コメント
3件
いいね押しまくれるw
おれ弟な
ふぇ。43いいねだと!?負けた,,,
僕は小学生に上がる時まで、外国で暮らしていた……
ので、当たり前のように僕は、支援学級で勉強することが決まった。
僕が少し日本語が出来るようになったとき、交流学級の皆に僕が支援学級にいるのか話た。
茅野
奥本
茅野
この様に僕は、あの時僕が支援学級にいる理由をいって良かったと思う(茅野)
小学四年生
茅野
中本
奥本
重岡
この様に僕は、交流学級のリーダーシップもとれるようになったのだ
ある日悲しい事が起きたのであった お父さんの仕事の都合で転向しないといけなくなったのである。
急だったので僕の頭の中が真っ白になった。そのままお母さんの顔を見ていると泣いてしまった
茅野
母
茅野
母
僕は、号泣した 我を忘れて……
茅野
母
朝の会の時に僕が交流学級に、着いた時だった。
皆がこっちを一斉にに見てくる 僕は、泣きそうになったがグットこらえた。
昼休み
茅野
奥本
中本
重岡
茅野
帰りの会の時
先生
みんな
その時だった
重岡
中本
茅野
奥本
嬉しさと悲しさで僕は、号泣した
茅野
僕は、先生と一緒に廊下にでてみんなとはぐをした
奥本
茅野
中本
茅野
重岡
茅野
最後に先生とはぐをして友達と泣きながら帰った