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(確かにノブナガは本当はサクマを追放になどする気は無く、あくまで奮起させるつもりで折檻状を送りつけたのかも知れない。だがサクマが最後まで果敢に戦うことを選ばず臆する色を見せたので、激高して追放に処してしまったのだろう)
勝成は己の主君の義父であり秘かに最大の敵と定める人物の心境を想像してみた。
(だがサクマはもう若くは無く老境に入っているのだ。そして家老であり最高司令官として様々な特権を得て、己の身が惜しくなっている。若く何も失う物が無い頃のようにがむしゃらに戦えなくなって当然だろう。それが人間というものではないか。それにサクマからすれば決して臆病で怠惰だったのではなく、あくまで強大な敵に対して隙を見せぬよう慎重かつ堅実に戦っていただけかも知れないではないか。人にはそれぞれやり方というものがあるのだ。それなのにノブナガは己のやり方だけが正しいと信じて疑わないのだろう。神ならぬ人間の身で、何と思い上がった傲慢な男であることか……)
勝成は手酌で酒を飲み続ける。
(そう言えば、アラキが謀反を起こした時もノブナガは当初は寛容な姿勢を見せていた。だがアラキが期待に背く行いをしたので一族を悉く処刑するといった惨い仕打ちを行った。家臣に対して一見慈悲や寛容な態度を示しながら、己が期待したような反応を見せないと激高して過酷な処罰を下すというのがノブナガという男の本質なのだろう。所詮奴の寛容さなど単なる自己満足の紛い物に過ぎん。本当の慈悲と寛容さを持つのは我が殿、蒲生賦秀様だけだ。やはりノブナガではなく我が殿の方こそがこの国を統べるべきなのだ)
「どうしはったんです、お武家はん」
遊女に話しかけられ、勝成は思わずはっとなった。
「えらい険しい顔しなはって……。何に怒ってはるんどすか?」
遊女の美しい顔が微かに怯えている。己が知らぬ間に何か過ちを犯して日本人とは価値観や考え方が違うであろう南蛮人の怒りに触れてしまったのではないかと心配しているようであった。
「ああ、すまんすまん。何でもないのだ」
勝成は陽気に笑い、優しく丁寧に女の肩を抱いた。
「色々あって疲れているんだ。だが戦や政のことはもう考えるのはやめにしよう。せっかくこうして稀なる賢明な美女と出会えたのだからな。この時間を大切な物にしたい。一生の宝となるような……」
勝成は恋の喜びとさらなる快楽の期待を込めながら熱っぽく言った。
己の妖しく煌めく緑柱石の如き瞳と豊かで艶のあるテノールの声で落ちぬ女はいない。
勝成はこれまでヨーロッパの歓楽街で多くの武勲を挙げた実績で己の男としての魅力に絶対の自信を持っている。
それにこのジャッポーネで戦に明け暮れる武士という存在は貴婦人への献身的な愛を美徳とする西洋の騎士と違って全く無骨者ばかりで遊女などに恋を語らったりしないはずである。
この美女もこれまで数多くの武士共を相手にしてきたであろうが、これほど丁寧で恭しく熱っぽい言葉はかけられたことはないだろう。
忘我したような表情で勝成の瞳をじっと見つめている。
「志乃、と呼んで……」
明里と名乗っていた女の本名なのだろう。遊所で捨てたはずの己の本名を名乗ることがどれほどの意味を持つのか。
つまり客と遊女の関係ではなく、この時は恋人同士として肌を重ねたいという女の切なる願いなのである。
勝成は暗殺を目論む存在相手に千々に乱れた心が瞬時に吹き飛び、全てを忘れて愛欲に溺れようと志乃の華奢な体を貴重な宝物を扱うが如く優しい手つきで組み敷いた。