(え…………)
由樹は篠崎の切れ長の目を見つめた。
「な……なんで、そんな質問……。だって、今まで……全然……」
動揺して細切れになった息に言葉が零れだしてしまう。
「そうだ。気づかないふりしてやろうと思ったんだけど」
篠崎の整髪料のとれかけた髪が目にかかる。
「框のところでお前を支えた時、あまりに顔真っ赤にするからよ。これはもう、一度話したほうがいいんじゃないかと思って」
今朝のことか。
だからあんなに大げさに抱きしめてきたのか。
由樹の気持ちを確かめるために。
「答えないってことは、肯定ってことでいいんだよな?」
「…………」
否定しなきゃ。じゃないと……。
「新谷」
「…………」
でも言葉が、出てこない。
篠崎は長い息をつくと、由樹から手を放し、壁に寄りかかった。
「紫雨のアホに言われたんだよ。俺のそばにいたら、お前は遅かれ早かれ潰れるって」
(あの人、余計なことを……!)
由樹は膝の上でゆるく拳を握った。
「お前がかわいそうだってよ」
由樹は篠崎を見上げた。
「そんなこと、ないです。俺は、篠崎さんや、渡辺さんのもとで働きたいです。さっきも、二人に出会えて、時庭展示場に配属になってよかったな、って俺、本気で……」
「俺さ」
由樹の言葉をさえぎって篠崎は息をついた。
「あれからずっと考えてた。ゲイのそういう感情や葛藤の理解をできない俺が、お前をただ後輩としてかわいがることで、そういう期待を持たせていたとしたらって」
優しい視線が注がれる。
「新谷。お前はかわいいよ。一生懸命だし、信念もあるし、知識や仕組みを素直に吸い取るスポンジ力も高いし、意外に根性もある。
見てて応援してやりたくなるし、危険な奴らや、無駄なストレスから守ってやりたくもなる」
「……篠崎さん」
「でも、それだけだ」
その温かい陽だまりのような視線のまま、篠崎は言い切った。
「俺は、お前に”可愛い後輩”以上の感情を抱くことはない」
「…………」
嫌というほどわかっていたはずの言葉が胸に突き刺さる。
「お前がもし、紫雨のほうがそういう面で理解があって、あいつのもとにいきたいと言うなら、俺は止めない」
「お、俺がそんなこと言うわけないじゃないですか!」
「まあ、聞けよ」
篠崎が笑う。
「あの林だって、なんだかんだ土台となる知識量はすごいぞ。俺以上だ。それは全部、紫雨が教えたことだ。上司として劣るやつじゃない」
「でも!」
「ゲイとしてのお前を理解してやれるし、そういう期待に応えてやれることもあるかもしれない。
もしかしたら。まあ、これはどうかと思うが、千晶ちゃんと付き合いながら、それでもゲイとしての自分を共存させていくしかないなら、まあ、うまいことやってくれるかもしれない。そういう……まあ、処理的なところを」
ショックだった。
篠崎の口からそんなことを言われるなんて……。
「……馬鹿にしないでください…」
由樹は篠崎を睨んだ。
「俺、別に、男ならだれでもいいわけじゃないんですよ!」
「そういう意味じゃないって」
篠崎は微笑んだ。しかしすぐ真顔になって言った。
「でも、もし女なら……千晶ちゃんじゃないとダメなんだろ?」
言葉に詰まる。
「俺と一緒にいることで、お前に負担になったり、二人の関係が壊れる可能性があるというなら、俺はお前をよそに移す。紫雨の元がいやなら、天賀谷以外にも展示場はいくつもあるんだ」
「…………」
「新谷?」
「嫌です」
「…………」
「俺は、篠崎さんと渡辺さんと、一緒に時庭で頑張りたい」
由樹は篠崎を見上げた。
「はっきり言います。篠崎さんはタイプです。でもそれはただの好みの問題であって、好きだという感情はありません」
自分の言葉が自分を切り裂く。
「尊敬はしていますが、恋愛感情はありません」
胸の芯が凍っていく。
でも、それでも――――。
(今、この嘘をつかなければ、もう篠崎さんと一緒にいられなくなる!)
「そうか」
篠崎は短く息を吐くと、また壁に寄りかかった。
「煙草吸ってもいいか。あ、だめか。お前、気管支弱かったんだよな」
「大丈夫です。直接煙を吸い込まなければ」
「あそ」
言うと、篠崎は胸ポケットから煙草を取り出し、火を点けて咥えた。
白い煙を入り口の方向に吐き出す。
「……じゃあ……俺とやってみるか?」
「え……何を!?」
「……は?」
由樹の戸惑った表情をみて篠崎が吹き出す。
「違うよ。この先も時庭の営業として、一緒にやっていくかってことだよ」
「あ、はい!ぜひ!!お願いします!」
由樹は足を正座に直すと、篠崎に向かって頭を下げた。
しかしその瞬間に、蓄積したアルコールのせいで、グワンと視界が回り、よろけて倒れた。
「おいおい。大丈夫かよ」
篠崎が笑いながら、煙草を持っていない方の手で由樹を引き上げた。
「今日は飲んだか?」
「はい!」
ほっとして再び回りだした視界を正すように首を振る。
「すこぶる、か?」
「はい!」
篠崎が覗き込む。
「記憶飛ばすほど、か?」
「はい……!」
さらに腕を引き寄せられる。
篠崎の顔が目の前に迫る。
「……っ?」
次の瞬間、篠崎の唇が由樹の唇を奪った。
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