¦桃赤¦
¦地雷の方逃げてください¦
¦ご本人様とは一切関係ありません¦
¦通報はやめてください¦
¦※nmmn※¦
¦↷ 今回のお話は長編となります。お時間の許す限り、宜しければ最後まで暖かい目で見ていただけると幸いです。¦
この世界は言葉に溢れている
それは人間が唯一持つ武器であり、他者をひどく傷つけるものだ。
言葉は人を幸せに出来る だとか、そんな綺麗事、これっぽっちも共感なんて出来やしない。
いつだって人が紡ぐ言葉は、痛く、苦しく、どんな傷よりも深く残り続ける。
そしてその傷付けるという行為は、誰でも、例えばこんな俺でさえ、簡単に成せてしまう。
また、傷付けられた人が、簡単には立ち直れないことなんて、俺が1番知っている。
俺は、もう3年程、口を開いていない。
分かっている。今のままじゃダメだってことなんて。
今まで何度声を出そうとしたか、数え切れない。
でもいつも、苦しくなる。酷く心が痛む。呼吸がままならなくなる。
それでも、いつも通りに、皆と同じように学校に通っている。
だって、俺は 特別 なんかじゃない。
みんなと同じ、ごく 普通 の高校2年生だから。
周りのみんなは、毎日白い目で俺の事を見て、鋭い武器で攻撃してくるけど。
それでも俺は、 普通 でありたい。
朝、いつものように登校し、教室のドアを開ける。
いつもよりザワザワと賑やかなクラスメイトを見て、今日は席替えをする日だと思い出した。
もちろん毎度不人気な席は、俺の席近辺。
仕方ない。俺に話しかけたところで、真っ当な返事なんて返ってこないのだから。
入学当初こそ、みんなが一斉に俺に気を使ってくれていたが、今はそんな面影なんて一切残していない。
そしてこれも当たり前のように、俺の席は、どんなに俺が遅く登校しようと、誰も移動させない。
みんなが疎ましそうに俺が席を移動させるのを待っているはずだから、と 素早く席の位置を把握して、今までの席まで向かう。
が、。
俺の、席がない。
正確に例えれば、そこは既に俺の席ではなくなっていた。
すとん と立ち尽くす俺を不気味げに見ながら、席に座る女子は分かりやすく顔を歪めその場を去っていった。
ついに席まで隠されてしまうのかと少し焦っていると、いきなり後ろから声がとんでくる。
「あ、赤クンおはよー」
「わり、赤クンの席勝手に移動させちゃった」
さらさらの桃色の髪、整った顔立ち、…。
この人は確か、。…
男女問わず大人気の、あの桃さんですか。
そういえば同じクラスだったな、なんて思いながら周りをちらりと伺うと。
あまりの出来事に、俺はもちろんクラス中の全員がぽかんと口が閉まらない様子だった。
俺に、話しかけるなんて。
なにか企んでいるのか?と警戒心MAXのまま小さく会釈だけを返し、とりあえず新しい自分の席につく。
今日は朝から散々だな、と項垂れると同時に、ほんの少しだけの高揚を感じる。
久しぶりに、クラスメイトから罵倒や侮辱以外の言葉を受け取り、不甲斐なくも嬉しいと思ってしまったのだ。
なんの 特別 な意味もないのに。
そんなことを考えて少し落ち込んでいると、
「これからよろしくねー、赤クン」
不意に右隣から先程と同じ声が聞こえ、思わず肩をすくめてしまった。
その声の持ち主を確認するため、控えめに隣を見てみると、。
「お、やっとこっち向いた」
「ね、赤って呼んでいい?」
本当に意味がわからない。
なんで、今更俺なんかに話しかけるんだ。
そんなことしなくたって、貴方の周りには沢山の人が集まるのに。
俺に関わったら、その沢山の人を失うかもしれないのに。
「…ごめん、やっぱダメかな?」
ふっ と我に返る。
クラス中の全員が朝とは一変した様子で俺たちに注目している。
四方八方に交差する視線。
いつも以上に痛く鋭く刺さる視線に耐えられなくて、少しずつ苦しくなっていく。
早くこの状況から抜け出したくて、咄嗟に小さく頷いた。
「まじ!ありがと」
「じゃ、改めてよろしくな、赤」
高校入学以来、ここまでハチャメチャな朝は初めてだった。
教室に足を踏み入れてから、1時間目の授業が開始するまでの時間が、いつもよりずっと長いような気がした。
「ねー赤ー、一緒に昼食べよーぜ」
彼に再び話しかけられたのは、
午前中の授業を何事もなく終え、トイレに向かおうとお弁当を持って席をたとうとしたところだった。
さすがにもう話しかけられることも無いだろうと思っていたのもあり、今日で数え切れない程の小さいため息をついてしまう。
そんな俺を気にも止めず彼は話を続ける。
「おすすめの場所あるからさ、行こ!」
そう言い俺の手を掴んだ。
…..え?
彼に有無を聞かれず引っ張られる。
無理やりにでも抵抗しない自分に驚いた。
彼との歩幅の違いでいつもよりはやく景色が流れているのが、新鮮でたまらなかった。
ただ、普段ほとんど運動をしない俺にとっては、今の歩くスピードでさえもかなりの体力を使うのだ。
たしか彼はサッカー部だろう。きっとそれなりに活躍しているだろうし、俺となんか比べるまでもない。
そんなことを考えながら、拍動はどんどん速くなり、息はどんどん乱れていく。
肺のあたりがズキズキと傷んで、思わず握られた手にきゅっと力を込めてしまう。
それに気づいたのか、彼が足を止めてこちらを振り返る。
「…..ごめん、っ」
彼の表情はまさに、 俺としたことが みたいな、少し焦っているような、そんな顔だった。
「ちょっと、浮かれてたわ、…」
浮かれてた の単語を使う意図が上手く分からなくて少し困ったけれど、本当に申し訳なさそうに俯く彼を見て、さらに困ってしまう。
俺はいつもより少しだけ強く首を横に振った。
貴方は悪くないと、心からの思いを込めて。
おすすめの場所 なんて言うから、どんな場所なんだろうと少しワクワクしたものの、着いた場所はごく 普通 の屋上だった。
うちの高校は屋上が解放されているため、言うまでもなく人が多い。今日も太陽と比例するような眩しさで男女がわいわいと昼食を食べていた。
ここで、今日の昼を過ごすのか…..、。
がっくりと肩を落とし憂鬱な気分に浸っていると、
「ほら、綺麗だろ、ここ」
それに相反したクールな笑顔で隣の彼がぼそっと呟いている。
誇らしそうに空を見つめる彼を見て、余程ここが好きなんだろうな、と思う。
それと同時に、俺にはそんな居場所はないな、と少しだけ羨ましかった。
こっちこっち と、俺を気遣ってなのか人気のない日陰の方へと腰を下ろす。
「うし、食べるか」
いただきます と手を合わせて挨拶をし、お互いに箸を持つ。
お弁当を開ける瞬間、毎日のこの時間が大好きだ。
おばあちゃんが毎日朝早くから作ってくれる特製のお弁当。
いつも少しずつ違うおかずを見て、工夫を凝らして作ってくれているんだなぁ、と感謝しきれない。
1番のお気に入りのだし巻き玉子を1つ箸で取り、一口で頬張る。
ああ、おいしい。
何度食べても変わらない感動に、いつものように頬が緩んでしまう。
「…ふは笑、今の赤、めっちゃ幸せそう」
………見られてた。
恥ずかしくて顔が熱くなるのが分かり、急いでお弁当の中身を次々と頬張ってしまう。
大丈夫、大丈夫、咀嚼しているときならそんなの気にならないし。わかりやすく動揺するな、俺。
口いっぱいに入った大好きなおかず達を、ゆっくりと味わっていく。おいしい。……
「…やっぱかわいー、..」
途端、その大好きなおかず達を全て吹き出してしまいそうになる。
は?なんて??
言葉の意味を問うようにばっちりと彼と目を合わせる。
「んふ、ごめんごめん笑」
「なんもないよ、ほら食べな」
なんだよ。
もしかして全員にこれをやっているのか..?
それが貴方の人気の秘密!とかだったら今すぐにでもぶん殴ってやりたい。
ぶん殴るというのはあくまでも言葉のあやだが、あまりにも腑に落ちないために先程の笑顔は消え去ってしまった。
目の前の彼から視線をずらし時計に目を移すと、昼休み終了まで残り10分を指していた。
まだ半分程残っているお弁当。
絶対に残すわけにはいかなかった。
おばあちゃんには、ただでさえ迷惑をかけているのに、作ってくれたご飯を残すなんてどれほど失礼だろう。
絶対食べてやる。
そこからはほぼ無言で、大切にお弁当を食べ続けた。
目の前の彼から痛い程の視線を感じながら。
一日の授業を終え、もう聞き慣れたチャイムを耳に重い足を動かす。
実はあの昼休みの後、例の彼に押し切られ、学校から家までの下校時間までもを彼と過ごすことになっていた。
無意識にもはぁ、とため息をついてしまう。
しかも家結構近いし、……
「赤、一緒帰ろ」
もう今更抗うことも出来ないので、表情を変えることなく彼のとこへ向かう。
校門を出て彼と並んで歩き続ける。その中で少しの違和感を感じた。
今朝から今まで揺らぐことなくマシンガントークをかましてきた彼が、珍しいことにずっとだんまりなのだ。
なんだろう。別に話しても話さなくても俺自身に支障はないが、少し気になってしまう。
ほんの少しだけ胸の内をザワザワさせながらその後も歩き続け、ついに俺の家の前まで到着してしまった。まだ、彼から何も聞いてないのに。
しばらく家の前で止まり、沈黙が続く。
それを切り裂いたのは、当たり前だが彼だった。
「…..今日、ありがとな」
急に口を開いたと思えば、いきなり何を言い出すんだ。情緒不安定か、おい。
別に俺は何もしていないし、出来ていない。
むしろ、感謝を伝えなければいけないのは俺の方なのだろうけれど、俺は今それを伝えるための手段を持ち合わせていない。
「、…嫌じゃなかった?」
「すげー振り回したっていうか、その」
…….ああ、この人は優しいんだな。
今日彼から聞いた言葉を振り返りつつ、そう思う。きっと誰にでもこんなに優しく出来るんだな、と。
でもそれなら尚更、俺はもう彼と居てはいけない。
仮に一緒にいる事があったとしても、迷惑をかけるのは俺の方だから。
俺はスクールバッグからメモ帳とペンを取りだし、出来る限り本当に思っていることを丁寧に書き出す。こんなのいつぶりだろう。
《俺の口から言えなくてごめんなさい。最初はびっくりしたけど、今日は少し楽しかったです。でも、》
でも。
《きっと俺と居たら迷惑ばかりかけてしまうから、もう関わらないでください。貴方の周りには沢山の人が集まるから、その人たちとの 楽しい を俺で壊さないで。》
彼とすごしたのは今日1日だけの筈なのに、ほんのちょっと、どこかがズキズキするのが分かった。
それがなんでか、俺は知っている。
単純だ。彼と、クラスメイトと、話せたのが嬉しかった。嬉しくなってしまったから。
《俺なんかと 普通 に話してくれて、嬉しくなっちゃいました。今日はありがとうございました。》
俺の思いを俺なりに綴った文を彼へ送る。
彼は少し目を丸くしてから、その文へ目を落とした。
その後すぐに、彼は言う。
「赤は、今日俺と居て、楽しかった?」
予想外の質問に思わず目を見開く。なんでそんなこと聞くんだろう。
でもそりゃあ、楽しかった、んだと思う。
だって、今日一日は俺が嫌なほど憧れてきた 普通 の日常に限りなく近かったから。
楽しかったことを否定出来なくて、彼の問いかけに俺は縦に首を振る。
すると彼はわかりやすく顔を明るくし笑顔になった。
「じゃあさ、これからも一緒に居よーぜ!」
、……..なんで。なんで。
俺、突き放したのに、突き放したはずなのに。
なんでどこまでも俺の傍にいようとするの?
もう、ただ彼に次の言葉を促すように見つめることしか出来なかった。
「俺、もういーんだ、周りのみんなとか、そういうの。」
「俺もめっちゃ楽しかったし、」
「だから、赤さえ良ければこれからも一緒に居て。」
最初から最後まで丁寧に言う彼は、今日一日のどの彼よりも弱く脆く見えた。
なんだろう。この人はもしかしたら、俺と少しだけ似ているのかもしれない。
もし、もしそうだとしたら。あともう少しだけなら、この人と居てもいいかもしれない。
また、失敗してしまうかな。
余計なことをしてしまうかもしれない。
でも、それでも、人生の中の一瞬を、彼に委ねてみてもいいでしょ?
神様、もう一回だけ。最後にこの人に縋らせて。
人生の一瞬を、永遠に変えられるその時まで。
ピピピピピピ…..ピピピピピピ…..ピピッ..
毎朝同じ電子音で起こされる。
今日はあの日からちょうど1ヶ月経った月曜日だ。
最近は、朝が苦しいと思うことが少なくなってきていた。
毎朝、彼と登校し一日をほぼ一緒に過ごすようになり、少しずつだけ、俺自身が変わり始めているのではないかと自分自身の成長に嬉しくなる。
朝ごはんを食べ、いつもの時間に玄関を開けた。
「あら、行ってらっしゃい、気をつけるんだよ」
おばあちゃんがいつものように声をかけてくれる。
俺はそれに少しだけ微笑み、手を振ってから家の外へと1歩踏み出した。
「お、赤おはよー」
外には既に彼が居て、これもまたいつものように眠そうに挨拶をする。
ゆっくり歩きながら彼の話を聞く登校時間は、これからの憂鬱な学校の時間への思いを少しだけ晴らしてくれた。
あっという間に、気づけば教室の前だった。
教室のドアを開ける。まだこの瞬間に、慣れることは出来ない。
だから、いつも前の彼が容赦なくガラガラ、と開けるのだ。
「おはよー」
「あ、おはよう!桃くん」
「お!桃はよー」
そしていつも、直ぐに彼の周りには人が集まる。本当に、みんなから愛されているんだなぁとつくづく思った。
もちろんみんなは彼の隣にいる俺になんて全く興味を示さないので、そのまま席へ向かいすぐに座る。
次は、昼休みかなぁ、、その後は放課後、、。
そういえば、今日部活って言ってたな。図書室にでも行こうか。
いつの間にか、彼との時間を少し楽しみに待っている自分がいた。
次は、どんな話を聞かせてくれるんだろう。
そんな俺の期待は、あまりにも呆気なく、すぐに崩れてしまう。
今日分の授業を終え、部活のない人は帰り始める頃、人気のない倉庫裏にて。
俺の心は、再び崩れ去る。
「ねぇ、赤くん。ちょっとお話したいんだけど、一緒に来てもらってもいい?」
荷物をまとめ席をたとうとした時、クラスメイトの女子数人に囲まれそう言われた。
張り付いたような笑顔に、これからの展開は嫌でも予想がつくだろう。
連れてこられた場所で吐かれた言葉は、あまりにも乱暴で醜いものだった。
「はい、いくよーっせぇーのっ!」
ばちゃんっ、びちゃびちゃ、ぽたっ…..ぽたっ…
何を言われるもなくバケツいっぱいの冷水を被せられた。冷たい。怖い。
「ねぇねぇー、最近桃くんと距離近くなーい?」
「なんでかなー、あんた、桃くんのこと好きなの?」
「なんかすっごい気持ち悪いよー最近のお前。今までなんかよりずっと。」
「今までずっとなんもしてこなかったのにさー、いきなり何してんの?ねぇ。」
「ねぇ。」
怖い怖い、痛い、痛い。
鋭い刃が、容赦なく襲いかかってくる。
彼女からの問いかけにただ怯えて俯くことしか出来なくて、ぎゅっ、と手を握った。
何も答えられず沈黙が続くと、彼女に前髪を引っ張られて前を向かせられる。
「聞いてるんだけど。」
その力があまりにも強くて、圧が重苦しくて、喉がひゅうっとなるのが分かった。
だめ、だめ、声は、声だけは出ないの。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
「答えろっつってんだろ!」
叫び声と共に、一方的な殴り合いが始まった。
顔も、体も、心も、全部全部、余すことなく傷つけられた。
「なんで、お前なんだよっ!」
「なんでろくに口もきけないお前なんかが一緒に居れて、私はダメなんだよ!」
「私だって、いつも…っいつも頑張ってんのに!」
「こんな、こんなお前がっ…!」
どこもかしこも色んな痛みが混ざりあって、もう何も聞こえなかった。痛みしか感じることが出来なかった。正確な判断だって出来なかった。
ただ、彼は人をここまで歪ませるほど愛されているんだと、強く思い直すことしか出来なかった。
俺なんかが傍にいてはダメな存在だったということも。
「…っ、ふぅ。」
一旦、彼女からの攻撃が止む。
すると彼女は、今まで歪めていた顔を一変させ、心から俺を貶すように、傷つけるように、にっこりと笑うのだ。
「あっ!そういえば、この前桃くん言ってたよ〜?」
「ずっと付き纏ってきて、すっごく迷惑なんだって!、うざいんだって!」
満面の笑みで、彼女は言った。
ドッ、と、胸から音が聞こえた気がした。
既に壊れかけていた心に、トドメを刺された気分だった。
ああ、やっぱりダメだったんだと。
彼に、そんな風に思われていたんだと。
ずぶ濡れの体、ズキズキ痛む傷、泥汚れなんかどうだっていい。
ただ、初めてと言っていいほど大切なものになっていたであろう彼に、そう思われていたことが、痛くて堪らなかった。
でも、まだ分からない、。彼女の嘘であるかもしれない。そうであって欲しい。
…………。
ただの、俺の過度な思い込みだった。
ただ俺が、期待しすぎただけだった。
その嘘であるかもしれない真実に、うちしがれる。
「ふふっ、じゃあね、可哀想な赤くんっ」
「私は桃くんと帰ろ〜っと!」
倉庫裏に1人残される。
気づけば涙が止まらなかった。
ぽろぽろ、ぽろぽろ。
自身の涙を見るなんて、いつぶりだろう。最後に泣いたのは、いつだっけ。
日が少しずつ落ちていく。風も冷たくなり、濡れている俺をさらに冷たくさせた。
そういえば、ため息をつくのだって、もう何年もしていなかったな。
笑うことも、ずっとずっと少なかった気がする。
当たり前でも俺にはできなかったこと、それをくれたのは_
間違いなく彼だった。
でもその彼はもう、きっとこちらには来ないだろう。
きっと、彼女に誘われて一緒に帰り道を歩いてしまう。
もう、前を向きたくない。歩みを進めたくない。ずっとこのままいて、誰にも気付かれずに静かに消えてしまいたい。
俺は 普通 で居られなかった。
俺はずっと変われなかった。それは今までも、これからも揺るがないんだ。
延々と零れ続ける涙をずっと拭っていた。
痛み続ける傷を手で押さえ続けていた。
カラスが カァ、と鳴いている。俺は何も変わらない。
風が ヒュウ、と吹いている。俺は何も変わらない。
辺りがどんどん暗くなっていく。俺は何も変わらない。
そこにザザっ、と足音が耳に入る。
直感でそれが誰か、分かった気がした。
それとも俺が、その誰かを1番求めていたからだろうか。
いつだって俺が折れそうな時に助けに来てくれる。
「赤!」
俺の、スーパーヒーロー。
彼は来て直ぐに、びしょ濡れの俺を「いつも盗まれたりするから2枚持ってきてんだ。」と得意げに話しながらタオルで包み込んでくれた。
一通り水気をを拭きとると、溢れてやまない涙に気づかれた。
怖かった。まだ彼女の言葉が深く残っていた。
謝りたかった。それでもそう出来ない自分の無力さが大嫌いだ。
無言で泣き続ける俺に、彼は何も問わず、隣に座って背中を撫でてくれた。
そうしているうちに暫くすれば涙は止まり、落ち着いて行動出来るようになっていた。
もう大丈夫。と言うように彼の目を見た。青く、何処までも深く透き通った目。
微笑んで彼は言う。
「少し、話そーぜ」
きっと俺の事を気遣ってくれたであろうその言葉に、傷だらけの心が少しだけ癒された気がした。
それから暫くは、ずっとくだらない話を聞いていた。
ひと段落話のキリがつき、少しだけ間ができる。
あ、これ来るな、と身構える。
「なんか、嫌なこと言われた?」
予想通りの質問に、俺はすぐに横へ首を振った。
きっと、俺が彼女から被害を受けたことを彼は知っている。どちらかと言うと、分かっている。
もう、迷惑なんてかけたくない。
これくらいのこと、なんてことないんだ。もう、慣れてるんだから。
だから俺は、下手な笑顔を彼に見せる。
大丈夫。全然、大丈夫だもん。
「…..全然、笑えてねーよ」
彼の声が、いつもより低くなっていた。
あれ、…怒ってる、?、なんで。?
俺が、いっぱい面倒かけたから?迷惑かけちゃったから?
俺が、”ろくに口もきけない”こんなやつだから?
…嫌われた?そんな、やだ、やだ、ごめんなさい。
必死の思いでバッグから紙とペンを取り出す。
謝らないと。はやく、はやく。
《迷惑かけて、ごめんなさい。喋れなくて、ごめんなさい。もっと頑張ります。だから、まだ嫌いにならないで。》
パッ、と彼に差し出す。
すると、彼は慌てた様子ですぐにそれを否定した。
「違う、ごめっ、ごめんな、」
勢いとともに優しく頭を撫でてくれる。
目元がジワジワと熱くなっていく。
俺の、ばか。ばか。泣くな。
「赤のペースでいいから、ゆっくりさ、」
「嫌いになんて、ならないよ」
この人は、どこまで優しいんだろう。
いつも、彼の優しさに甘えてしまっている自分が居た。
少しでも油断してしまえば、すぐにその優しさに、深く、深く溺れてしまいそう。
ゆっくりと、筆を執る。
《あの子から、桃さんが、俺と居るのを嫌がってるから近づかないであげてって言われました。本当なら、ごめんなさい。》
こんなこと、伝えたくない。
嘘が本当か、全部分かっちゃうじゃん。
でも、彼は俺に寄り添ってくれたから、俺も、それに応えなければいけない。
勇気をだして、1歩を踏み込まなければ。
分かっていても、それでも恐怖はぬぐえなくて、せめてもと思い紙を半分に折って彼に手渡す。
彼の目は大きくて綺麗だから、文字を目で追うのがよく分かる。
彼は目を丸くしながら言う。
「…..全然、知らねー、…」
「てか最近あいつと話してないし…」
途端に包まれるような安堵感。
なんだ、よかった。よかった。これからも一緒に居れるんだ。
そう思うと頬が緩み、肩の力が抜けていく。
「ふは、赤にっこにこじゃん」
「そんなに俺と居たいんだ?笑」
からかうように言われて思わずびっくりしてしまったが、もう彼女からの言葉に怯える必要もなかったので、控えめにこくりと頷く。
すると彼は面食らった顔をして、少しだけ顔を赤くしながら「そりゃ、どーも..」なんて言うから、なんだか面白くなって笑ってしまった。
「っ…笑うなよ、」
「ほら、もう大丈夫なんだろ、帰るぞ」
そう早口で言いながらも俺を気遣い歩みを遅める彼は、誰よりもかっこいい。
♢
ゆっくりと歩く帰り道。
そこで、彼は言うのだった。
「なぁ、赤。」
ゆっくり、ゆっくりと。
「いつか、いつかでいいんだ。」
彼は、言葉を紡ぐ。
「赤の、昔の話を、聞かせて欲しい。」
その言葉に、俺は何も反応することが出来なかった。
♢
「ちゃんと絆創膏貼れよ、消毒してからな」
「しかし困ったもんだよなー、保健室閉まってるとか」
「俺ん家もそーゆーのちょうど無くてさ、ごめんな」
俺の家の前で、彼は絶対手当しろと強く言い続ける。とりあえず傷は水で洗ったものの、やはり血が出ているところもあったためだ。
実は俺の家も無いんだよなぁと思いながら笑顔で頷く。
「じゃ、そろそろ俺も帰るわ」
「わりーな、遅くなって。また明日!」
互いに笑顔で手を振り合う。
彼の姿が見えなくなるまで家には入らず、彼が曲がり角を曲がったところで玄関の扉を開ける。
「あら、おかえりなさい」
「その怪我、どうしたの?大丈夫かい?」
やはりと言うべきか、おばあちゃんに頬の傷を気づかれてしまう。
大丈夫、と伝えるように手でグッドポーズを作り笑顔で答える。
おばあちゃんとなら、これくらいのコミュニケーションをとることが出来た。
「困ったねぇ、絆創膏も何も、ここ最近使わなかったから…」
「今度すぐ買ってくるからね、しばらく我慢しててねぇ」
優しいおばあちゃんの言葉に、申し訳ないと苦笑しながら頷く。早く治さないとなぁ。
そんなこんなで夕食を食べ終え、お風呂に入り終わる。所々傷がお湯にしみて痛かった。
そして直ぐに自室へ向かう。
『赤の、昔の話を、聞かせて欲しい。』
ずっと、この言葉が頭をさまよっていた。
これまでに、沢山のものを与えたくれた。
そんな彼だからこそ。
自分の過去を語るには、他の何よりも勇気が必要だった。
俺自身でさえも、トラウマばかりの過去を振り返ることは、すごく、すごく怖い。少しでも思い出す度に、ズキズキと胸が痛むのだ。
どうしようか。伝えるべきか。
そんな考えがグルグルと果てしなく回り続ける。
でも気づけば、便箋とボールペンを握っている。
うん、そうだ。もう分かっている。最初から決まっている答えに、あと少しの理由が欲しいだけだから。
でも理由なんて、もう充分過ぎるほどにあったよね。
大丈夫。彼なら、大丈夫。
また明日を、これからを一緒に過ごせるように。
俺は過去の物語のページを、はらりとめくった。
物心ついた時から、俺の両親は喧嘩ばかりしていた。
毎日毎日、叫び声で目を覚まし、鈍い殴打の音を子守唄に意識を手放す。
この時はまだ、言葉を発することが出来た。
一人っ子だったから、話す相手もいなかったけれど。
そんなある日、お父さんがパチンコで家を出た時に、お母さんが知らない男の人を連れてきた。今思えば考えるまでもなく浮気をしていたのだろう。
「ぉ、お母さん、その人、だぁれ、?」
当時の俺は小学校入学前だったから、無知なまま純粋に聞いたのを覚えている。
「あ〜、…」
そんな俺に心底迷惑そうに眉間に皺を寄せ、お母さんはこう言った。
「お母さんのお友達なの。」
「でも、お父さんには内緒ね。」
苦く微笑みながら人差し指を立てるお母さん。
俺はなんの違和感もないまま、こくりと頷いた。
その日からしばらく経った頃、急にお父さんに話しかけられた。
「なぁ、赤。ひとつ、聞きたいことがあるんだけど」
「お母さんって、最近知らない男の人と家に来たりしたか?」
あまりにもストレートな質問に、心臓がドキンっと大きく動いた。
「…..ぁ、ぇっ、と…」
どう、しよう。お母さんに内緒って言われたし…。
でもこうやってお父さんに聞かれるってことは、あれ、いけないことだったのかな…、?
この時の俺は、上手く嘘をつくことが出来なかった。
まだまだ未熟で純粋な子供だったのだ。
ごめんなさい、お母さん、ごめんなさい。
きっと、大丈夫だよね、きっと、きっと。
「うん、この前、知らない人、来た…けど、」
「でもお母さん、お友達って言ってたよ!、…」
お父さんはそれを聞くと、何一つ、一切表情を変えず言った。
「そうか、教えてくれてありがとうなぁ。」
笑顔だったはずなのに、その顔はとてもかわいているように見えて、とても不気味だった。
その日の夜は、リビングから聞こえる全ての音が、いつもよりもずっとうるさかった。
翌日の朝、珍しく窓からの眩しい日差しで目が覚めた。
とんとん、と廊下を歩き、リビングのドアを開ける。
するとそこには、項垂れながら床に座り込んでいるお母さんの姿があった。思わず声をかける。
「お母さん、どうしたの…?」
「あれ…、お父さんは、?」
気づくと、お父さんの姿がどこにも見えなかった。
「…たの、…」
「?、なぁに?お母さん」
「あんたのせいでっ!!」
ものすごい形相で、お母さんが掴みかかってきた。
「あんたが…っ余計なことばっかり言うからっ!!」
「っへ、ぇ…?」
そこから、沢山沢山、叫ばれた、殴られた。
そのときの俺は、よく分からなかった。お母さんが、なんで怒っているのか、なんで俺の事を殴るのか。
「あんたなんか、産まなきゃよかった!っ」
「あんたが、…あんたが居るから…っ!」
怖い言葉ばかりだった。お母さんの口が動くのが怖かった。手を挙げられるのが怖かった。
「ごめ、ごめんなさぃ”っッ!」
「もう、何もしないっしないからぁ”っ」
殴らないで。傷付けないで。一人にしないで。
「お前のその口が悪いんだろうがっ!」
「いつもいつも余計なことばっか言いやがってっ!」
「少しは、っ私のこと考えろよっ”!」
この時初めて、発言の重要さに気づいた。
俺は早くも、自分の言葉を紡ぐことに不快感を覚えるようになったのだ。
それからまた1週間ほどだった頃、おばあちゃんが家に来た。
いきなりの訪問と久しぶりの再会で過度に怖がる俺に、おばあちゃんは優しい笑顔で言ってくれた。
「今まで何にもしてやれなくてごめんねぇ。」
「これからはおばあちゃんと一緒に楽しく過ごそうねぇ」
おばあちゃんは他にも、色々な事を俺に教えてくれた。頭を撫でてくれた。俺がしたことに褒めてくれた。抱きしめてくれた。
おばあちゃんは、俺に与えられた初めての幸せだった。
♢
もうひとつ、俺が喋らなくなった原因がある。
中学校2年生の時、特定の人からの嫌がらせがエスカレートしたことがあった。
俺と、もう1人の男の子が、そのターゲットとなっていた。
嫌がらせの内容としては、まぁよくあるものだ。そこら辺はご想像にお任せするが、当時の俺たちにとってはかなりきついものだった。
そのもう1人の男の子とは、ターゲット同士仲良く話すことが出来た。楽しく遊ぶことだってできた。
おばあちゃんの他の、数少ない俺の支えでさえあった。
でもとある日、彼がいつもと違った様子で話しかけてきたことがあった。彼は言う。
「ねぇ、…この状態、いつまで続くかなぁ…?」
「僕、もうヤダよ、辛いよ、…」
もう涙も流せないほど、俺も彼も苦しんでいた。俺だって彼の気持ちを分かっているつもりだった。だから俺はとっさに言ったのだ。
「大丈夫、大丈夫だよ、きっと。」
「あともう少しだけ、頑張ろう?」
少し間を置いて「うん」と力なく頷いた彼は、どこかいつもより小さく見えた。
俺ももっと、頑張ろうと思った。
翌日、彼が死んだ。
自殺だった。
彼の席だけが不自然に空いていることが、信じられなかった。
あれだけ、沢山の時間を、かけがえのない時間を、共に過ごしていたのに。
本当に、分かっていた “つもり” だった。
俺が、あんな無責任なことを言ったから。
俺が、俺が殺した。俺があんなこと言わなければ。もっと他の答えを用意できていれば。
あまりにも身近すぎる死を、受け入れることなんて出来なかった。
その日は、上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。
翌朝目覚めれば、以前までもそうだったかのように、喉は機能しなくなっていた。
俺が、俺が、俺が、俺が俺が俺が俺が。
俺の、俺のせいで、俺のせいで、俺のせいで。
余計なことしか言えない口だから。
だから、両親には相手にされなかった。
お父さんは離れていった。お母さんは俺を殴った。
みんなは俺を虐めた。あの子は先にいった。
「ぅ”っ、…….」
ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
もう何も言いません。余計なことなんて絶対言いません。無責任なことだって言いません。
だから神様。
あともう少しだけ。少しだけでいいから、
生きさせてください。
もう、何がなんだか分からないから。両親の気持ちも、あの子の気持ちも、全部全部、分からないから。
普通が、分からないから。
当たり前を、普通を与えてくれる人に出逢うまで。
生きていたいと思うまで、生きさせてください。
それから何人もの人達にすがってみたけれど、俺自身も沢山努力したけれど、俺が望む答えにはならなかった。
きっと、これからもそんな人には出会えない。分かっていた。
喋れないんじゃなく、喋らないんじゃないか。俺はただ逃げているだけだなんて、そんなの俺が1番分かっている。
もう諦めてしまおう。おばあちゃんだけには絶対に迷惑をかけずに、この一生を生きてやろう。
ごめんなさい。
♢
「お、赤クンおはよー」
そう思っていた矢先に、彼と出逢ったのだ。
《桃さんと会って、俺の人生が全部ひっくり返ったように変わりました。大袈裟かと思うかもしれないけど、本当に、まわりが明るくきらきらして見えました。
こんな俺と一緒に過ごしてくれてありがとうございます。
桃さんが許す限り、これからもよろしくお願いします。》
ふぅ、と息をつきペンを置く。
ああ、怖かった。苦しかった。
でもそれ以上に、よかった。言葉に出来て。ちゃんと形として作れて。
自分の思っていたことが、今までよりはっきりと見えて、手紙という手段に有り難味を覚える。
拙い部分の方が多いかもしれないけれど。それでも彼だけには伝えたい。
彼と、生きていたい。
神様、ありがとう。もう少しだけ待っててください。
ちゃんと、 普通 になってみせるから。
時計の短針は23時を指している。
いつもより遅いためか欠伸をひとつ。
数枚にわたる便箋をまとめて半分に折り、封筒の中に入れる。
明日も寝坊しないように、もう眠ってしまおう。
ずっと変わらない目覚まし時計をセットして、すぐに意識を手放した。
昼休み。お互いに昼食を食べ終えて、たわいもない話を彼から聞いていた。
日が強く照る中、少ない影の中で、こっそりと持ち込んだ手紙をきゅっと小さく握ってしまう。
渡すなら、このときだろうと決めていた。
どきどき、ドキドキ。
告白する訳でもないのに、拍動はどんどんと加速していく。周りの声が遠くなっていく。
でも俺からしたら一種の告白なのだろうか。
大丈夫、大丈夫。
今見えるのは、聞こえるのは、彼のことだけだった。
ふと、彼の話がピタリと止まる。
「…赤、なんかあった?」
「なんかすごい、固い感じするけど」
すぐに俺の異変に気づいてしまう彼。
今、渡してしまおう。
そっと彼に手紙を差し出した。しかし彼の目を見ることが出来ず、力なく俯いてしまう。
「………?」
彼は不思議そうに封筒から便箋を取り出し、中身を読みはじめた。
頭から足の先まで、ドクドクと血液が流れているのが分かる。
ぎゅうっと体が縮んで、ぶわっと不安に包まれて、冷や汗がだらだらと流れている。
手紙を読んでいるから当たり前だけれど、この永遠と続きそうな沈黙が嫌で仕方なかった。
「赤、」
しばらくして、彼は言った。
「教えてくれて、ありがとう。」
途端、ふわっ、と安堵に包まれる。
ああ、暖かい。彼の紡ぐ言葉は、なんて幸せに包まれているんだろう。
「思い出すの、辛かったよな」
誰よりも、俺の気持ちを分かってくれる。
伝えて、伝えられて、良かった。
「でもさ、」
続けて彼は言う。
「”桃さん”って何だよ!」
食い気味で言われ仰け反ってしまう。
「え、俺ずっとさん付けで認識されてたの?」
注目する所、そこ?、…。
俺の過去の話をされるよりもずっと楽だけど、そう言われると何とも返せない。
じゃあ逆に、なんて書けば良かったんだろう。”桃”?”桃くん”?…..いや、俺では馴れ馴れしすぎるでしょ。
「もっとなんかさ、あだ名みたいなのがいいんだけど」
悩み続ける俺にそう提案する彼。生憎そちらの方が難しい。
友達なんてほとんど居なかったからか、無理難題に頭を抱える。
うーん、と首をひねっていると、彼は「あ」と何か思いついたように呟いた。
「桃ちゃんでどう?」
自分で自分のあだ名を付けるなんて。もしかしてみんなそうなの…?
「気に入ってるんだ、これ」
あの日初めて屋上へ行った日の様な顔で、彼はまた言った。
「学校の奴も、どんなに仲良い奴だって、このあだ名で呼ばないんだぜ」
まだ俺が知らない、遠い日の彼の顔。
一体彼は、どんな物語を今まで築いてきたのだろう。
ねぇ、いつか俺にも教えてよ。いつか、いつか君が話せる時でいいから。
その明るい笑顔の裏に、何があるのか、教えてよ。桃ちゃん。
最近、俺と桃ちゃんの関係ってなんなんだろう。と思う。
ただの、”友達”でいいのだろうか。
でもなんだか、それ以上のこともしている気がするし、。
そもそもなんで、桃ちゃんは俺に声をかけたのだろう。
そんなことを考えていると、どんな行動でも意識してしまうものだ。
話しかけられても、ちょっと距離が近いだけで、胸が大袈裟に高鳴るのがよく分かる。
彼があまりにもイレギュラーに 普通 を与えてくれたから。
俺にとっての特別になりすぎてしまっているから。
でもそんな理由おかしいかな。ああ、俺には分からないことが多すぎる。
この世界の方がよっぽど広いはずなのに、その中のこの教室の中でさえもここまで膨大な数悩まされるとは。
なんて思いの矛先がずれ始めていると、6時間目終了の鐘が高らかに響いた。
授業全然聞いてなかったなぁ。まぁいいか。
この後は掃除して部活終了時間まで暇つぶし…。
そろそろ図書館も飽きたんだよなぁ、。本も興味あるものはほとんど読んじゃったし。
ちらり、と隣の席を見る。
桃ちゃんのことを見ようと思ったのに、彼の席はあっという間に人で囲まれていた。
はぁ、と小さくため息をひとつ。
とんとん、と教科書類を簡単にまとめ、リュックにしまう。
ふと、窓の外に視線を移す。
ぽつん、と校庭の両端に立つサッカーゴール。
コートと外を隔てる鮮やかな緑色のネット。
少しくすんだベンチ。その隣の割と新しい自動販売機。
そういえば今日、ドリンク忘れたって言ってたっけ。
……………、。
いつも本を横目に窓の外を見ていたけど、直接見た事は1度もないな。
でも、ネットの前はいつも女子たちが黄色い声をあげながら力いっぱい応援してるし…..。その中に入った俺は、考えなくても想像がつく。
少し見づらいけど、ベンチに座ってこっそり見てようか。確かにそれなら目立たないしバレない。
掃除が終わったら、自販機でスポーツドリンクでも買って、ベンチに座っていよう。よし。
小さく決心しながら、箒をにぎった。
小ぶりな小銭入れから百円玉と十円玉を取り出し、自販機に入れる。
チャリンチャリン、と軽いような重たいような音でそれは中へと落ちていき、ピッ、と電子音が鳴る。
“つめた〜い”と表記されたボタンを押し込み、ガシャン、とポカリが勢いよく落ちる音を耳にしゃがみこんだ。
中からポカリを取り出すと、まだ秋だと言うのに、手がひんやりと冷たくなった。
ふたつ並んでいるベンチの右の方に腰を掛ける。
バッグの中から付箋とペンを取り出し、簡単にメッセージを書き込む。
ペタリとペットボトルの側面に貼り付け、膝の上に横たわらせた。まだ部活開始まで少し時間があるため、付箋とペンはしまい、新しい本を取り出す。
表紙を親指にかけたとき、不意に辺りを見渡す。
そこでは、生徒たちが楽しげに言葉を交わしながら下校していた。
日差しを浴びたその姿は、みんな関係なくとても輝いて見えた。
そろそろ迫ってくる試験に、大きなため息をついている人がいる。
今日あったくだらない話をして、大きな声で笑っている人がいる。
ため息も笑顔も、今の俺なら出来るかもしれないけれど、あんなに眩い輝きは出せないな、と切なく思う。
あ、いつもの女の子達だ。今日も楽しみだね、なんて言いながら応援用のうちわなどなどを持ってきている。
そっか、応援、出来るんだ。頑張れ、って言えるんだ。
いいな。
俺も、言えるかな。言えると、いいな。
「おーい!桃も早く来いよー!!」
ふっと我に返る。桃ちゃん、、!
「んな急ぐなって笑、すぐ行くよ」
部活着だ、、。さすが似合ってるなぁ。
「きゃーっ!!」
桃ちゃんの姿が見えるなり盛大な歓声で迎える彼女たち。
桃ちゃんこそきっぱり無視を貫くけど、やっぱり生で見ると迫力があるなと思う。
すると彼はスっとしゃがみこみシューズの紐を結び直す。バッグからタオルのみ取り出して端っこに置いてグラウンドへ走っていった。
部活仲間と楽しげに話す彼になびく風が、余計彼を輝いて見せた。
練習が始まりあっという間にゲームの時間になった。
どの桃ちゃんも普段とは違って目が離せなかった。手に持った本はもう閉じきっていて、それに目を落とすこともなかった。
チーム分けをして蛍光色のビブスを着ている彼に気づき、女子たちが一段と大きな声で応援し始めた。小声で小さく合図をし、
「桃くん頑張ってーっ!!!」
さすがに息ぴったりだな。その声援にちらりと彼がそちらに顔を向ける。
「きゃーっ!!」
彼は全員が騒ぎ立てる中表情を変えることなくくるりと方向を変えてコートへ向かっている。
ちょっと目合ったりしないかな、なんて少しでも彼から注目を浴びた女の子たちを羨ましく思ってしまう。絶対バレたくなんてないんだけれど。
桃ちゃんがコートに立つ。
ゲームスタート。
サッカーのことはよく分からないけど、彼は部の中でもかなり上手いほうなんだなということぐらい見ればわかった。一目瞭然と言えるだろう。
すごい、すごい。
何人ものディフェンスをドリブルで交わしていく。
頑張れ、頑張れ。
ゴールまで走って、走って、ゴールキーパーが構えている。
あまりの迫力に緊張感が漂う。ぎゅうっと手を握って目を離せない。
ボールが空をきって、シュート。
彼が勢いよく蹴ったボールは、ゴールの奥に当たりバサッという音とともに転がっていった。
瞬きすら出来なかった。開いた口が塞がらない。
今日1番の歓声も、ずっと遠くに聞こえる。
不覚にも、かっこいいと思ってしまった。
ドクドクと胸がうるさく鳴いている。
身近で見る彼のプレーに圧倒されてしまった。そこからゲーム終了までの時間は、余韻に浸ってしまいよく覚えていない。
ピーっ!と笛の音が鳴り響き、ゲーム終了。
彼のチームが勝ったようだった。彼はチームの人たちとハイタッチを交わすとすぐにネットの出口へ向かう。どうしたんだろう。他のみんなはそれぞれドリンクがある方に、…。
水道か。
水道って、このベンチの向こうにある…..、。
まずい、バレる。
でも生憎ここら辺は隠れられる場所はない。木が1、2本生えてるだけだし。どうしたものか。
1人でわたわた焦っていると、女子の人混みを通る彼が目に入る。
「桃くん、これドリンク!」
「ちょっと、ドリンク私も持ってきたんだけど!?」
「桃くんこのタオル使ってっ!」
え、みんな、持ってきてるの、!?
うそ、部活ってほぼ毎日あるよね、すご…。
女の子たちの真っ直ぐさに尊敬まじりに驚いていると、
「あー、ごめん、俺今そーゆうのいいわ」
「わざわざありがとな、ごめん」
彼は優しくそれぞれに断っていた。
あれ、受け取らないんだ…。まああんなに沢山、さすがに無理か。
でもということは、。
買った時同様の冷たさを保っているペットボトルを握る。
俺のも、受け取って貰えないよね。
考えれば、ただのお節介だし。
でもどうしよ、スポーツドリンクの甘ったるくいあの味、ちょっと苦手なんだよなぁ。
おばあちゃんと一緒に飲もうかな。たしか元陸上部なはず。…関係ないか。
「あ、赤じゃん!」
スポーツドリンクの未来よりさっきまでの俺の未来を考えた方が良かったみたいだ。はぁ。
彼に小さく会釈を返す。
「あれ、赤それ」
早速それに気づかれる。とっさに俯く。
「珍しいな、自販機?とか」
「あれ、それ付箋、、」
忘れてた。付箋。
いつも彼との会話に使用しているものだから、何も言い訳ができない。
手遅れだと分かりつつも手で覆い隠す。
秋だと言うのに太陽が強く照るから、冷や汗と共に背中に汗が流れる。
「え、なんで見せてよー」
「な、俺次のゲームももっと頑張るからさ」
ぐいぐいと彼は近づいてきて、その嫌じゃない圧に負けてしまいそうになる。
近い。激しい運動をしていたからか髪や体に汗が滴っている。いつもと違いすぎる彼の姿に、固まってその場を凌ぐことしか出来なかった。
「スキありっ」
いつの間にか力が抜けていたのか、いとも簡単にヒョイっとペットボトルを持っていかれてしまった。
、、なんか、慣れてるな。こいつ。
「え、これ俺の?」
「わざわざ買ってくれたの?」
っ、あーもう。
こんなのめっちゃ恥ずかしいじゃん。頷く以外になんも出来ないよ。
断るんだったらさっさと断れよな。
「っ…これ、貰っていいの?」
、、え。
貰って、くれるの?
あんなに沢山の子達の、遠慮してたのに。
俺のは、いいの?
受け取ろうとしてくれていることに特別な意味を勝手に想像してしまって、顔が熱くなっていく。
ぜひ受け取ってくれと言わんばかりに強く首を縦に振った。
「よっしゃ、めっちゃ嬉しい。ありがとな!」
彼ははにかみながら言った。
ちょっとだけ、かわいいな、なんて。
「次も見てろよ!絶対活躍するから」
胸を張って言う彼に、こくりと頷いた。
先程の宣言通り、彼の活躍は物凄いものだった。最初のゲームよりも鋭いパスに強気なプレー。チームメイトも女の子たちも、驚きを隠せないのかどよめきを見せていた。
そして何よりも。
シュートを決めた瞬間、彼は満面の笑みでこちらを見て見せたのだ。「ほら、言っただろう」と言うように。
あれ、なんだろう。胸がうるさくて堪らない。
彼の笑顔が、目に焼き付いて離れない。
ダメだ、ダメだ、もう後戻りなんて出来ない。
この感情に答えなんて出したくないけれど、頭がもうそれを理解してしまっている。
空を見上げた。広く、広く、果てしない空。
冷たい風が、熱い頬を優しく撫でた。
家に帰り、おばあちゃんと食卓を囲む。いつも通り黙々と料理を口に運ぶ俺に、おばあちゃんは言った。
「なんだか最近、とっても楽しそうだねぇ」
え。と反射的に顔を上げる。
「前よりもいきいきしているよ」
「好きな人でも出来たのかい?」
おばあちゃんはここまでも俺のことを分かってしまうのか。流れるように放つ”好きな人”というワードに過剰に反応してしまう。
「いいねぇ。今度おばあちゃんにも教えてね。」
やっぱりおばあちゃんには敵わないな、と苦笑しながら頷く。
「チャンスを逃したらいけないよ。きちんと、思いを伝えないとねぇ。」
「大切にするんだよ。」
どこか遠くを見つめるような目でおばあちゃんは言う。
思いを、伝える。
きっとそれは、手紙とか、そういうのではなくて_。
ありがとう、おばあちゃん。
俺の思い、ちゃんと受け入れられたよ。
伝えてみせるよ。だから、ちゃんと見ててね。神様。
翌日の放課後。俺たちは誰も居ない屋上にいた。
部活が休みの彼と、ちょっとだけズルをして。
体育館の鍵が欲しいなんていって、すぐ隣にかけてある屋上の鍵を盗んできて今ここにいる。
「なんかいーな、これ」
「世界に俺たちだけみたいな感覚じゃね?」
少しおどけてみた彼に、俺は小さく笑う。
今日はいつもとは違くて、真面目な話をするんだろうなぁ、と何となく分かっていた。
そして茜色に染まる空を見上げながら、彼は語り始めた。
彼の、昔の物語を。
「…..俺さ、昔から割とこんな感じだったんだけど。それだからか周りからの期待がすっごい多くてさ、ぶっちゃけめっちゃ苦しかった。父親も、おばあちゃんもおじいちゃんも、担任の先生も、俺の事なんて全く知らないくせに、勝手に自分らの夢押し付けてんだぜ。笑えるよな。笑」
自嘲するように、彼は苦く笑う。
「でも、母さんだけは、俺を自由にしてくれた。桃ちゃんってあだ名も、母さんがつけてくれたんだ。」
どこか遠くの方から、軽やかな笑い声が聞こえる。
今の俺たちのことなんて知るはずもない、明るい声。
「母さん、病気がちでさ、もう、居ないんだけど。、…..ほんとに、大好きだったなぁ、」
今俺の隣で、必死に涙を堪えながら笑う彼がいる。
俺が初めて知る、彼のこと。きっと誰もがそれぞれに悩みを抱えているんだと、自然とそう思えた。
「なんか、ごめんな、こんな話。」
「でも、赤が伝えてくれたから、俺も言おうってずっと思ってたんだ。」
こちらを向いて謝る彼に、俺は小さく首を振った。
薄くて軽い風が、頬を撫でる。
また少し、正確にどれ位かは分からないけれど、沈黙の後、彼は言う。
「実を言うとさ、俺、赤に一目惚れしたんだ。だから、最初あんなに無理やり連れ回したんだけど。」
また俺の知らない彼が、俺の前に現れる。
鼓動がないて鳴り止まない。ドキドキ、とそれはだんだん痛くなっていく。
「それでも、赤が一緒に居てくれて、楽しいって伝えてくれて、どんどん好きになった。1人の人としても、特別な意味でも。」
冷たい風と反対に、俺の体はじんじんと熱くなっていく。
目の前の空一点しか見つめられなかった。
「だからさ、これからも一緒に居よーな。」
見えなくても分かる。隣の彼が笑っている。
その事実が、愛おしくてたまらない。
いつの間にか何よりも大切な存在の彼が、今隣にいることが、幸せでたまらない。
神様、ありがとう。
どうしても、彼に伝えたい。それは、手紙とか、そんな手段ではなくて。
こんなにも、こんな衝動に駆られるなんて、あの時は思ってもみなかった。こんな日を夢見ることだって許されないと思ってた。
それでも、隣の彼と共に、今を生きていけるから。
大丈夫、信じられる。
すうっ、と息を吸う。
俺なりに精一杯考えて、簡単に紡ぐ言葉。
完璧な答えなんて、そんなの無くていい。
少しの恥じらいを持ちながら、彼の方へ顔を合わせる。
そして、ちょっぴりはにかみながら。もう一度息を吸う。
「桃ちゃん」
「大好き」
目の前の彼が、ぽかんとしながらその場に固まっている。
ああ、言葉ってなんて繊細なんだろう。なんて眩いのだろう。
人が放つ言葉で、沢山沢山、傷ついたけれど、色んなものを失ったけれど。それでも今こうやって、幸せだと思えるのだから。
桃ちゃん、神様、俺、普通になれたかな。これから少しずつでも、なれるかな。
彼の大好きな場所から見上げる空は、今まで見た何よりも美しく、果てしなく見えた。
この世界は言葉に溢れている。
沢山の痛みの中に、ほんの少しの希望と、ささやかな幸せを込めて。
END.
お久しぶりです👼🫶🏻
大変お待たせしました長編がやっと完成しました…😫💧
思ったより長くなってしまったので読みにくかったら申し訳ないです🥲🙏🏻
初めて書いたので自信はないけど書いててとても楽しかったです!😵💫💞
♡、💬よろしければお願いします😚🤍
好評であればこの作品の番外編やほかの長編も書かせて頂きます🍀🫶🏻
コメント
37件
コメント失礼します! 久しぶりに作品漁ってたら神作品と出会ってしまいました。本当になんか一つ一つ上手く表現されていて、とても好きでした♡
最高すぎます❤︎ 感動しちゃいました😭 最後赤くんが声を出せて、 良かったと思いました❣️ この作品好きすぎます🫶
フォロー失礼します!