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【どんなに平和な町でも、事件が多発する時期がある】
そのような噂を嗅ぎつけるより早く、脚を組み頬杖をついた彼女のもとに、血相を変えた「血相のない男」がやってきた。
「アイコさん! アイコさぁん!」
「うるさい。本を読んでるときは静かにしてっていつも言ってるわよね?」
「すいません! けど、本当にすごい情報を聞きつけたもんで!」
「すごいってどんな風に? 言っとくけど、くだらない話だったら許さないからね」
アイコと呼ばれたその女は、声も体も大きなその男を凝視したまま、後ろの本棚に分厚い書物を戻した。
男はあやふやな足で正座をすると、息をひと吸いした。
「ここ最近、局所的に殺人事件や傷害事件が頻発しているのはご存知ですよね」
「傷害事件なんて知らないわ。殺人事件なら把握済みよ」
「ま、まぁ、アイコさんならそうでしょうね」
苦笑いで頭をかいた男は、すぐに真剣な表情に戻って続けた。
「それで、その頻発する事件のほとんどを見事、解決しているのが……」
「向出イクハ。この男でしょう?」
アイコは彼が言い切る前に、古めかしい卓上にあるノートパソコンで、その写真を見せてきた。
画面には、ネットニュースのサムネイルとして撮影された小綺麗な男が映されている。
「そうそう! そいつですよ!」
「私もこの男は知っているわ」
「……アイコさんが生身の男に興味を持つなんて珍しいですね。やっぱりアイコさんも、ツラのいい男が……」
「顔の良し悪しなんてどうでもいいのよ。殺人現場にいち早く駆けつけられる環境……それが羨ましいの」
「そ、そうっすか」
顔が気に入っているわけではないことに対する安堵と、歪んだ価値観を持つアイコに複雑な気持ちを持つ男。
アイコは冷たい目で結論を急かした。
「で? 向出イクハがどうしたの?」
「噂によると……いや、本当に単なる噂なんですけど、向出『こそ』が事件の原因らしいんですよね」
「どういうこと?」
「向出が人間を操って、事件を起こしてるんじゃないか、と……そしてマッチポンプ式に、その事件を自分で解決してるって話です」
しばし沈黙が流れた。
アイコは立ち上がると、机の下から鞭を取り出した。
「……僕の話、くだらなかったですか?」
「これは私特製、塩水を染み込ませたあなた専用の鞭よ」
「僕専用というと聞こえはいいんですけど、いかんせん穏やかな流れとは言え……」
アイコが自由自在に振るう黒い懲罰。男の悲鳴の中には「クセになりそう」という言葉が紛れていたという。
やがて時は過ぎ、尻を突き出してぐったりとした男を見て満足したのか、アイコは書斎を後にしようとした。
しかし、息も絶え絶えに発した男の言葉により彼女は立ち止まった。
「向出っ……向出イクハが、この街にも来たらしいんです……!」
「この街に?」
「はいっ……なので、この話が本当なら、いずれこの街も例によって、治安の悪化が見込まれるのではないか、と」
「……いつも言ってるわよね。結論から話しなさい、って!」
「あひぃん! 飛んじゃう!」
尻をひと叩きしつつ再び書斎の席についたアイコは、男の言葉をうながそうとした。
「それで、向出イクハが人間を操るっていうのは——」
言葉を遮ったのは呼び鈴だった。
広い邸宅であるために、玄関まで出迎えるのにも距離がある。アイコは溜め息をつきながら書斎を出る。男も後ろをついていく。
「ピンポンダッシュかしら」
「アイコさん、下です下!」
「……あら、ちっちゃい」
男が指をさした通りに目線を落とすと、小学校低学年くらいの男の子が、何やら段ボール箱を両手で抱えて立っていた。
「こんにちは。ここはたんていじむしょ、ですよね?」
「そうだけど、私に何かご用かしら」
そう言われると男の子は、玄関先に段ボール箱を置くと、蓋をいっぺんに開いた。
アイコは首をかしげ、その後ろから中身を確認した男は顔を引きつらせた。
「な、なんじゃこりゃ!?」
「動物の死体かしらね」
「うん……この子猫、こうえんでこっそり飼ってたんだ。今日のあさ、見にいったらいなくなってて。いろんなとこ探してたら、こんなになってるのを見つけて……」
しゃがんで悲しい表情を見せる男の子。
茶色い個体のようだが、その姿はかろうじて「生き物」だと分かる程度。
子猫には頭部がなく、腹には縫い目のような跡がある。
「とりあえず中に入りなさい。詳しい話を聞きましょう」
アイコは背を向けると、屋敷の中へ入っていった。男の子は箱を持つと、素直にその後をついていった。男もまた、ひっそりと玄関を閉めて付き添っていく。
「紅茶かコーヒー、どっちにする?」
「こうちゃで!」
「そうでしょうね。ちなみにこれ、名刺」
アイコは、閉められた段ボール箱の上に名刺を置いた。男の子はピタリと立ち止まると、読めない漢字の羅列をじっと見つめた。
「遺体探偵の、足立 想。覚えて帰ってね」