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「私は・・・・」
無論戦うことに否やは無い。
「そうだ、そのエインフェリアとやらに選ばれたのは、私と又兵衛殿だけなのか?」
重成がブリュンヒルデに視線をすえ、問うた。
「「大阪方には、天下に名を響かせた剛の者が数多くいるぞ。又兵衛殿と並び称された真田左衛門佐幸村《さなださえもんのすけゆきむら》殿をはじめ、毛利豊前守勝永《もうりぶぜんのかみかつなが》殿、長曾我部宮内少輔盛親《ちょうそかべくないしょうゆもりちか》殿、それに明石掃部助全登《あかしかもんのすけてるずみ》殿・・・。彼らは選ばれなかったのか?」
「もしかしたら、彼の者達は生き延びたのか?」
又兵衛が重ねて問うた。
「・・・・」
ブリュンヒルデは答えず、無言で目を閉じた。意識を集中して、何かを探っているらしい。重成と又兵衛は神秘的な気配を感じ、息をのんで戦乙女を見守った。
「・・・明石全登は死んではいませんね。戦場を離脱し、落ち延びたようです」
「おお!」
重成と又兵衛は喜びの声を上げ、互いにうなづき合った。しかし、そんな彼らに冷水を浴びせるようにブリュンヒルデは続けた。
「ですが真田幸村、毛利勝永は自害し果てました。長曾我部盛親は潜んでいたところを捕縛され、斬首されたようです。彼らは死にましたが、エインフェリアに選ばれる資格を有しません」
「な、何故」
「エインフェリアに選ばれるのは、あくまで戦場で敵と戦い、戦死した者に限られるからです。自害や処刑で死した者にはその資格はありません」
「そんな理不尽な話があるか!彼らは決死の覚悟で戦い、力尽きてその道を選んだのだろう。討ち死にすることと何の違いがあるというのだ。武士の死にざまに差をつけるなど、私は断じて許さんぞ」
重成は憤然として言い放ち、ブリュンヒルデを激しく睨み付けた。
だが、ブリュンヒルデは重成の激しい気迫を受けても微塵も動ぜず、冷厳たる態度で応じた。
「それが神々が定めた掟だからです。何人たりともその掟には逆らえません。あなた如きに異を唱えることは許されないのです。身の程をわきまえなさい」
「・・・・」
ブリュンヒルデの叱責の声は大きくも激しくもなかったが、その青い瞳には強い光が宿り、さながら天上の聖なる炎が燃え盛っているかのようだった。
未だ人であることを脱していない重成には神の眷属たる戦乙女の威には到底抗することはできず、口をつぐむしかなかった。
「わかりましたか?」
幾分態度をやわらげ、ブリュンヒルデが問うた。
「最後に一つだけ・・・・」
重成にはどうしても確かめねばならないことがあった。
「我らが主君、豊臣右大臣秀頼様は、無事落ち延びられたか?それを聞かせて欲しい」
戦に敗れた際、主君秀頼、そしてその母淀の方を生き延びさせるため、側近達は二つの方策を考えていた。
一つは、秀頼の正室であり、家康の孫である千姫に秀頼母子の助命嘆願をさせるというもの。
そして二つ目は、薩摩の舟に乗せて落ち延びさせ、島津家に匿ってもらうというものである。
秘かに島津家当主、島津家久とは話をつけているため、二つ目の手で秀頼母子は助かっているはずだと重成は信じていたのである。
ブリュンヒルデは感情が読み取れない、不思議な深い光をたたえた瞳で重成をじっと見つめて、
「・・・自分の目で確かめた方がよいでしょう。人界への未練を断つため」
と言った。
すると、重成の眼前の風景が一変した。
夜のようだが、あちこちで闇を振り払うように炎が燃え盛っていた。
炎は大坂城を取り囲んでおり、周囲の曲輪を焼き尽くしていたが、ただ一つ炎から免れている曲輪があった。
「あれは、山里丸か・・・?」
又兵衛が呟いた。
重成の顔は紙のように白くなり、茫然としている。
山里丸の一角の櫓に、複数名の男女が端然と座していた。その中心に、驚く程の巨漢がいる。又兵衛を上回る程の雄偉な体格だが、肌は雪のように白く、秀麗な顔立ちをしている。
巨漢は儚げな微笑を浮かべ、おもむろに短刀の刃を己の腹に突き刺した。
すかさず、側にいた武士が太刀を振るい、首を落とした。
「おいたわしや、若君殿!」
豪奢な衣装を纏った中年の女性が絶叫し、刃で己の喉を突いた。
「秀頼様、淀のお方様!」
悲痛な叫びが上がり、周囲の男女達が後を追って腹を切り、喉を突き、あるいは刺し違えていった。
秀頼の介錯をした武士が焔硝をばらまき、火をつけた。火はたちまち燃え上がり、炎の蛇となって舞い狂い、櫓の中の死体をことごとく飲み込み、焼き尽くしていった・・・・。
眼前に繰り広げられる凄愴な光景を、重成と又兵衛は凍り付いたような表情で見つめていた。
やがて重成は肩を震わせ、涙を滂沱と流しながら慟哭した。
「秀頼様・・・・!!」
秀頼の乳母、宮内卿局の息子である重成は、秀頼とは乳兄弟として育った。その為、単なる主従を超えた強く確かな絆で結ばれていたのである。
「余にとって、お前だけが唯一の友じゃ」
そう手を取って言った秀頼の肉厚の手の感触が、魂となった重成に鮮やかに蘇った。
「もうこれで気が済みましたね。そろそろ参るとしましょう」
重成が慟哭する姿を見ても、眉一つ動かさないブリュンヒルデが、凛然たる声で告げた。
又兵衛が凄まじい目つきで彼女を睨んだが、結局何も言わず、諦めたように頭を振った。
神である戦乙女に人間の心情を察せ、などと言っても無駄だと悟ったのだろう。
「いざ、ヴァルハラへ」
ブリュンヒルデが高らかに告げると、重成と又兵衛の魂は戦乙女と共に天空に向かって上昇を始めた。
涙を振り払った重成が空を見上げると、深淵たる闇の中で千億もの星々が燦として輝いていた。
ヴァルハラとやらは、あの星のどこかにあるのだろうか。
「大坂城が・・・・」
又兵衛の呟きを聞き、重成は地上へと視線を移した。
大坂城が炎に飲み込まれようとしている。
草莽から身を起こし、天下を平らげた日本史上最高の英雄、破格の天才豊臣秀吉が持てる財と権力を惜しみなくつぎ込み、東洋はおろか南蛮にも比肩するものは無いと言われた名城が、灰燼に帰そうとしている。
それはまた、重成が二十三年の人生を過ごした我が家を失うことでもあった。だが、重成はさほどの感慨は湧かなかった。
秀頼の死で受けた悲しみと痛みに比べれば、何程のこともなかったのである。
「重成殿・・・・」
又兵衛が声をかけてきた。彼らしくも無く、言うべきか言わざるべきか、いささか迷っている様子である。
「貴殿には娶ったばかりの奥方がいるだろう。何か言葉を残しておくべきではないのか?」
そう言って、ブリュンヒルデの方を見た。
「それぐらいはやってくれるのだろう?」
ブリュンヒルデが言葉を発する前に、重成は頭を振った。
「いえ、よいのです」
又兵衛は生前においても、己の妻子のことは一言も口にしなかったのだ。
己のみ妻への未練を口にするなど、重成の武士としての矜持が許さなかった。
ふと見れば、ブリュンヒルデが視線をじっと重成に向けている。
その人界には存在しない神秘的な宝石のような瞳には、いかなる思いがこめられているのだろうか。
重成への期待か、あるいは哀れみか。重成には判別できなかった。
やはり神たる彼女には、人の理解を超える高次元の思考や感情があるのだろう。
いずれにしても、重成はその神たる戦乙女の下で、あの星々の海を戦場として、人智を超えた存在と戦わなければならないのである。
その戦は、主君と妻を永遠に失ったこの悲しみと寂寥を忘れさせてくれるのだろうか。
重成には想像も出来なかった。