見ても小汚いおっさんだなという印象だが、少なくともハーゲンよりは貫禄を感じる。
しかしどうにもドジ忍者が信用ならないので、一応本人に確認をとっておく。
「あなたが前領主のマーカス侯爵で間違いありませんか?」
僕の言葉を聞くと、男はハーゲンをジロリと睨んだ。
「前領主……か。誰かに領主の座を譲った覚えなんてないんだがな」
その言葉には、やや怒気を含んでいるように感じる。
それが伝わったのか、未だ縄に縛られ地べたを這っているハーゲンは、気まずそうに視線を逸らした。
これはもう、表向きは帝国の領土だが、実質魔帝国に制圧済みだったと考えていいな。
しかしそれが正式なものでないのならやりようはある。
「一先ずここを出ましょうか……臭いますし」
衛生的に問題はなくとも、ここで会話を続けるのは僕がしんどい。
「ははっ、残念だったな。こいつは出す予定なんてなかったから鍵はすでに処分済み――――
ハーゲンは意気揚々と嘲笑うが、すぐにその表情が固まった。
視線の先には、粘度のようにぐにゃりと曲がった鉄格子。
「もう少し丈夫に作ったほうがいいと思うぞ」
リズさんがあっさりと、大の大人が余裕で通れる隙間を作ってしまったのだ。
その光景には、マーカス侯爵も唖然としていた。
「……女子供と言ったが訂正させてほしい。どうやら私の見る目がなかっただけのようだ」
そして反省していた。
「ほな、ついでにこのハゲは牢に入れとこか」
ハーゲンにはまだ聞かねばならないこともあるので、空いている牢へと入れておいた。
簡単な尋問であっさり喋ってくれたら楽なんだけどね。
「くっ……俺様にこんな仕打ちをするなぞ、あの方が黙っていないぞ!」
うん……これはあっさり喋ってくれそうな気がする。
◇ ◇ ◇ ◇
「まずは、牢から出してもらったこと、及びハーゲンの件は非常に助かった……と思いたいが、外がこの状況ではな……」
マーカス侯爵は城内の応接間にて頭を下げ、そしてカーテンによって閉ざされた外を隙間から覗き見た。
そこには邪神像の支配から解放された民衆が押し寄せ、暴動寸前の光景が広がっていた。
「やれやれ、ハーゲンの尻拭いと考えたら頭が痛くなるな」
眉間を抑えながら侯爵はため息をつく。
そもそもハーゲンの支配がなくとも、物流の止まった交易都市の行きつく先は知れている。
ならばと思い、僕は侯爵の意志を確認した。
「ハーゲンに全て押し付けて逃げるという選択肢もありますよ?」
実際侯爵は表向き失踪していることになっている。
逃げたところで誰もそれを咎められないだろう。
「それは魅力的な提案だ。ハーゲンの件がなくとも、元々ジリ貧だったしな」
と言いつつも、侯爵は視線を民衆から逸らすことはなかった。
「痩せた者が多い……ハーゲンの悪政が目に浮かぶ。……さて、まずどこから手を付けたものか」
侯爵はこの状況から逃げるつもりはまったくないらしい。
保身より領地のことで頭がいっぱいのようだ。
であるならば――――こちらも行動に移そう。
僕がチラッとリズさんに目配せすると、侯爵の喉元に剣が突きつけられる。
無論そこに殺意はない。
「…………説明を求めても?」
侯爵は両手を上げ、この状況の説明を求めた。
自分を牢から解放しておいて剣を突きつける理由、それは……
「僕らは公国から来ました。軍事目的……と言えばわかりやすいですか?」
そう、僕らは帝国を救いに来たのではない。
その領土を公国のものとするために来たのだ。
「……なるほど、助けたわけではないということか。だがそれならなぜ、わざわざ私を牢から出したのだ?」
侯爵は鋭い眼でこちらを睨みつける。
それから僕を庇うような形で、メイさんが前に出た。
「頭が高いで! …………えーっと、ちょっと待ったってや」
そう言ってメイさんは何やらメモ紙を取り出し、再度言葉を続けた。
「こちらにおわす御方をどなたと心得る……? 恐れ多くも、エルラド公国第2公女様であらせられるぞ?」
それは慣れない言葉でたどたどしく、あまりにも棒読みで、なぜか疑問形だった。
「……その紙は?」
「ん? アンジェリカ嬢に渡されたんや。これ言えばだいたいなんとかなる言うて」
アンジェリカさんが用意したものだったのか。
一体いつの間に接点が……。
しかしこんな内容じゃマーカス侯爵も信じないでしょ。
そう思い侯爵の顔を伺うと……
「公国に第2公女が……? いや、たしかにそんな噂は聞いたことがあるな……」
とくに疑ってはいなかった。
そういえば夜会のときに帝国の貴族もいたんだったな。
そこから噂として多少なり広まってはいたようだ。
「そしてここに来たのは軍事目的か……。なら私を牢から出したのは……武力制圧ではないと考えて良いのだろうか?」
もはや武力は行使した後だが、制圧となると領主の首が必要になるだろう。
だがそうではない道もまだ残されている。
「そうなるかどうかはあなた次第です。一帝国民として散ることを選べば血が流れることになりますが……」
そう言って僕は手を差し出した。
無論こちらとしても余計な血は流したくない。
だが無理矢理従わせたところで、結局はその道を辿ってしまうだろう。
ならば選んで欲しい。
選んだ後は……侯爵がどれほど民衆の支持を得られるかによる。
侯爵はその手を見つめ、その後外の民衆に視線を移した。
「……そんなもの、考えるまでもない」
◇ ◇ ◇ ◇
「出てこいハーゲン!」
「通行料金貨10枚とかふざけてるのか!」
「その頭を除毛してやる!」
城の正門は閉ざされているが、それを破って民衆が中へ押し寄せるのも時間の問題だろう。
だが、正門は内側から開かれた。
予想外の出来事に民衆は戸惑い、恐る恐る城の敷地内へと足を進める。
そして、皆の視線は城の2階、バルコニーのようにも見える謁見台へと注がれた。
そこには彼らの標的であるハーゲンではなく、マーカス侯爵の姿があった。
「皆、待たせてしまったな」
その姿と声に、民衆は足を止める。
「侯爵様……?」
「失踪したって聞いてたけど……」
「ハーゲンはどうしたんだ?」
皆困惑していたが、先ほどまでのように声を荒げる者はいなかった。
「ハーゲンは牢に捕らえてある。私が不甲斐ないばかりに、皆には辛い思いをさせてしまった」
侯爵の言葉を聞き、怒りのやり場を失った民衆は周囲の者と顔を見合わせた。
「ど、どうする……?」
「どうって言われてもな、侯爵様に恨みがあるわけじゃないし……」
「とりあえず解決ってことなのか?」
困惑している者が多かったが、侯爵はそのまま言葉を続ける。
「だが、我々の未来は決して明るいものではない。ハーゲンの存在がなくとも、物流の止まったこの地の行きつく先は……破滅だ」
それは誰にでも容易に想像できる未来だった。
しかし彼らはまだあきらめていない。
だからこそ城へと押し寄せてきたのだ。
ならば領主が進むべき道、それは……
「このまま帝国民として生きたいなら止めはしない、この領地を出て行ってくれ。だがもし、その誇りを捨てられるなら……私と共に公国の民となってほしい」
その言葉を発した後、侯爵はこちらへ目配せした。
ここで出ろということか……。
気は進まないが、胸を張り姿勢を正す。
そして、侯爵の隣へと足を進めた。
「ぼ……私はエルラド公国第2公女、エルリット・ヴァ・エルラド。この交易都市をいただきに参りました」
悲しいかな……化粧とドレスの公女モードで、僕はその場に立たされた。
騙しているようで気が重いよ。
でもセリフなら前もって用意してある。
せめてその役割は全うしよう。
「皆さんには選んでいただきます。この領地を出て公国の敵となるか、留まり民となるか」
なんとか噛まずに言えて僕はホッと安堵した。
斜め後ろには、執事服を着たリズさんが控えている。
できれば誰も反発してほしくないが、もしもの時はお願いしますよ。
だがそれは杞憂に終わることとなった。
「ここが公国になるってことか?」
「そんなの選ぶまでもないよな?」
「そもそも領地出る金なくてあきらめてたからな」
「国境通れなくて戻って来たやつもいたし……」
「公国になれば物流も止まったままにはならないよな」
ざわついた民衆の声は徐々に大きなものになっていく。
同時にその表情は明るいものになっていった。
そして誰がやり始めたのか、祈りを捧げるものさえ現れる。
「第2公女様……まるで女神様のようだ」
僕は誓った。
この地には二度と足を運ばないと……