葬儀の前日に起こった騒々しくかつ醜い争い。
人間の欲望の権化の一端が見られたものの、突如として起こった謎の地揺れと雄叫びによって収束する。
そして誰もが呆然とする中、東京から来訪した彼を呼び掛ける者が現れる。
「あ、あんたは?」
「ここで下働きしている者さ。離れに案内してやるから荷物を貸しな♪」
黄色の上衣に水色のズボンを着用している他、毛髪が三本しかない禿頭に六本の髭を生やしている少年。
出っ歯も兼ねて、何処か鼠のような印象を受ける。
その上、普段から体を洗っていないのか、体臭が凄まじく、周りにいた者たちが次々と鼻をつまむ。
勿論、水木もまた眉を顰めるが、離れに案内してくれるとのことで仕方なく手荷物の鞄を預ける。
「こっちだよ。ついて来な」
「あ、あぁ……」
去り際に大広間に目を向けると、先の現象に対して未だに怯える輩が、ちらほらとあった。
かくいう自分自身も困惑したままだが、一先ずは此処から離れることにする。
「そういえば、お客さん。聞いた所によると、お客さんの他にも、もう一人この村に訪れている人がいるらしいね?」
「ッ……あ、あぁ……僕の友人で神谷という男だ」
共に廊下を歩く中、先頭にいた案内係がふと足を止める。
「……それ、本当ですかい?」
徐に振り返り、確かめるように問いかけてくる。
何か気になることでもあったのか。
否、もしかすると友人関係という嘘を見破ってしまったのか。
得体の知れない緊張感が漂うも、黙ったままではまずいと判断し、何とか口を開く。
「そ、そうだが……」
「……なるほどねぇ♪」
答えが返ってくるなり、口角を上げる。
まるで事情を理解したかのような反応だった。
意味深な態度に増々不安に駆られるも、それよりも先に話しかけられる。
「あぁ、警戒しなくとも大丈夫ですよ。ただ、ここじゃあちょっとまずいんで……歩きながら説明しますよ」
「……?」
どういうことなのかと尋ねようとするも、我先にと歩き出してしまう。
自由奔放な行動に少々苛立ったものの、今は従う方が無難だと感じ、後をついていく。
暫くして、辺りに他の人間が居なくなったところで説明が始まる。
「いやね……お客さんがさっき言ってた神谷っていう人……ひょっとして背が高くて、顎に髭を生やして、肌が焼けてて黒の作務衣を着ていませんでしたか?」
「ッ!?ど、どうしてそれを……ッ!」
脳裏にある記憶が甦る。
夜行列車で再会したときに、彼が哭倉村に訪れる理由について語ったときのことを……。
あの時は、確か猟奇的な人体実験が行われてるという情報を知り合いから聞いたと口にしていた。
ということは、まさかと気づいた段階で、少年がニヤリと笑みを浮かべる。
「ま、まさか……あいつが言っていた知り合いっていうのは……」
「おや?ひょっとして神谷の旦那、俺のことを喋ったのか?」
「………ここに来る途中の夜行列車で偶然会ってな。その時に知り合いから聞いたと聞かされたよ」
「そうだったのか………あっしは“ねずみ”と言いましてね。神谷の旦那には、昔から世話になってるんすよ♪」
懐かしむように綴る様子から、間違いないと断定する。
よもやこんな所で出くわすとは思いもしない。
ただ、そうなると一つ気になることが浮かぶ。
「……一つ訊いて良いか?」
「何でしょう?」
「……あんたが言っていたっていう“猟奇的な人体実験”とやらは……本当なのか?」
「あ~……神谷の旦那、そんなことまで言ってたのか。すいやせんが、それ以上のことはちょっと………誰かに聞かれでもしたらまずいですからね」
申し訳なさそうな口調で断れてしまう。
そうこうしている内に件の離れにも辿り着いたようで、部屋の前で止まるなり荷物を返される。
「あっしはここまでですので。あっ、序に訊きたいんですが、神谷の旦那は今どちらに?」
「……村長に村の宿に案内されたはずだが……」
「宿か……あ~……どこの宿なんだろうな………まっ、良いか。じゃ、失礼しやす♪」
後頭部を掻いてから颯爽と去っていく。
色んな事がありすぎて疲れたのもあってか、途端に脱力感に襲われるも、辛うじて踏ん張りつつ客間へ入っていく。
――――
刻々と時が過ぎ、気が付けば日の暮れた夜。
案内された一室の行燈の蠟燭に火をくべ、暖かみのある灯りをともしながら敷いた布団の上で寝転がる。
客人用の浴衣を身に着け、用意された料理に舌を打ち、尚且つ風呂も入ってさっぱりしたものの、心の中は晴れずにいた。
雲のようなモヤモヤとした感情が渦巻いており、大きなため息を吐く。
(このままでは東京に帰れない………しかし克典社長も詰めが甘い!)
働いている職場先と親身な関わり合いをもつ龍賀製薬の社長が次期当主となれば、会社に多大なる貢献ができるうえ、好である己の立場が格段に向上するはずだった。
ところが、現実は全く異なるものとなった。
健康面に問題があると噂で聞いていた長男の時麿が、まさかの跡取りとなってしまった事態に頭を抱える。
啖呵を切って態々此処まで来たというのに、これでは合わせる顔がない。
(まぁ……あてにした俺も甘いか……あれから十年……せっかく拾った命を無駄にはできない……)
瞼を閉ざすと、忌々しい過去が鮮明に映し出される。
息を切らしながら駆ける先に待っているのは、敵からの銃弾。
周囲は、爆撃による轟音や火の手が上がるばかりで、仲間たちが次々と撃たれていく。
にも拘らず、我が身は命尽きることなく走り続ける。
血が混じった硝煙の臭いがこびりつき、汗水を垂らしながら動くことに何の意味があるのか。
気が付けば、相手の兵士に向かって叫んでいた。
“俺を………殺してくれーーー!!!”
「ッ!?」
眼を開くと……そこにあったのは天井だった。
よく見ると、閉めている障子の向こうから弱々しい陽の光が照らされている他、小雨の音も届く。
掛布団を使わずに、いつの間にか眠っていたようだ。
「………嫌な夢だ……」
ゆっくりと体を起こすと、開けている隙間から汗が流れていた。
どうもかなり魘されていたらしい。
故に深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせようとするが――――
『誰か、誰かぁ~!!』
「ッ、な、何だ?」
外の方から慌ただしい声が炸裂する。
自ずと立ち上がり障子を開けて乗り出すと、下の方で一人の女性が助けを求めながら彷徨っていた。
「ご、ご当主様が、お隣のお社の中で………は、早くぅ!!」
「ッ……」
只ならぬことが起こったに違いない。
そう理解すると、急いで着用していた浴衣を脱ぎ、黒のスーツへと着替える。
――――
村の山の手にある哭倉神社。
龍賀家の当主が代々神主を務めるとされるその場には、既に何十名もの喪服を着た親族及び親戚一同が集まっていた。
「すみません。ちょっと失礼」
そこで間をかき分けるように進み、皆が一様に見つめている本堂の前まで移動する。
でもって漸く着いた先に待っていたのは……寂れた堂内にて膝を折りながら奥にある簾を眺めるねずみだった。
「ぼ……坊ちゃん?」
心配するように呼び掛けている姿から、促されるように視線を向ける。
人影らしきものがあり、姿形から昨日当主になったばかりの時麿だと分かる。
けれども、何処か様子がおかしい。
呼びかけに応じない所か、人形のように固まっている。
「ッ!」
と思いきや、唐突に前のめりに倒れ始める。
「う、うわぁあああ?!!?」
「きゃあああ!!」
たちまち阿鼻叫喚と化す。
何故なら簾にしがみつくように倒れ込んだ時麿が………死んでいたからだ。
片目に神具と思しき物が突き刺さっており、そこから血を流しながら……。
悍ましい光景を目の当たりにしてしまったことで、目撃者たちは吐き気を催したのか口元を押さえたり、悲鳴を上げながら後ずさりしたり、なかには祟りだと恐れる者もいた。
無理もない。
えげつない死に方で息を引き取っているものが、すぐそこにいるからだ。
(これは………どういう………)
「皆様方!」
刹那、鳥居の方から野太い声が流れる。
全員が揃って振り返ると、破落戸風の厳つい村人たちと村長が立っていたが、その中で特に大柄な男の手には斧が握られていた。
やけに物騒だなと内心抱くと……。
「怪しい余所者がいたので、ひっ捕らえて参りました!おい、早く上がってこい!!」
怪しい人物がいたため捕まえたと報告するなり、石畳の階段下に向かって催促を掛ける。
と、次の瞬間。
一段ずつ上がってきているのか、カランコロンという音が徐々に聴こえ始める。
大方、下駄を履いているのだと把握するも――――
「ッ!」
上がってきた不審者とやらを目にした時、既視感を覚える。
いや、見覚えがあるというより、出会ったことがある。
神谷と一緒に蒸気機関車に乗っていたときに、隣の席で死相が出ていると口走っていた男。
背が高く、次縹色の着物に下駄を身に着けている他、片目隠しの白髪。
他の村人によって胴体に縄を括りつけられていたが、見間違えようがなかった。
「ゲゲッ!?まずい……」
「?」
一瞬だけ、下働きの彼が気まずいように声を上げてから引っ込んだのを目にする。
疑問符を浮かべるも、今度は居合わせている人々の中から、あいつがご当主様を殺めたのだと根拠のない断言をする。
その発言を皮切りに、挙句の果てには一丸となって捕らえられている男を非難し始める。
「……随分乱暴な村じゃのぅ……儂は争いごとが嫌いなんじゃよ。どうじゃ?ここは、皆で一つ湯にでも入ってのんびりと―――」
「こいつぅ!!ふざけたことを言いやがって!!」
暢気そうに言い分をかましているのが気に喰わなかったらしく、頭部を掴んでから強制的に地に伏せさせる。
極めつけに、傍らにいた村長の長田が、村に災いを持ち込んだのはこいつの可能性があり、よってその咎を払うと言い渡す。
(……払う?)
何をするつもりなのかと訝しむと…………地面に膝をついている彼に対して、大柄の村人が次第に手にしている斧を振りかざし始めたではないか。
嫌な予感がする。
だが、周りにいる連中は誰一人として止めようとしない。
(ッ!!)
戦時中の頃の悪夢が過る。
「やめろぉ!!」
風習か何なのかは分からないが、異様な光景を前に躍り出ずにはいられなかった。
無論、大声をあげて割り込んできた彼に釘付けとなり、刃物を振り下ろそうとした巨漢も手を止める。
一歩手前で引き止められたことに安堵するも、すぐに切り替えて今の心情を打ち明ける。
「ちょっと待ってください!ぼ、暴力はいけません。暴力は………駄目ですよ。それに、その男が犯人と決まった訳ではないではないですか………日本は法治国家ですよ?冷静になりましょう……」
とにかく冷静になってほしいと訴えるも返事がない。
それどころか、余計なことをするなというような目つきで睨んでくる始末。
いくら余所者とはいえ、証拠もないのに処分しようとするなど、流石におかしすぎる。
何とかして場を収めようと躍起になると――――
「全くもってその通りだ。水木」
「「「ッ!」」」
第三者の声が轟く。
風に流されるように通った賛同の意見の発生源は、石畳の階段下からだった。
加えて、一歩ずつ踏みながら上がってくる者の正体が露わになる。
「いくら余所者だからといって、何の証拠もなしにその人を殺そうとするなんざ………日本は何時からそんな物騒な国になったんだ?」
顎髭に手を当てながら着こなしている黒の作務衣を靡かせ、履いている草履で水たまりを踏む。
「それにだ………ここは神社のはずだろう?神様が祀られている場所で、血を流すような真似をするってのは、罰当たりも甚だしいと思うんだが?」
堂々たる佇まいで諫める彼は、紛れもない神谷本人だった。
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