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「髪型、変えました?いや、メイクかな」
居酒屋レストランで向かい合うと、林は挨拶もそこそこにそう呟いた。
ちょうど1週間前に会ったばかりのはずなのに、白根光穂はなぜか雰囲気が違って見えた。
「えっと、ちょっとパーマを当てたくらい?ですかね?」
白根はもともと色白なほうである頬を赤らめて笑った。
「へえ。女の子ってすごいな……」
ただの素直な感想だったが、白根はますます照れて俯いてしまった。
「あ、あの、どう思いますか?」
「え?」
「似合うと、思いますか?」
林は以前の白根を思い出し、今の白根の横に並べ、比較した。
「ええ、今の方が素敵だと思います」
「あ、ありがとうございます……!」
ますます赤くなって俯いてしまう白根のつむじを見つめる。
(この反応、俺にしてくれてるんだよな……?)
信じられない思いで、自分よりももちろん紫雨よりも、小さくて細い生き物を見下ろす。
「……なんで、俺なんか……」
その疑問がつい、唇を通って外に出てしまった。
「え?」
途端に白根の顔が上がる。
「あ、いえ。その」
元来、営業のくせに人と話すのが苦手だ。
特に女性と話すのは。
しかしきちんと話さなければいけない。
きっとこれで、最後なのだから。
「なんで、俺なんかに構ってくれるんですか。俺、甲斐性のないつまらない男ですよ?」
林は堰を切ったように話し出した。
「あなたの誘いに乗りきる根性もないし、断ることもできないほど意気地がないし、営業成績だって悪くてクビ直前で経済力だってないし、見ての通り頼りないし、話していてもつまんないし。こんなないないづくしの俺に、どうしてここまで構ってくれるんですか?」
「………ふっ」
途中からポカンと口を開けて聞いていた白根は、林の顔を見て、笑った。
「なんですか?」
笑われたことに赤面しながら、林は目の前にあったグラスビールを一口飲んだ。
「本当に覚えてないんだなーと思って」
「………?」
「清司君?」
意味深に微笑まれてもわからなかった。
(覚えてない?清司君?同級生?小学校?中学校?高校?大学?いや、まさか…)
頭を覆い尽くすクエスチョンマークに、眉間に皺を寄せた林に、白根はまた笑った。
「怖いですよね。ごめんなさい。ヒントはこれですよ、これ」
言いながら、牡蠣のアヒージョや、ローストビーフ、タコのカルパッチョなどが並ぶテーブルの上に、両手の指を走らせた。
「音楽……教室?」
「正解!」
“音感が育つのは9歳までだから”
そんな父親の勧めの元、音楽教室に通わされていた。
ピアノやリコーダー、歌に太鼓。子供のお遊びに毛が生えた程度のレッスンは、同じ教室に通う子供たちと話したり、遊んだりしているうちに、技術的なことはほとんど身に付かないまま、9歳になって辞めてしまった。
「ミツホちゃん……?」
そう言えば可愛い女の子がいた。
茶色い髪を二つに結わえて、いつもレースの襟がついたブラウスに裾が広がったスカートを着ていた。
ピアノが上手で、林たちが好き勝手歌ったり、太鼓を叩いたりしていても、彼女はいつもピアノやオルガンの前に座っていた。
「思い出してくれました?なんか、感動だなぁ」
白根はにこにこと笑うと、照れ隠しのようにカシスオレンジの入ったグラスを氷がカランと音が鳴るくらい傾けた。
「あのときの“清司君”、私のことなんか見てないと思っていたので」
「—————」
あの教室で“ミツホちゃん”を見ていなかった男子なんていただろうか。
いつも可愛いリボンを結んでいて、スカートから綺麗な膝を覗かせて。
彼女は男子たちが教室を走り回ろうが、叫ぶように歌おうが、太鼓をたたきまくろうが、ただ優しく微笑んでいた。
「私はずっと、清司君を見ていたから」
「————」
俺を?あのミツホちゃんが?
当時の自分に教えてやりたい。
ミツホちゃんに会うためだけに休まずに教室に通っていたあの頃の自分に―――。
「再会できた時は、私すぐにわかりました。あ、清司君だって。だって清司君――林さんは、前と変わらず物静かで、真面目で、優しくて――――」
(この人は……いったい誰のことを言ってるんだ…)
過去の自分にも今の自分にもそぐわない形容詞を浴びせてくる白根を、林は見つめた。
白根は伏せていた視線を長い睫毛ごと上げた。
「私が好きだった頃と、変わっていなかったから」
考えることに疲れた頭に、
振り回された身体に、
傷ついた心に、
アルコールと“ミツホちゃん”の言葉が、静かにじんわりと染みていった。
◇◇◇◇◇
「ミツ……白根さん」
「光穂でいいですよ?」
「……俺、好きな人がいて……」
「知ってますよ。紫雨さんですよね?」
「――――」
「もともと同性愛に偏見とかはないですし、私ももう25ですから。何も知らない乙女じゃないのでご心配なく」
「……でも、俺……」
「貴方は紫雨さんが好き。でも付き合ってるわけじゃないんですよね」
「――――」
「じゃあ問題はないですね」
「――いや、あるでしょ、普通に……」
「真面目だなぁ。清司君は…」
「…………」
「それでもいいから……そばにいてもいいですか…?」
「――――」
白根の柔らかい唇が、アルコールで火照った林の唇に合わさった。
「全部、私のせいにしていいですから」
「…………っ」
導かれるように入ったホテルで――。
押し倒されるように寝転がったベッドの上で――。
林は小さくて薄くて柔らかくて、触れると溶けてしまいそうな唇に舌を挿し入れた。