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「凜、もう平気だからな」
「うんっ」
子供は不安な時、安心出来る人に身を寄せる事があると聞いた事があったけど、凜は今、私よりも鮫島さんを選んだ。
この事は私を悲しくさせるのではなくて、今この状況下で一番頼れるのは鮫島さんだという事を改めて思い知らせてくれた。
正人に殴られて、もの凄く怖かった。
毎日のように暴力に怯えていた時の事を思い出して、身体の震えが止まらなかった。
凜を守らなきゃいけないのに、守る事すら出来なかった。
気付くと、色々な感情が一気に押し寄せて来た私の瞳からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
「八吹さん?」
「ママ?」
凜を抱き抱えた鮫島さんは私の頬に手を伸ばすと、零れ落ちていく涙を掬ってくれる。
「もう平気だから、大丈夫だから」
「ママ、ほっぺいたいの?」
「少し腫れてるから、冷やした方がいいな。凜、このハンカチ水道で濡らして来れるか?」
「うん、できる!」
鮫島さんからハンカチを受け取った凜はすぐ側にある水道で言われた通りハンカチを濡らして戻って来る。
「はい、おにーちゃん」
「偉いな、凜」
「えへへ」
凜から濡れたハンカチを受け取った鮫島さんはその場で水を絞ると、正人に平手打ちをされて赤く腫れている私の頬に充ててくれた。
「本当に、酷い事するよなアイツ……。痛む?」
「ううん、大丈夫、です」
「八吹さん、ああいう時はすぐに電話してよ。俺が偶然通りがかったから助けられたけど、そうじゃ無かったら殴られてた上に、凜だってどうなってたか分からない」
「……そう、ですけど……」
「遠慮しないでって言ったじゃん? こういう時は、一人で頑張る事、無いんだ。俺に守らせてよ、八吹さん」
「…………!」
そして、心配してくれている鮫島さんが少しだけ悲しそうな表情を浮かべると、『守らせて』と言いながら私の事を胸に引き寄せて、抱き締めてくれた。
その瞬間、彼の優しさが温か過ぎて余計に涙が零れていった。
「凜、ようやく眠ってくれて良かった。よっぽど怖かったんだろうな」
あれからアパートへ帰って来た私たち。
周辺に正人が潜んでいる気配も無い事から何かあれば呼んでくれと言われて鮫島さんと別れようとしたのだけど、公園での事が余程トラウマになってしまったのか鮫島さんから離れようとしない凜。
そんな凜が落ち着くまで鮫島さんは家で過ごす事になったのだけど、結局寝落ちするまで彼から離れる事は無く、気付けば時刻は午後九時を回っていた。
「すみません、こんな時間まで……」
「いや、それはいいけど。あの男、凜にも手を上げてたんですか?」
「……はい。それがきっかけで、別れを決意したんです。別れてようやく凜も私も穏やかな暮らしが出来ていたのに……」
「……あのさ、八吹さん」
「はい?」
「アイツ、あの調子だとまた姿を見せると思うんだ」
「…………」
「正直、凜と二人で行動するのは危険だと思う」
「そうかもしれないけど……」
「考えたんだけど、暫くは帰り、俺が八吹さんを迎えに行くよ。だから、凜の迎えは一緒に行こう」
「え?」
「朝は人通りも多いし、アイツも仕事があるだろうからそうそう来ないだろうけど、帰りは今日みたいな事があるかもしれない。幸い俺の勤めてる会社は基本残業が無いから、大体決まった時間に行けると思うし、一緒に行くからって迎えの時間が遅くなる事も無いと思う」
「でも、そんな……。いくら遠慮するなと言われても、そこまでしてもらう訳には」
「八吹さん、何かあってからじゃ遅いんだよ。起きる前に対処しなきゃ意味が無い。あんな現場に居合わせた以上は見過ごせないから、強引かもしれないけど八吹さんが嫌だって言っても俺の意見を通させてもらう」
「…………」
「必ず、俺が八吹さんと凜を守るから。もうあんな目には遭わせないから」
ソファーに二人並んで座っていた私たちの間には少しだけ距離が出来ていたのだけど、私と凜を守ると言った彼のその言葉に頷いて良いのか黙ったまま俯いていた私の肩に彼の手が伸ばされ、
「悩む必要なんて無い。俺に任せてよ、亜子さん」
肩を抱き寄せられながら名前を呼ばれた私は、
「……ありがとう、よろしくお願いします」
彼の厚意を素直に受け入れ、『よろしく』と言いながら頷き、彼に身体を預けるように寄りかかった。
「ごめん、何か、馴れ馴れしく名前呼んじゃって……」
「……いえ、その……嫌じゃないので、大丈夫です」
「そっか、なら良かった。あのさ、出来たらで良いんだけど、亜子さんにも俺の事、名前で呼んで欲しい」
「え? えっと……竜之介……さん?」
「うん、そう。けど、亜子さんの方が年上だから呼び捨てで構わないよ。それと、敬語もいらない」
「……でも」
「『でも』は言わない約束」
「……そう、だよね。分かった。でも、いきなり呼び捨てはちょっと……。竜之介くん……でいいかな?」
「ん、それでいい」
名前を呼ばれ、満足そうな表情を浮かべた竜之介くんは何だか子供みたいで可愛く見える。
普段は大人びていて、ピンチになると助けてくれる竜之介くん。
だけどこういう可愛い一面もあったりして、そんな彼から私は何だか目が離せなくなる。
「それじゃあ俺はそろそろ帰るよ。明日、仕事終わりに迎えに行くから、必ず店で待ってて」
「うん、分かった。ありがとう」
こうして明日から暫く、帰りは竜之介くんと一緒に行動する事に決まり、不安な気持ちが少しだけ拭われた気がした。