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この世に生を受けて、怒りを覚えることがあまり多くなかった。
綾部良太としての経験が、怒りを感じてもそれを無意識に受け流そうとしていたのだ。
社会の歯車にとって、それは必要なことだった。
結果新たな生においては、自身に降りかかる理不尽な出来事にも、どこか一歩引いた立ち位置で見ていた。
でもそれは……ただ諦めているだけなのかもしれない。
じゃあ――――今回もそうすればいい。
そうしたほうが、きっと上手くいくのだから……
「――ッ! エルリット様、敵の増援が来たようです。こちらへ向かってきます」
アゲハの言葉からやや遅れて、複数の足音が耳に入る。
「エルリット……様?」
「……わかってます」
大丈夫、僕は冷静だ。
今この状況で、地下にいる子供全員を運び出すのは不可能。
ならせめて最善を選ぼう。
「アゲハさん、一番状態の悪い子はどの子がわかりますか?」
「……おそらく、あの子かと」
アゲハさんの視線の先にいた子は、この中で最も体が小さかった。
その体を、僕はそっと抱き上げる。
「……軽いな」
ホントに嫌な気分だ。
周囲に視線を向けると、それはさらにひどくなる。
「皆命に別状はありません。今はその時ではないかと……」
言われなくてもわかってる。
この人数を助けるには、根本をどうにかするしかない。
「……わかってます、一先ずここを出ましょう」
僕の言葉を聞いて、アゲハさんは扉の横に待機した。
追手を迎え撃つつもりだろう。
「アゲハさん、何人ですか?」
「二人です。しかし見張りでいた三人と違って手強いかもしれません」
足音と気配でそんなことまでわかるのか。
でもまぁ……
「今の僕はあまり優しくないよ」
アーちゃんを6体放出し、地下の入口を目指す。
すでにこちらの視界から外れ縦横無尽に飛び回っているが、感覚を共有し空間を肌で感じ取った。
大丈夫――――どこに何があるかハッキリとわかる。
対する標的は二人……なるほど、初見でアーちゃんを警戒する辺り、たしかに手練れなのだろう。
実際に、出会い頭で放ったスタンテーザーは、防御魔法らしきものによって弾かれていた。
「これで倒れておいたほうが良かったと思うけど」
二人を六つの球体が包囲し、極細の閃光が襲い掛かる。
点で突破するレイバレットは、面で守る防御魔法を容易く貫通した――――
――足を撃ち抜き、腕を穿つ。
小さい呻き声と共に、二人は舞うように地に伏した。
(まぁ、手強い程度じゃこんなものか)
遅れて堂々と、僕は二人の前へ姿を現した。
装備を見たところ、警備兵よりも軽装である。
あれが帝国兵だとしたら、これは邪教側の兵なのかもしれない。
この分だとまだまだ追加で増援が来そうだな。
「アゲハさん、この二人の尋問をお願いします」
「御意……生死問わずということでよろしいですか?」
アゲハさんの返答に、僕は一瞬静止した。
生死問わずの尋問……それは拷問にかけるということを意味している。
「……やだなぁ、死んだら情報が聞き出せないじゃないですか」
正直助かった。
行き過ぎた行為を口にされると、逆にこちらは冷静になれる。
アゲハさんは静かに頷くと、二人を引きずり姿を消した。
◇ ◇ ◇ ◇
皆の待つ拠点へ戻り、抱えていた唯一の救出者の姿を見せると、ダンたち3人は駆け寄って来た。
「クルルだ! 良かった、無事だったんだな」
僕の抱えていた子はクルルというらしい。
意識はあるが、ダンたちを見ても反応が薄かった。
「クルル……どうしたんでしょう」
ニコルはすぐに異常に気が付いた。
さて、どう説明したものか。
「何か変な物でも食べたのかな?」
ミモザ……実はそれが正解なんだ。
だが意外な人物が、クルルの症状を見て察していた。
「あららぁ、これはコンデンスカロリーでも食べたんでしょうかねぇ。でもそれにしてはぁ、ちょっと痩せてますかねぇ」
チロルさんの口から、聞きなれない単語が飛び出してきた。
「コンデンスカロリー……?」
「これですよぉ」
そう言ってチロルさんはポケットから包みを取り出し、ブロック状の中身を剝き出しにして見せる。
それは正に孤児院の地下で見た物と同じ物だった。
「チロルさん……なぜこれを」
「もう作られてない激レア非常食なんですけどぉ、なぜか帝都にはいっぱい残ってたんですよねぇ」
非常食か……習慣的に食べたりしなければ、そういう扱いになるのかもしれないな。
どういうものかわかっているのなら、後は痩せている理由か……話すのはちょっと気が重い。
予想通り、孤児院に捕らわれた子供たちの状況や、地下で行われていることを説明すると、ダンたちは今にも飛び出しそうになった。
「わ、わかったからもう落ち着いてるって」
「ダンはすぐ突っ走るから……尾行の時だって僕は止めたのに」
飛び出しかけたダンに、それを止めるニコル。
聞けばクルルは仲間の中で最年少だそうだ。
ダンたちは元々親を亡くした8人組で、あと4人孤児院に捕らわれている。
他は一般市民の子供ということになるが、そう考えると数十人というのは少ない。
その疑問に答えたのはニコルだった。
「おそらく他は、税を納められなかった家庭の子かと。ある日急に新たな税が課せられて……払えた家庭も、逆恨みを恐れて子供を外に出さないようになりました」
それがこの街から子供見かけなくなったことの顛末だ。
さて、子供達は仲間の命に別状がないとわかって踏みとどまってくれた。
残る問題は、殺気が駄々洩れになっているリズとシルフィだ。
「……塵すら残さず斬り刻んでくれる」
「リズさんお待ちください。苦しむことなく殺してはもったいないです」
不穏な発言を不穏な発言で諫めていた。
おかげで僕も、怒りをあまり表に出さずにいられるわけだけど。
「二人とも落ち着いてください。今アゲハさんが情報を聞き出してますので、その結果を待ってからでも遅くはないでしょう」
だれかれ構わず襲うわけにもいかないからね。
その日の夜、拠点に戻って来たアゲハさんは浮かない顔をしていた。
「申し訳ございません、幻術で無理矢理喋らせようとしたのですが……」
2名とも、何かを話す前に絶命……直前まで呪術の発動にも気づけなかったという話だ。
どんな幻術かはまた今度聞くとしよう。
「ハーゲンの時と同じ……ですね。何かを話そうとした途端、胸を抑えて倒れました」
シルフィの言葉に、アゲハさんはコクリと頷いた。
今回も同様の死を迎えたらしい。
「つまり情報は無しということか……」
リズがそう言うと、皆押し黙り視線が僕へと集まった。
「少なくとも、彼らの上司は情報が洩れるとまずい立場にある……ということだけは明白ですね」
情報を得られなかったことが情報だ。
候補として挙がってくるのは、帝国貴族等の上層部……あるいはそれに近い存在。
そうなると、明日予定されている貴族との謁見が勝負かもしれない。
それに……
「明日で終わらせる……そのつもりで皆準備していてください」
僕もあまりのんびりしてるつもりはないんだ。
今日救えなかった……だから明日、絶対に救い出す。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、綺麗に身支度したチロルさんから全員注意された。
「貴族様と会うのにぃ、普段着なんて非常識ですよぉ」
非常識な行動の結果でここにいるくせに……。
普段着はダメとなると正装か?
そんなもの持ってるわけが……と思い皆に視線を向ける。
「ふむ、まぁこれなら問題ないだろ?」
リズはいつぞやの執事服。
男装というよりは、凛々しくてカッコイイ女性という言葉が良く似合う。
「一番上等な服なのですが、神官服よりはマシですかね?」
シルフィは本来神官服が正装なのだろうが、さすがに敵の本拠地でそれは目立つので却下。
しかし元々見た目が清楚というか、どこかのご令嬢のような雰囲気があるので、私服でも十分清潔感と高潔な印象を与えられるだろう。
「私は姿を消しておきます」
アゲハさんはそう言って姿を消した。
和服でも着せれば似合いそうだったのに……。
「となると、僕はまたこれを着るのか……」
公女モード用のドレス……これ着るの大変なんだよなぁ。
でもせめて、ローブで目立たないようにはしておくか。
「エル……言おうかどうか迷ったんだがな」
「どうしたんですリズ」
着替え終わった僕の姿を見て、リズは何か言いたげだった。
「貴族に対して失礼のない服装、ならいいわけだろ? じゃあ別に女物である必要は……まぁ私はその姿も嫌いじゃないが」
……たしかに。