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それは、シルフィーユが一介の神官に過ぎなかった頃――――
まだ幼さの残るシルフィーユは、とある女性の元で神官としての修業に励んでいた時期があった。
「アイギス司祭、もうお昼ですよ。朝に弱いと言っても限度があるでしょう」
「やめろ、カーテンを開けるな。眩しくて死ぬ」
とても司祭とは思えない自堕落な女性。
それがシルフィーユが彼女に対して、最初に抱いた印象だった。
「思いっきり跳んで、思いっきり突っ込む。簡単だろ?」
「普通はそんな高く跳べないです……」
彼女はシルフィーユにとって、槍術の師でもあった。
それはあまりにも豪快で単純なものだったが、その姿に見入ってしまう自分がいた。
だからなのだろう、本来なら杖術を指南されるのが普通だが、シルフィーユも自然と槍の道を選んだ。
「いいかいシルフィーユ、私たちにとって絶対なのは創造神様であって、教会じゃない。それは忘れちゃダメだよ」
「……? 違いがよくわかりませんが……」
アイギス様は時折よくわからないことを言う。
でもそういう時は、割と真面目な顔をしていた気がする。
「正義って言葉は押しつけがすぎるから嫌いだよ。自分を正当化したいやつが使う言葉さ」
「そう言って悪魔討伐を辞退してきたんですか……サボりたいだけですよね?」
神力を扱える数少ない神官でありながら、それを振るうところをあまり見たことがない。
だからこそなのか、教会内でも彼女を良く思わない者は多かった。
なぜこんな人が司祭に? と思うことも多い。
だが時折彼女は、シルフィーユにとっての救いでもあった。
それは――――初めて、シルフィーユが人を殺めた時のことだ。
「もし、どうしようもない悪人が許しを請うてきたら……アイギス様ならどうなさいますか?」
「……どうしようもない悪人ってのがどの程度か知らないけど、どうしようもないなら許さないよ」
そうだ、そうするしかない。
だからこそ自分もその命を奪うしかなかったのだと、シルフィーユは自分を納得させるしかなかった。
「ですが教会とは本来、人を赦す立場では……」
理想とするその考えが、いくら振り切っても肩に重く圧し掛かる。
「できればそうありたいものだね。だからこそ、許せない時……その時は背負う覚悟を決めな。忘れて浮つくより、重くなる積み荷でしっかり地に足つけたほうがマシさ」
肩の荷を軽くするぐらいなら、背負って生きろと……そういうことなのだろう。
他の神官のどんな励ましの言葉より、その言葉はシルフィーユにとって救いだった。
「私が司教か……上は見る目がないねぇ」
「普通は喜ぶところなのでは……?」
アイギス様は司祭から一つ上の司教へ、そしてオルフェン王国の大聖堂へ転属が決まった。
公国の大聖堂より規模も大きく、まさに栄転と呼べるだろう。
「別れの挨拶はいらないよ。どうせすぐ戻されるだろうから」
「それは……アイギス様ならありえそうですね」
でももし戻って来なかったら……。
その時は自分がそちらへ向かおうと、シルフィーユはそう決めていた。
だからこそ、別れの時は笑って見送ることができた。
次会った時は、自身の立派になった姿を見てもらおうと……。
だが……その日が訪れることはなかった。
それは――――別れの日から一年後のことである。
突如として、信じられない話がシルフィーユの耳に入った。
「アイギス様が破門……?」
異端審問にかけられ、さらにその行方も知れないと聞かされた時、彼女は何かの間違いではと思った。
たしかに素行こそあまり良くはなかったものの、創造神様に盾突くような方ではなかったからだ。
詳細を調べようにも、重要機密扱いで異端審問会の内容は明かされなかった。
ならばと思い、冒険者としても活動を始めたシルフィーユは、別の角度から情報を集め始める。
だがそれでも知りえたのは、アイギス司教が大司教と何かを揉めていたということだけ……。
これは絶対に何かある……はずなのに、知ることすら叶わない自分がもどかしい。
空を見上げ、師の顔を思い浮かべた。
「あなたは一体、何を背負ってしまったんですか……?」
◇ ◇ ◇ ◇
「懐かしい…声が聞こえるね……」
ベッドで横になった女性は、かすれた声でシルフィさんの呼び掛けに反応した。
「私です! シルフィーユです!」
どうやらシルフィさんの顔見知りのようだが、どこかその表情には余裕がない。
ここまで取り乱したシルフィさんを見るのは初めてだった。
アイギスと呼ばれた老齢の女性は、顔だけをシルフィへと向ける。
「あぁ…シルフィかい、悪いね……もうほとんど見えないんだ」
その眼は灰色に変色しており、目の前にいるシルフィを上手く捉えられていなかった。
それに、喋ると動く痩せた頬が痛々しい。
自身が知る師の姿に対し、それはあまりにも変わり果てた姿だった。
「こんな…どうして……」
自然と溢れ出す涙を、シルフィは抑えることができないでいた。
「ちょっと無茶したからねぇ……生きてるだけマシってもんさ」
そう言って、アイギスは少しだけ笑みを浮かべた。
「一体どんな無茶をしたらこんな……」
「……結界ダヨ」
シルフィの疑問に答えたのは、部屋の入口に立つエマだった。
だがエマの話もまた無理のある話だ。
どう無茶したところで、こんな大規模な結界を張るなんて……
「――! まさか、神降ろしを……?」
シルフィの言葉に、エマはコクリと頷いた。
たしかにそれならこの結界も頷ける。
つまりこの変わり果てた姿はその代償だと……
「これが廃人になるってことだ……意識があるだけマシなんだろうね……」
そう、弱々しい声でアイギスは答えた。
「やはりあなたは……」
ボソリと、シルフィは小さく呟いた。
創造神の力を行使できる……それは、彼女の行いに異端審問にかけられるような、背信行為がなかったことの証明である。
少なくともこのことに関しては、シルフィは内心ホッとしていた。
「ところでシルフィ……そこに神像でもあるのかい?」
「……? いえ、ありませんが……」
そもそもシルフィーユは神像を見たことすらない。
神の遺物と呼ばれるそれは、それほどまでに希少な存在なのだ。
「……不思議なもんでね……視力が失われていくと、それまで見えなかったもんが見えるようになってくる……」
光をほとんど失ったアイギスの瞳は、シルフィーユの背後に向いていた。
「……眩しいねぇ……女神像だってここまでじゃないよ……まぶしくて…心地良い……」
そのままアイギスはそっと瞳を閉じると、静かに寝息を立て始めた。
おそらく彼女にとっては、話すだけでも体への負担が大きいのだろう。
そして皆の視線は、アイギスが直前に見ていたある人物へと集中する。
「……ぼ、僕っすか……?」
突如集まった視線に、エルリットは動揺した。
◇ ◇ ◇ ◇
アンジェリカは一人、執務室にて書類に目を通していた。
「新しい浄水施設は順調、これなら普段は並列稼働で対応できそうね……」
消費する魔石はこれなら許容範囲内。
ただ管理と保守保全、定期的なメンテナンスには、どうしても人的コストが増す。
「雇用の促進には繋がるけど……財源がなぁ」
今後交易都市カザールからの税収も見込めればいいのだが、今はまだあまり期待できない。
これが鉱山都市ならすぐにでも財源に繋がる。
エルリット一行からの報告には期待したいものだ。
「あとは……遺跡の核か」
魔神は不思議と遺跡に直接立ち入ることはしない。
だがそれが外に持ち出されれば、また狙って来るだろう。
未だ情報の少ない第4遺跡はいいとして。
いずれ踏破されるであろう第3遺跡の核はどう扱ったものか……。
なんせ所有するだけでも、自国を危険に晒しかねない物だ。
厳重に保管するのは当然としても、その扱いは今でも協議されている。
「……いっそのこと、テーマパークでも作ってやろうかしら」
意外とアリなのでは? と、アンジェリカは一先ず思いついた案をすべて書き記していった。