バサっ
長机には”資料”が山と積まれていた。
*賢治が運転するアルファードに搭載されたカメラのSDカード
*SDカードから出力した吉田美希との愚行
*SDカードに収められた毎週金曜日の行動履歴
*クレジットカード会社の請求明細書
*菜月のマンションで録音された賢治と如月倫子の会話
*マンションリビングでの仲睦まじい写真
*如月倫子から届いた口紅や小包の伝票筆跡
賢治と吉田美希、如月倫子との不倫行為の証拠は有り余るほど揃っていた。然し乍ら、あともう1枚、決定的な証拠が必要だった。
(ホテルの部屋に出入りする画像が欲しいな)
湊が会社2階の会議室で”資料”をまとめていた時だった。内線の電話が鳴った。それは社長である、賢治からだった。
「湊、ちょっと手伝って欲しい事がある」
「事務の久保さんはいないんですか?」
「男手が欲しいんだ」
「男手?」
「荷物が重いんだ」
賢治が湊になにかを依頼する事は、これまで1度もなかった。訝しげな面持ちの湊は、”資料”をアタッシュケースにまとめると、スチール棚に隠し施錠した。螺旋階段を降りるとそこには、飲料水の入った段ボール箱が山積みになっていた。
(コーヒー?)
「おう、湊、これを南営業所まで運んでくれないか?」
「私が、ですか?」
男手が欲しいと言ったが、事務所には男性の営業社員が数名、困り顔でこちらを見ていた。賢治から見れば湊は部下かもしれないが、仮にも部長という立場だ。一般職の社員の前で、山と積まれた飲料水を運ぶ謂れはなかった。
「失礼ですが、これから管理物件のオーナーとの面談があるのですが」
「営業所から向かえば良いじゃないか」
「ですが、アポイントメントの時間に間に合いません」
すると賢治は顔を赤らめて声を張り上げた。事務所内の従業員たちは皆、肩をすくめた。
「俺の言う事が聞けないのか!」
「いえ、そういう訳では」
「つべこべ言わず、車に積むぞ!」
「社長が、積まれるんですか?」
「そうだ、手伝え」
事務方や営業職員が手を貸そうとしたが、賢治はそれを頑なに断り、2人で500mlのペットボトルが24本も入った段ボール箱を湊のBMWの後部座席に詰め込んだ。
「湊、あともう1箱あるから持って来てくれ」
「分かりました」
如月倫子に入れ知恵された賢治は、1番下に積まれた段ボールの開封口を開いた。そして念の為に、ペットボトルを1本、運転席の座席シートの下に隠し置いた。
「社長、これで最後ですか?」
「ああ、悪いな。南営業所の所長にも宜しく伝えてくれ」
「分かりました」
「湊」
「なんですか」
「段ボールを倒さないように、気をつけて行けよ」
「分かりました」
なにか引っ掛かるものを感じたが湊はBMWのエンジンスタートボタンを押した。低い排気音、アクセルを踏むと、ルームミラーに手を振る笑顔の賢治がいた。
カコーン
綾野の家に連絡が入ったのはその1時間後だった。警察からの知らせに ゆき は床に座り込み、郷士は佐々木を呼び戻すと病院に向かうと言った。
「菜月はどうする!多摩さんと家で待つか!?」
「行く!私も病院に連れて行って!」
湊のBMWは陸橋から下った辺りで運転制御不能になり、赤色信号の交差点に突っ込んだ。そこには右折待ちのワンボックスカーが停車し、湊の車は相手方のバンパーの角に食い込んだ。湊は意識はあるものの、右腕を相手方の車のボディと自身の車のハンドルに挟み、怪我を負った。
「竹村さん!」
そこには、県警の竹村誠一が待っていた。そして事故の原因について郷士に説明を始めた。菜月が病室に駆け込むと、湊は身じろぎもせず、青白い顔でベッドに横になっていた。
「お、お母さん、湊は大丈夫なの!?」
菜月の涙のように、溶液が点滴パックからポタポタと落ちていた。
「大丈夫よ、今は鎮痛剤で眠っているだけだから」
「本当に!?」
「腕は骨折したけれど、他は大丈夫ですって」
「良かった、良かった」
然し乍ら、その事故には不自然な点があると竹村誠一は考えた。状況を鑑みれば、積載物が崩れた為の自損事故だ。
「ペットボトルの数が多いんです」
「多い?」
「湊さんが飲もうとしていた物なのかもしれません」
運転席の床にはコーヒーのペットボトルが転がっていた。
「湊が、インスタントのコーヒーを?」
「飲まれないんですか?」
「あまり、見た事がなくて」
竹村誠一は大きく溜め息を吐くと湊の病室を見遣った。
「湊さんの意識が戻ったら確認してみましょう」
「お願いします」
菜月は深々とお辞儀をしたが、そこでひとつ閃いた。
(賢治さんが、湊に頼み事をする筈なんてない)
湊に対し、競争心剥き出しの賢治がわざわざ頭を下げてまで、湊になにかを依頼するとは思えない。しかも、横柄な賢治が従業員に任せる事なく自らが段ボール箱を運ぶなど考えられなかった。
(まさか)
小心者の賢治がこのような大それた事をしでかすだろうか。
(まさか、如月倫子)
菜月は、初めて如月倫子がマンションを訪ねて来た時の異様な気配を思い出し、怖気を感じると同時に、激しい怒りを感じた。
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