コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
数日前………
東京に戻った久次は、あらかじめ電話を掛けていた相手と駅で待ち合わせた。
「まさかあなたからご依頼いただけるなんて」
コーヒー店で向かい合った彼は、久次よりも数段上質のスーツを着て、足を組んだ。
「急な連絡なのにすぐに応じてくれるなんて。弁護士さんって言うのは案外暇なんですか?」
無表情で言う久次に、乙竹はさわやかな笑顔で返した。
「少年に対する犯罪がこの世から一件でも減ればいいと、日々邁進してますので」
久次は鼻で笑った。
「ホームページで見たな、その謳い文句」
「あれ?そうでしたか?」
乙竹がおどける。
「歌うのはあなたの専門なのに?」
「はは」
久次は新幹線の中で纏めた人物相関図をテーブルに広げた。
「かいつまんだ情報で、あることないことストーリーを繋げて替え歌を作るのは、あなたのが上手いでしょう」
乙竹はそれを見下ろしながら、肘をつき、目尻を軽く掻いた。
「替え歌、ね………」
「でも安心してください。相手は本物の悪人です。ストーリーはもう出来ている。あとは証拠を集めて追い詰めてください」
久次も足を組んだ。
「今回は、あなたの脚本の出番はないようだ」
言うと乙竹は口元を綻ばせた。
「今度は脚本か」
言いながらショパールの腕時計を見下ろした。
「ちょうど10年ですか。あの事件から」
乙竹は言った。
「ええ」
久次は目を細めた。
「じゃあ、もう偽証罪の時効は成立していますね」
「………?」
久次は眉間に皺を寄せ、乙竹を睨んだ。
「あのとき私に、あなたの言う脚本を渡したのは、彼本人ですよ」
「う……そだ……」
喉が盛り上がって言葉が出てこなかった。
「嘘じゃありません。私はわかりませんし、興味もありませんが、もしかしてあの時、関係を迫ったのは彼ではなくあなただったのではありませんか?」
「…………」
「そしてあなたはことが発覚してからも飄々としていた。外野の方が間違っているという態度を崩さなかった。項垂れる彼と、堂々としているあなたと。皆の眼にはだんだん、あなたが悪かったのではないかというように映ってきました」
「…………」
「それを見て焦った彼が、私に情報を開示してきた。偽名で泊まったホテルも、学生時代に付き合っていた酷い彼氏のことも。
彼が作った脚本を、私は読み上げ、それにプラスした証拠を集めていっただけです」
「そんな……」
ただでさえ暗いコーヒー店が真っ暗に見えた。
「幼稚で無鉄砲な若き恋人を社会的に守るため、彼を悪者にしたのは、彼自身だ」
久次は顔を覆った。
「だから私は、あなたを見張ってたんですよ。後先考えず、周りに目もくれず、自分の感情だけで暴走するあなたを」
久次は茫然とシートに沈み込んだ。
「まあ、でも」
乙竹は相関図を見ながら、頬杖をついて笑った。
「そうですか。この10年間でちゃんと周りも見ることのできる人間になったんですね」
「…………」
「”この少年は母親を責められない。弟も見捨てられない”」
久次の書いた箇条書きを読みながら乙竹は頷いた。
「わかりました。お引き受け致します」
谷原に標的を絞った乙竹は、徹底的に彼の周辺を調べ出した。
彼の預金口座の取引履歴の開示請求をし、定期的な出金を確認した。
さらに瑞野の母親の口座から、同額の定期的な入金を確認し、アトリエに使用料という形で賃貸関係があったことを証明した。
認めた母親を説得し、今度は谷原に対する被害届を警察に提出させた。
谷原が斡旋し、漣の身体を提供していた“客”たちとのメールのやり取りも開示請求により突き止め、その際に使用された隠語の意味の解読までやってのけた。
驚くべきことに十人以上もいた客の全員とコンタクトを取り、乙竹という弁護士の介入に恐れおののいた客と取引をして、売春の詳細を聞き取った。
そして谷原にコンタクトを取らせ、その会話を録音させた。
後に全ての証拠を谷原に掲示。
そこには、久次が密かに録音していた美術館のレストランでの会話も追加された。
彼を追い詰め、示談という形で、母親に被害届を取り下げさせた。
彼に慰謝料300万円を即金で瑞野の母親に払わせ、さらに裁判所に保護命令の申し立てをし、谷原が瑞野家に接近できないようにした。
ここまでで丸4日。
乙竹は全ての他の仕事を投げ出し、急いでことに及んでくれた。
今回のことで唯一の救いだったのは……。
瑞野の母親にまだ良心の呵責が残っており、養子縁組の届書の裁判所への提出を渋っていたことだった。
きっとここから、彼らは再生できる。
久次は、全てが終わり、泣き崩れながら久次に頭を下げる母親を見つめ、そう思った。
「…………」
置いてけぼりにされた瑞野はその話をポカンと口を開けながら聞いていた。
「じゃあ、母さん、来ないの?」
「ああ。俺が明日、送り届けると言ってある」
「……な……」
まだ言葉にできずにいる瑞野の腕を引き、久次は立ち上がらせた。
「ほら、行くぞ」
「行くって……?」
「決まってるだろ。音楽ホールだよ」
久次は笑った。