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趣のままに筆を走らせ、日々の生活に結びつけつつ思う気持ちを詩にする。
簡単なようで、出来ないことだ。自分の気持ちは言葉と化し、作品とする。
“素晴らしいこと”とは、言い難い。
窓から見えた花が綺麗だ。恋人に久しぶりに会えて嬉しい。そんな大したことないことを、誰にも届くことがないと分かって、人々は時と労力、思考を消耗する。
無駄な時間を、過ごすだけ。
明日の行方も暗黙にして、今日も日が落ち月が昇る。和風の家屋。窓辺に添えた瓶に、一輪の黒百合を挿して部屋を着飾る。一風変わった雰囲気を醸し出しながらも、枯れることなく凛と咲く。黒く純色の花弁を揺らし、雌蕊と雄蕊に吸い込まれるように奥に行く度、濃く深くなる花の色は澄む事なく光をのみ込む。
目を瞑り、色んな音を頭で再生すると微かな音さえ全て思い出すように、暗闇に楽譜を描く。虫の音、動物の鳴き声を共に据え、その姿さえも脳裏に浮かびひと時安堵を感じて眠りにつく。
こうして再び朝が来る。
いつかの日、十六の時だった。親は離婚し、父とふたりで暮らしていたとき、私は父と喧嘩をした。小さな頃から詩を作る事に優れていた私は、詩の申し子と謳われ続けた。そのせいか、徐々に手が筆を持つことを拒むようになった。普通に就職して、家庭を築く。
詩人になんて、なりたくなかった。毎日のように触れ、手がけてきた作品たちは皆焚き火で焼き払う。金を燃やしているようにも感じられた。時は金なり。作品にかけた時間は、無駄なものとして今目の前で黒くまた白くと変化する。後悔はなかった。いや、全くでは無い。自分の気持ちが誰にも伝わらない悔しさは少なからず片隅にあった。だがそんな気持ちも見て見ぬふりをし、ただひたすら燃やし続けた。
「秀作。」
縁側から威圧感を放ちながら父が言ったが、聞こえないふりをしてしまう。
「これから冷える。早く家に入れ。それとも詩の題材でも考えているのか。」
行く手を狭まれ、仕方なく返事をする。
「父上、私はもう詩を書きません。」
目を見てそう言い切った。これ以上戯言を聞かされるよりはいいだろう。久しぶりに見た父の目は、いつもと何も変わらない冷淡で深く吸い込まれそうなくらいだ。いつもその目に圧倒されるが、今日はそういう訳には行かず、続けて瞳を見つめた。
「何を馬鹿なことを言っている。」
「馬鹿なことではございません。私は真剣に言っているのです。私は詩人にはなりません。」父が鬼の形相でこちらを見つめる。
「何が不満なんだ。書かないとはどういうことだ。全て説明しろ」
息付く暇もなく次々と疑問をなげかける父に少し苛立ちを覚える。私の気も知らないで…。なんて考えても埒が明かないだけだから冷静になり答えた。
「私は昔から詩を書いてきました。何十、何百と作品を書きました。しかし、これ以上書きたくないのです。安定した職につき、家庭を築きたい。それが私の願望です。」
「今まで俺が無理やり書かせたと言いたいのか。訳の分からないことを言っている暇があったら筆を取れ」
「できません」
私の真剣な眼差しに、父も遂にヤケになった。「もういい。お前は我が家の恥だ、出ていけ。」
「……分かりました。」
“我が家の恥”と言われるまでに、詩は我が子よりも大切なのか。父のそんな理解し難い返答に呆れ惚け、私は今までの悩みも吹っ切れた。行くあてもなく、ただ夕暮れの街を1人文無しでふらつく。赤ん坊だったのなら、誰か助けの手を差し伸べてくれたのだろうか。年寄りだったのなら、このまま凍死出来たのだろうか。近くの裏路地に汚れたダンボールや布で簡単に寝床を作った。勿論眠れるはずもなく、時は過ぎていった。
「有明の…光明が差す花吹雪 。」
白い息を吐き、そう呟く。意識せずとも俳句を作ってしまった自分に若干の違和感を抱きながらも、路地裏を出る。早朝。新聞配達員をたまに見かけるほどしか人はいなく、まだ寒い。文無しの私には店に入ることも出来ず、家に帰る訳にも行かない。近くの親戚の家にでも訪ねようと思い、足を進めた。少し後ろ髪を引かれる思いがしたのは、心のどこか奥でまだ詩のことを考えてしまっている自分がいたからだろう。その思いを振り切って再び足を前に出す。しばらく歩き、隣町へと入った。現在午前7時半。少しずつ賑わい始めた街からは、活気のある声や賑やかな様子で溢れていた。赤や黒のランドセルを背負い楽しそうに歩く小学生を見ると、なんだか心がぎゅっと押しつぶされているような気がした。ほんの数年前、あんなに楽しそうに生活していた自分が本当に居たのだろうか。あの頃はたしかに楽しかった。詩も今より楽しんで書けていた。
ただ文字を書くだけで楽しめた。
あの頃に比べたら、随分落魄れたなぁなんて、変化を恐れ自分を甘やかすように思ってしまう自分が恥ずかしくなってくる。もう十五だ、世間からみると”まだ”十五だ。これからの人生どうにかなるなんて思われてしまうのは必然なのだろう。だが、失敗してきた人々を私は幾度となく見てきた。だから変わりたかった。あの人達の、父や母のようにならないために。人一倍人生について考え、悩み、父の思いを断ち切って決断をした。私がこれから生きていく道は、親の敷いた線路ではなく、自分で切り開いた道である方が幸せだと学んでいく度に強く思った。
親戚の家には祖父と祖母が無くなってから、いつも伯母である菊さんが1人で暮らしている。菊さんもまた、作家をしている。私に詩の才能が開花してから、菊さんは会う度必ず言う言葉がある。
「秀作の好きなことをすればいいんだよ。私、秀作のやりたいことだったらなんでも応援するわ。」
でも、いつも父に後から叱られていたのを私は知っていた。
「秀作に変なことを吹き込むなとあれほど言っているだろう。」
「でも今のままじゃ秀作は兄さんのつくった道をを走ることしか出来ないじゃない」
「それでいいんだ、何が悪い。お前が口を出す場じゃない。」
そんな会話が、私が寝静まったあとに居間から聞こえた。親は何故子供にこれほどに依存させようとするのか、才能があると分かった途端に何故これほど子供に興味を示してあれこれ制限して、強制するのか。最初は楽しんでいたことでも、強制すると楽しくなくなり苦に変化する。それを分かっているのか否か、親はそれを続ける。子供が本当に辛くて苦しくても、辞めたいと言い出せないように。そんな私に救いの手を差し伸べてくれたというのに、当時の私は詩を書くことはまだ苦ではなかったためか、そんな言葉に耳を傾け無かった。あの時が、私を変えるチャンスだったというのに。
こんこんこんっと三回ノックをすると、決まってあの声が聞こえる。「はーい」と声がした数秒後、扉が空いた。最後に会ったのは七歳の頃だったが、八年経った今も変わらず元気そうだった。私を見るなり菊さんは目が点になっていた。
「貴方…もしかして秀作?」
「…はい、お世話になっております」
「あぁ…あぁ、秀作!久しぶり、元気だった?詩は順調?」
次々と質問をなげかけてくる菊さんに、ゆっくり首を横に振りながら私ははっきりこう答えた。
「私はもう詩は書きません。」
もちろん最初は少し驚いた様子でいたが、私の目を見るなり黙って何度も頷いた。
「そう。 私は秀作の思うようにやればいいと思うよ。その様子だと逃げてきたね、兄さんから。大丈夫、兄さんには口止めしておくわ。」
微笑みながらそう聞く菊さんに黙って頷くことしか出来なかった。父から逃げられた安堵の気持ちと、どれだけ彼女に迷惑をかけただろうか、考えるだけで自分への嫌悪感が込み上げてきて目を潤ませる。泣いてはダメだ、もっと菊さんに迷惑をかけてしまう。そう思っても涙は止まらなかった。
「よく頑張ったわね、秀作」
目を瞑っていてもその小さな隙間から次から次へと溢れ出す大粒の涙。自分の限界を今、はっきりと知った。感情コントロールの出来ない私はただ、この場の流れに棹さす。滞りなく出し切った思いは、所々横槍を入れながら私と共に流れていく。この場に父がいたら、彼はどう思うのだろうか。情けないと、罵るのだろうか。自分の行いを反省するのだろうか。
何も、思わないのだろうか。
風呂に入り、清潔な服を着て、縁側にそっと腰かけると、不安や焦りも吹き飛ぶチクチクと刺さるような冷たい風が肌を撫でる。新しい、不思議な感情で溢れる。まぁいい。きっと明日には忘れている。いっその事、父も私の存在を忘れていてはくれないだろうか。決められたこの生きずらい世界をつくった彼を、どうにか忘れられないだろうか。書物を読むと思い出す、常に眉間にシワを寄らせる父の顔。私は彼の笑顔を見たことがない。見たことがないといえば嘘になるが、私と2人で共に笑いあったことはない。いつもどちらかが悲しい、苦しい顔をする。なにかにもがき、苦しむ顔をしている。
何故普通に笑い会うことが出来ないのだろうか。親子とはなんなのだろうかと、思わず辞書を引きたくなる。父は今日もいつも通りの生活をしていたんだなと思うと苛立ちと失望が入り交じった、紫がかった気持ちが入り交じる。
気持ち悪い。
親は選べない。だから仕方ないとは分かっている。だが、あんな人に日々の暮らしを制限され続けていたと思うと腹の中でふつふつと何かが沸きあがる。立ち上がり深く息を吸った。冷たい空気が鼻をツンッと刺激する。その時吹いた風の冷たさは今の私には丁度よかった。
「そんな所にいたら、風邪引きますよ」
「あ、 すみません」
振り返ると優しげに微笑む彼女がいた。