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目の前を、可愛い金魚が泳いでいた。円を描いて 、私を誘っているようにも見える。私は金魚に手を伸ばす。金魚はスルリと私の手から抜け出すと、少し遠くに逃げて、円を描き始めた。私がそれを追いかける。金魚も逃げ出す。私が更に追いかける。金魚も更に逃げる。
………捕まりたくない?それとも、私をどこかに連れてくの?
私は心の中に浮かんだ疑問を口に出す。でも、それは泡になって消えていった。
何の抵抗もなく、息もできる水の中、私は更に金魚を追いかける。
途端、向かい風のような、圧がかかる。
金魚の方に行こうとすると、その圧が強くなって、息ができなくなる。離れるとマシになる。金魚は何ともない。
捕まりたくなかったの?
私が口から泡を出すと、金魚は円を描くのをやめて、どこか遠くに泳いでいった。
「何だったんだろう」
私の声が響く。
あれ、なんで声が。
そう思うと同時に、水は消え去っていたことに気づき、私は空気の中を、闇に向かって落ちていた。
闇に呑まれる時に見た景色は、金魚の形をした水の中にいる真っ赤な金魚だった。
私は目を開ける。
寝ていたらしい。
あの金魚が、私の作り出したものだったと思うと、少し不思議だ。とても変な夢だった。
古びた家の軋む木の床を、一歩一歩、崩れないかを確かめながら歩く。蛇口の水で顔を洗い、家の壁に刺さっている鉄骨に干していた服を取る。この家とも、もうおさらばだ。
服の袖に手を通し、頭を出す。所々布を縫った、ボロボロの革のスーツケースから、鼠の首飾りをつける。
もう崩れかけているドアを開け、体を伸ばす。鈍く橙に光る提灯が、無数に浮かんでいる。上下に動くもの、左右に動くもの。今日もまた、彼らには足場になってもらう。
不意に、ポロッと木の板が欠けた。また、欠ける。この床はもうだめだ。
私がひょいっと別の床に跳ぶのと同時に、さっきまで床だった木の板は、”下”に吸い込まれていった。”下”は、暗い暗い闇。無限に地下へと続く穴で、化け物が出てくる原因だ。昔の誰かが作った家が、腐敗しながらまだ、穴の壁に沿って隙間なく並んでいる。今、足場と呼んでいるこの家も、昔は誰かが住んでいたんだろう。と、まぁどうでもいいことを話してしまった。ストレッチも終わり、スーツケースも背負った。紐が付いているから、体に縛り付けて運ぶ。
「よし」
提灯を掴んで、家から家へと飛び移る。屋根の瓦を投げて窓を割って、ジャンプで入り込む。提灯の上には数秒なら乗れるから、提灯から提灯へと飛び移っても上がれる。
ただ、闇雲に登る。”上”に何があるかは知らない。”下”にも何があるか分からない。分からないことだらけのこの穴で、1番理解できるのは、「下よりも上のほうがいい」ってことだけ。だから、”上”に行く。
確か、提灯にぶら下がるのが10回目の時だったと思う。変な器が提灯に引っかかってた。ヒビ割れた壺で、縄文土器みたいなやつ。蓋に、小さな穴があって、そこに提灯が引っかかってた。
「邪魔だな」
ギリギリ身長も届くし、壺を取って捨てた。
ポイっと”下”に投げ入れると、ヒューと落下音がしてたが、途中から見えなくなって、音も消えた。よし、再出発
「え?」
何の音?ガンって、何か、金属っぽい物同士がぶつかったような、
「あっ」
壺、投げちゃった。てことは、ガンって、壺と………瓦のぶつかる音だよね。そうだと思おう。そうだ。金属の化け物なんているはずが
水の滴る音と同時に、辺り一面が白に染まる。陰影は黒色で描かれ、まるで漫画の背景のようだ。でも、そんな風景もぶち壊す唸り声が、後ろから聞こえてくる。
恐る恐る振り返ると、化け物がこっちを見ている、ように見えた。
目の前にあるのは、巨大な金魚鉢。中は真っ赤な液体で満たされていて、人の頭蓋骨が底にびっしり敷き詰められているのが、うっすら見える。鼻から下は巨大な普通の日本猿だが、尻尾は黒く、長く、ビチビチと陸にあげられた魚のようにのたうちまわっている。当たったらひとたまりもないだろう。
逃げるしかない。それしかできない。
踵を金魚鉢猿に向けて走り出す。猿は穴の直径の10分の1くらいだから、家も提灯も全部粉々にして追ってくる。金魚鉢の水が波打って、溢れ続けているのに、水は減っていない。飾りなのだろう。瓦を鉢に投げつけると、ガンと同じ音がした。やっぱり、猿の金魚鉢に瓦がぶつかったみたいだ。なんて運が悪かったんだ。ともかく、逃げよう。
ぴっしり整列した屋根を走る。猿も追ってくるけど、手探りだ。頭の半分が金魚鉢だから、目が見えていないのも当たり前かもしれないが。瓦を遠くに投げて、自分はしゃがみ込む。猿は、瓦と物がぶつかった音を聞くと、私がそっちに行ったと勘違いして降りていった。その間に家の中に入り込んで、タンスの中に隠れた。
猿の唸り声が、穴全体に響き渡る。
私は音がならないようにタンスを開けた。
そのまま足音を立てずに、部屋から部屋へと飛び移っていく。このままなら、猿からは逃れるだろう。でも、この白黒は邪魔だ。陰影で奥行きは何となく分かるけど、空間認識が狂ってくる。そして、白黒を消すにはあの猿を殺す必要がある。
やるしかない、猿を。
化け物には、急所が存在する。大体の見た目で察しがつくが、猿の場合、金魚鉢と、体の中だ。体の中は、口やら耳やらから狙えるが、1番狙いやすいのは金魚鉢。あそこに、「あれ」をぶつけるしかない。
瓦を1枚、そっと掴んで、ここより下の足場に当てる。猿が狙い通り来て、唸り声をあげながら手探りで、いない私を探している。
その間に、「あれ」を取り出す。
「鼠爆弾」だ。鼠色の手榴弾だが、威力は手榴弾の10倍は優に超える。これを、金魚鉢にいれて、割る。
狙いを定めて、
「おりゃ」
投げる、というより落とすの方が近いけど、金魚鉢に、
えっ。猿が、鼠爆弾を、掴んだ?
嘘、絶対に視界には入ってないのに。どうして、なんで。
私の思考を遮るように、爆発音が響き渡る。猿の悲鳴とのたうち回る音。そして、大きな何かが転がり落ちる音。音が大きいあまり目も瞑っていた。少しずつ目を開けると、下には何もいなかった。
プカプカと宙に浮かぶ、金魚以外。