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カコンッ……カコンッ……
下駄が地面とぶつかる音が響く。昔に散々聞いた音に眉を寄せた。ただただ懐かしい。そんな感情に身体を包まれて意識を手放した。
チリンッ……
鈴の鳴る音。 ふわりと意識が覚醒する。さっきまで聞こえていた鈴の音が頭の中でふわふわと木霊する。……うるさい。シーツの波に爪先を丸めてグッと体を持ち上げると布団と服が擦れ合う音がする。カーテンの隙間から漏れる朝日が起きろと促す。まだ上手く開かない瞼を無理矢理持ち上げては眼鏡を手探りで探し出した。眼鏡をかけて幾分マシになった視界でカーテンを乱暴に開けて部屋の換気を始め、簡易的な朝食を取っては制服に着替えて鞄を持ちイヤホンを耳に突っ込んだ。
ガタンガタン…。
電車の行き交うホームでボーッとスマホを眺めていればふと耳に鈴の音が聞こえた。
「…?」
辺りを見回すが音の元凶だと思わしき影はない。はて、と首を傾げてはスマホに目を落とそうと見回した視線を辿るように元に戻していると何故か…本当に何故か1人の男子高校生に目が止まった。ぶわりと広がる幸福感となんとも言えない胸の締め付けに恐らく恋愛感情があるのだと自覚させられる。
何故…?
最もな疑問に思わず彼を見詰めたまま首を傾げた。
ふと、その見つめる先の彼が視線に気付いたのか此方を見た。
ぱち。
互いの視線が交わる時、カコンッ…と下駄の音が聞こえた。それはそれは聞き慣れた下駄の音。視線の先の彼はにこりと穏やかに微笑めば顔を逸らした。そしてタイミングよく着いた満員電車の人混みに紛れて行った。
「レトルトや、知ってるかい?”狐の縁結び”っちゅうのを。」
「…なぁに?それ。」
昔、婆ちゃんから聞いた事がある。狐の縁結びという地元に伝わる逸話らしきものを。
「狐様が春風を運びになさるんだよ。」
「…はるかぜ?」
「春風っちゅうのは簡単に言えば恋や。選ばれた者が狐様からの御加護によって恋が実るんや。その時に聞こえる音が下駄の音と鈴の音。鈴が2回なったら思い切る時。好きな人に告白すれば必ず実ると言われてるんや。」
「……へぇ」
その時は大して気にしてなかった。そんな話を信じるなんて、とか思ってたし。…我ながらマセてんな。でも、確かに俺は今選ばれたのかもしれない。聞き慣れたと思っていたこの下駄の音はきっと昔から狐様が俺の傍に居てくれたからだろうか…。
次の日もホームに彼の姿はあった。
カコンッ……カコンッ……。
下駄の音が聞こえる。その音と合わせて俺はゆっくり彼に向かって足を進める。すると彼は弾かれたように振り向いた。そして目が合った瞬間目を逸らして俯く。
「…あの、」
居れば恐る恐る声をかければ学校の鞄をぎゅっと握って逃げるように電車に乗り込んでいった。怖がらせてしまったのだろうか?まぁ、そうなるのも無理はない。急に知らない人から話しかけ───待てよ?なぜ俺は全く知らない彼に心を奪われたんだ?何故……?
俺は昔から狐様の番として生きてきた。番というのも良い言い方なだけであって蓋を開ければただの生贄だ。小さい頃に山に預けられ狐様と呼ばれる狐の面を被った一族にあれやこれやと世話を焼かれ育って来た。君らしい道を歩みなさい、なんて言ってこれという名前を付けられないまま育った俺は本当の名前を知らない。だから今は狐様から貰った偽名を使って生活している。
「…私の名前は、いつか分かるのでしょうか?」
「どうだろうね。君の愛すべき人に名付けてもらいなさい。」
「愛すべき…人……?」
「君の愛すべき人はもう決まっているんだ。」
「…え?」
「大神様が導いて下さるだろう。」
それっきり狐様は何も言わなくなった。もう決まってる人なんて運命もクソもない。俺は正直反対だった。決まりきった道なんて歩むものか。年相応の考えの俺の耳にチリンッと軽やかな音が聞こえたのは気の所為では無いだろう。
とある日、俺は世間で言う学び舎…否、高等学校という所に通い始めた。狐様曰く人間を知りなさいとか何とか…。正直人間は自分勝手であまり好かない。それに匂いもキツいし酔いそうになる。そんなことを考えながら駅と呼ばれるところで電車とやらを待っていれば何処からか視線を感じる。その視線を辿れば1人の青年と目が合った。
ぱち。
その視線が交わった時、大神様と思わしき人が愉しげにコロコロと笑った。
あぁ、この人なんだ、俺の愛すべき人は…。
俺は咄嗟ににこりと微笑みかけては顔を逸らした。絶望とも取れる感情の奥に彼に惹かれている自分が居たことを包み隠すように…。
今日も今日とて憂鬱な日が始まろうとしている。高等学校に通い始めたのはいいが学校ではあれやこれやと話を聞かれるし女性からのアプローチが酷い。ぶっ倒れそうになる。
はぁ、と思いため息を吐き出せば_
チリンチリンッ……
鈴だ、それも2回鳴った……。ってことは?
俺は咄嗟に振り返った。
「…あの、」
俺は思わず俯く。運命だなんて…いや、これは運命だ。俺が生贄にされた時から始まっていた運命なのだろう。
俺はこの人のことが大好きだ。
そんな事を思ってしまえばもう最後。大神様はコロコロと笑っているだけで。鈴の音が2回なる時__告白の合図である。だけどまだ話したこともない人にいきなり告白するものなのか?俺は居ても立ってもいられなくていつもの電車に乗り込んだ。
その後怒った大神様がキューキュー!!と俺に鳴き続けたのは気付かないふりをした。
「運命の人に会いました。」
俺は狐様にそう切り出す。それを聞いた狐様は驚く素振りも見せなかった。少しだけ怒ってたけど。
「そうか、話を聞くに君は結ばれなかったらしいな。大神様のお告げを無視して。」
「当たり前です。はじめましての人にいきなり告白だなんてどうかしてます。」
「だが大神様のお告げを無視するなんて我々を侮辱するのと変わりないことは知っているだろう?」
「…私にも考えがあるのです。彼の外堀を埋めてからの方がいいでしょう?確実に彼を___」
そこまで言った俺は自分の考えを恥じ、口を慎んだ。
その様子を見た大神様は目をゆっくりと細めた。
「言ってみなさい。」
「……確実に…彼を私の者にする。」
「ほう、面白い。少し人間らしくなったのではないか?」
「…そうでしょうか。」
「嗚呼、そうなっていたとは嬉しい限りだ。」
「……喜んでくださったのなら光栄です。」
「君の思惑は承知した。大神様には此方から話しておくよ。他に何か言うことは無いかな?」
「…彼と同じ高校に行きたいです。」
「やるなら徹底的に…だな。」
「はい。」
「よろしい。君の手で彼を捕まえなさい。」
徹底的に……彼を…私の者にする。
そう心に決めた日は月が綺麗に輝いていた。