僕は小学生に上がる時まで、外国で暮らしていた……
ので、当たり前のように僕は、支援学級で勉強することが決まった。
僕が少し日本語が出来るようになったとき、交流学級の皆に僕が支援学級にいるのか話た。
茅野
奥本
茅野
この様に僕は、あの時僕が支援学級にいる理由をいって良かったと思う(茅野)
小学四年生
茅野
中本
奥本
重岡
この様に僕は、交流学級のリーダーシップもとれるようになったのだ
ある日悲しい事が起きたのであった お父さんの仕事の都合で転向しないといけなくなったのである。
急だったので僕の頭の中が真っ白になった。そのままお母さんの顔を見ていると泣いてしまった
茅野
母
茅野
母
僕は、号泣した 我を忘れて……
茅野
母
朝の会の時に僕が交流学級に、着いた時だった。
皆がこっちを一斉にに見てくる 僕は、泣きそうになったがグットこらえた。
昼休み
茅野
奥本
中本
重岡
茅野
帰りの会の時
先生
みんな
その時だった
重岡
中本
茅野
奥本
嬉しさと悲しさで僕は、号泣した
茅野
僕は、先生と一緒に廊下にでてみんなとはぐをした
奥本
茅野
中本
茅野
重岡
茅野
最後に先生とはぐをして友達と泣きながら帰った
コメント
3件
いいね押しまくれるw
おれ弟な
ふぇ。43いいねだと!?負けた,,,