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さすが1週間近く沖藤に集中的に鍛えられただけあって、参加したメンバーの歌唱力は格段に上がっていた。
声の出しかた、喉の開き方、表情筋の使い方、全てが成長している。
(……やはり、自分が歌える指導者は違うな)
久次は客席のシートに一人座りながら腕を組んだ。
(……声帯の手術受けてみるか……)
喉仏に穴を開けてシリコンを注入する「甲状軟骨形成術」があるということを、当時から知ってはいた。
しかし久次の声帯が変声期であったことにより喉の状態が落ち着いていないことから、成人してから、と手術は先延ばしにしてしまっていた。
言葉や会話として声を出すには支障がなかったし、手術をしても声楽の道に戻ることは想像できなかった。
しかし、少しでもまた歌える可能性があるなら……。
沖藤が誘ってくれている通り、地元の成人合唱団と県の少年少女合唱団、若年層を中心とした声楽の指導者になりたいと、心から思った。
「流浪の民」はもちろんのこと、「BLIVE」の上達ぶりもなかなかのものだ。
単純で簡単である分、こちらの歌の方が成長がわかる。
久次は音楽ホールに響き渡るハーモニーに、耳と身体を預けた。
……ちゃんと、瑞野の声が聞こえる。
高いのに男性特有の凛々しさと強さのある歌声だ。
彼も。
彼ももし、声楽を志すなら、
その時は……自分が……
『へえ……。カウンターテナーか』
無人だったはずの左側から声がした。
『いい声だな』
久次は驚いて目を開け振り返った。
『……な。虹原!』
「あれー!ちょっとお!!」
舞台の上で杉本が笑う。
「私たちの歌声に感動したからって泣かないでくださいよ、久次先生~!」
漣も、客席の真ん中で一人両手で顔を覆って泣いている久次を見て、微笑んだ。
皆が笑う。
それは、舞台脇に波打つ反響板に跳ね返り、ホールをいつまでも温かい笑い声で埋め尽くしていた。
【完】