「しかし、あれだな。ノブナガ様は本願寺との戦いの決着が着いたと思えばすぐに本願寺攻略の司令官であったサクマ殿を追放なされたな。余りと言えばあまりにに無慈悲なやり方ではないか?」
勝成は肌を重ねた美女が手放しにノブナガを絶賛することが我慢ならず、彼の所業を非難した。
佐久間信盛は織田軍の最高幹部である方面軍司令官の一人であり、筆頭家老の地位にあった重要人物である。
最古参の将として数多くの武勲を上げて来た信盛は畿内方面軍の司令官に任じられて織田家の最大の敵手である本願寺勢力と五年間もの長きにわたって熾烈な戦いを繰り広げていた。
当然、その功績と苦労の日々は莫大な恩賞と名誉で報われるべきであろう。
だが信盛は全ての地位を剥奪され、その領地も没収され、高野山への追放とされるという憂き目に合う事になったのである。
このノブナガの武勲随一であるはずの筆頭家老へ下した厳罰に全ての織田家所属の武士達に衝撃が走った。
「ノブナガ様はどうかされているのではないか?のだ。強大な敵と五年間も戦い抜き、遂に勝利をもたらした功労者に対して何故このような惨い真似をなさるのだ。俺には理解出来ん」
これからも他に多くの織田家の武士を相手にするであろう遊女に対してノブナガのやり方を批判するなどあまりに軽率だと充分承知している。
だが酔いと女体に耽溺した快楽の後味がどうしても舌を軽くするし、心の底から湧き出でるノブナガへの怒りはどうにも抑えられない。
それにこの女は極めて口が堅いだろうし、一度でも肌を重ねた客を裏切るような真似は決してしないであろうという信頼があった。
「佐久間様は讒言にあったという噂が広まっておますな」
女は言うべきかどうかいささか迷った様子であったが、意を決したように言った。
やはりこの女は相当ノブナガに心酔している様子であり、今回の件でもノブナガに非は無いと思いたいようである。
「讒言?誰のだ」
「さあ、そこまでは……」
女の様子では本当は誰の讒言かまで耳にしているのだろう。だがあくまで噂に過ぎない以上、その名まで出すのは軽率であり、不謹慎であると己を律している様子であった。
(賢明だし、慎みのある女だ)
勝成はこの遊女に対する好意がますます深まって行くのを感じた。惚れたと言ってもいいかも知れない。
(讒言か。まあ、当然あるだろう。絶大な武功を得た者は激しく嫉妬され、必ず足を引っ張られ追い落とされそうになるのが世の常というものだ。しかしノブナガはそのようなものに惑わされるほど愚かとも思えぬが……)
ノブナガに直接会い、言葉を交わしたことで勝成は彼の人物の強力無比な個性を思い知らされた。
それはノブナガは極めて果断であり、潔癖な気性の持ち主であるということである。
絶大な武功を上げた者への醜い嫉妬による讒言などは最も嫌い、そのような事をしたり顔で口にする者はその場で首を刎ねるぐらいのことは平気で行うように思える。
当然、ノブナガの側近はそれぐらいのことは百も承知のはずである。
己の首が刎ねられることを覚悟で讒言を行う腹の据わった、それでいて心根の歪んだ者など存在しているのだろうか。
この直後に勝成が知ったことによると、ノブナガは佐久間信盛に十九箇条にもわたる折檻状を突き付けていたようである。
その内容は要約すれば他の方面軍司令官、柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉に比べれば信盛の戦いぶりが積極性に欠け、いかにも怠慢であること。
戦の最中、信長に作戦のことで一度も相談にすら来なかったこと。
その吝嗇な性格故、家臣の扱いが全く雑で不公平であること。
息子の信栄の数多くの非行のこと。
そして最後の二箇条では討ち死に覚悟の戦いで名誉を挽回するか、さもなくば高野山へ追放となるかのどちらかであることを信盛親子に迫っている。
「信長様は佐久間殿が驕りと怠慢から目覚めて発奮され、昔日のように見事な戦いをすることを期待されたのだろう。佐久間殿は本来智勇兼備の名将であられたのだからな」
折檻状の内容を知った蒲生賦秀は家臣達にそう語った。
「例え華々しい武勲を挙げられずとも、その戦いぶりが決死のものであったなら、信長様は佐久間殿を賞賛され、追放などは決してなされなかったはずだ。信長様がこの世で最も貴きとされるものは愚直なまでの勤勉さと決死の覚悟。そして最も憎むのは怯懦と怠慢、身分の上に胡坐をかく驕りである」
主君の言葉に蒲生家家臣達は粛然となった。信長が世に掲げんとする武道の秋霜の如き峻烈さに。
そして信長の婿である我が主君もまたその価値観を受け継ぎ、家臣達にそれを求めていることに。
「佐久間殿は織田家の最古参の家臣でありながら、何故信長様の御気性を理解されず、最後まで果敢に戦わずに安穏に過ごすことを選ばれたのでしょう」
家臣にそう問われ、賦秀は悲しそうに頭を振った。
「老いてしまわれたが故、かつてのように戦う気力を失ってしまったのか。あるいは織田家先代以来の重臣であり、筆頭家老である己はあくまで別格の存在なのだから、信長様といえど追放などするはずがないと高をくくっていたのか。いずれにしても惜しきことである」
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